その深い深い色の瞳は。
最初は、対戦相手でしかなかった。騎士団セレクションの初戦の相手。戦って、勝つ、ただそれだけの相手でしかなかった。
一回戦で負けたその相手が、自分と同じくセレクションに合格したのだと知ったときは、――言葉にさえできない黒い感情が瞬時に心を覆った。多分「怒り」が一番近いだろうその感情は、その後も長く尾を引いた。
親の七光りでラークス卿の興味と期待を得たのだと知ったときは、さらに怒りが増した。ことごとく時間に遅れるのにはさらに腹が立った。やたらと調子が良い、脳ミソの軽さがうかがえる言動には何度怒鳴りつけようとしたか分からない。そんな己を認識しないで、何かと彼女を目の敵にしてくるのには、
――多分、今まで十六年間生きてきて。これほど嫌悪を抱いた相手はいないだろう。
思い返してみて、リドリーは眉間に寄ったしわをゆっくりとなでる。
……最初は、最初からしばらくは。ずっとずっとそう思っていたのに。
「……きゃあっ」
手になじんだ戦斧をかまえた。深く踏み込んで得物の重さと遠心力で破壊力を増して、技を放とうとした瞬間。けれどその瞬間バランスを崩したリドリーは、思わずその場にしりもちをついていた。
斬っ!
そんな彼女の目の前、今まさに狙っていたモンスターに剣の一撃が疾って。
「よっしゃー!!」
満面の笑みで勝ちどきを上げる少年を、起き上がるタイミングを逃したリドリーはただ呆然と見ていた。なぜこうも無邪気に喜ぶことができるのか、と。ただ見ていた。
身に付いていない技を放とうとした自分に対する怒りも、公衆の面前でしりもちをつくという無様な醜態をさらした羞恥も、獲物を横取りされたという八つ当たりにも似た苛立ちも。
全部、どこかへ消え去っていた。
桃色豚闘士団の初任務、その途中の初戦闘。
たかがでっかいアリが数匹の、リドリーにしてみればどうということのない――最後に技に失敗したことさえのぞいたならばまるでどうということのない戦闘が。しかしまともな初勝利がはじめてというように、少年は大袈裟に喜んでいて。
ひとしきり大喜びした彼は、これだけは様になっている流れるような動きで剣を鞘に収めた。抑えようとしているらしいけれどそれでもにまにま顔が緩んでいる。その顔が、いまだしりもちをついたままのリドリーに、なんだか立ち上がるタイミングを逃して思わず座り込んだままの彼女に。
くるり、と向いた。
――笑うか?
散々彼を馬鹿にしてきた自分を、逆に笑うつもりか。普段がどうあれ、実践でこんな醜態を見せたことをネタに、後々まで笑い種にするつもりだろうか。
一気に身を硬くして、けれどやはり立ち上がるタイミングがつかめないリドリーに、
「大丈夫か?」
ひょい、
まるで無造作に手が差し出された。反応に困ったリドリーが思わずじっとその手を見つめると、差し出した本人もまじまじ自分の手を見下ろして。何を考えたのか何も考え付かなかったのか、こくりと小さく首を傾げて。
ぐいっ、
かたまっているリドリーの腕を掴むと、何でもないように引っ張り上げる。釣られるように立ち上がって、やはりどう反応したらいいのか分からないリドリーを、ぱっと一瞬顔を向けていつの間にか手は離れていて、すぐにてててっと走り去った。
…………?
リドリーは呆然から立ち直ることができずに、先ほど彼につかまれたあたりに目を落としていた。
向こうの方で、何が嬉しかったのかやたらハイテンションにガンツ団長にわめいていて、その相手をするガンツ団長はにこやかな困った顔で、二人の脇にいる僧侶ギルドの青年がぬぼーっとうなずいていて。リドリーに注意を向ける人間はいなくて。
呆然としたまま、彼女は地面に落ちたままの自分の斧を拾い上げた。
――なぜ自分がこれほど呆然としているのか、その理由が分からない。
ひとり勝手に先へ行こうとしたり、任務とはまるで関係ない道に入ろうとしたり、無駄に道行くモンスターを蹴りつけては戦闘してみたり。やたらと落ち着きのない少年を尻目に、あるいは戦いながら。リドリーは黙々と考える。
――嫌っていた、はずだ。
今だって、団体行動をすぐ忘れるお調子者の姿には、見るだけでなんだか腹が立つ。
――嫌っていた、はずなのだ。
その後も小さな戦闘のたびに、今度こそはと時々技をくり出そうとしてみては、そのたびに失敗してしりもちをつくリドリーを。もちろん手が空いている時に限るけれど、毎度のように助け起こしてくれる少年を。
――嫌う、べきなのに。
自分で大した努力もしないくせに、調子よく良いところばかりかっさらっていく少年を。その自分の運の良さにやはりまるで気付かないで、ただただ楽しそうに笑っている少年を。厄介ごとをわざわざ引き連れてきて、団全体を危険にさらしている少年を。
――なのに。
見上げた視線で、陽に透けて不思議な黄金色に見えた髪が、いつだって浮かべている子供よりも無邪気な笑みが、何が楽しいのか生き生きと周囲を駆け回るさまが。差し出された手が、大きくはないけれど小さくもない、剣だこにかたいてのひらが。
まっすぐにリドリーを見る、深い色の瞳が。
「リドリー」を、「北方大鷹の称号」でもなく「ティンバーレイクの貴族さま」でも「家老ジャスネ・コルトンの娘」でもなく、ただのリドリーを見る好奇心いっぱいのその目が。
彼を嫌っている、嫌おうとしているリドリーを見ている。
偶然対戦相手になっただけの、たまたま父親が「龍殺しの英雄」だっただけの、考えるより先に身体が動くタチで慣れない場所に迷い込んだら最後目的地になかなかたどり着けなくて軽薄な性格は快活の裏返しで、でも反省することを、強くなろうとする心を知っている少年が。
まっすぐに見てきて、まっすぐな笑顔を向けてきて。
「さっきから思ってたんだけどさ、」
「……身に付いてない技を使おうとするな、か? 余計な世話だ、何事も練習なしでは身につかん」
「いや、そーじゃねえよ」
彼の方だって自分からリドリーに突っかかってきたくせに、のんびり道を行く今はやはりどこまでものんびりと、
「じゃあ、なんだ」
「もちっと肉付けたら? お前軽すぎるって。ほら、攻撃の時だってさ、最後は体重がモノを、」
「やかましい!!」
あれほど真面目に嫌っていた自分が、いかに馬鹿だったかリドリーは自覚した。このバカは、いちいち怒る方が馬鹿を見る。そういう類のバカだ。関わらないにこしたことはないし、一度でも関わってしまったなら、
――多分、もう引き返せない。
リドリーの引き締められた口元が、苦笑めいた形に少しだけほころんだ。
――愛すべきバカに、子犬みたいな無邪気な目に。乾杯したい。
そんなことを、任務にまるで関係ないそんなことを。うっかり思っていた。
