「アルベル」
河岸の村アリアス。村外れの大木の影、隠れるように立つ男の耳に、彼を呼ぶ声が届いた。

―― Blutig Hand

「……? なんだ」
アルベルがこちらを向いて待っているのが見えたから、マリアはそれ以上は何も言わずに彼の元に駆け寄った。そのままの勢いで、抱き付く。
「おい!?」
「フェイトたちは領主の屋敷にいるし、村の人とか、別に誰も見てないわよ」
二人きりのときはべたべたしたがるくせに、それ以外のときはマリアとやたら距離を取るアルベルが批難の声を上げた。唇を尖らせてそれを黙らせて、彼女は改めてアルベルの深紅の目を見上げる。彼女から甘えてくることはそうなくて、一つ息を吐いたアルベルがその背をぐいと抱き寄せた。
それでもやはり周囲が気になるらしく、さらに木の陰に回り込むように移動して、
「……で、何なんだ……?」
「――何を悩んでいるのか、訊いてもいいのかしら」
マリアが小首をかしげてささやいた瞬間、アルベルが凍り付いた。
「他のことならともかく、なんだか私が関わってるみたいだから。気になって」
「…………」
好きな人に常に考えてもらっているって嬉しいのだけど、ね。
マリアがいつものように淡々とそう続けても、アルベルはまるで反応を返さなかった。どうやら自分では隠していたつもりらしい。今ではパーティ全員にバレているというのに。
――ああ、なんて不器用な男。

◇◆◇◆◇◆

一向に動かない彼にやがて焦れて、しかししっかりと抱き締められているためにマリアは身動きもままならない。不機嫌に細くなった深い翠の瞳に、何を思いついたのか不意にいたずらっぽい色が浮かぶ。
ゆっくりと踵を上げて背伸びして、彼の唇に軽くキスを。
「――!?」
予想以上にあわてふためいたアルベルの姿に、マリアは笑った。いつもとはまるで立場が正反対だ。……負けず嫌いの彼のことだから、きっと仕返しは仕掛けてくるのだろうが。
「別に、言いたくないなら無理に訊かないけど……フェイトあたりが何か企んでいたから」
「……」
とりあえず今のアルベルは渋面。なおも小さく笑いながら、すまして続けるマリア。
「事情を知っていればフォローもできるかな、と思ったのよ」
「……」
「ねえ、アルベル?」
畳みかけるように強く出られると、実は弱い彼をマリアは知っている。嫌いな相手やどうでもいい相手の場合ならキレて暴れればすむのだが、逆に気に入っている相手のときはそうするわけにもいかず、しかしだからといってどうすれば良いのか分からないらしい。結局、今もこうして戸惑っている。
小首をかしげて待っていると、腰に回っていた腕がゆるんだ。がしがしと髪を掻き、アルベルが低く唸っている。
「……あのな」
「なに?」
「あー……」
「別に呆れないし怒らないわよ?」
言うと、マリアは再びアルベルに抱き締められた。今度は彼の胸に顔を埋める格好で、自然顔が見えない。見えないかわりに、いつもより少しだけ早くなった鼓動が身体に直接響いてくる。
「――お前は、俺が怖くはないのか……?」

一瞬、わけが分からなかった。マリアはコミュニケーターの故障すら疑ったところで、やっと我に返る。
「……怖いって……どうして私が、あなたを怖がるの……?」
なぜ。
逆に問い返されて、言葉に詰まったアルベルが困っている。それを感じて、頭の中で彼の台詞を反芻して。
――ああ、もしかして。
ふと思いついた、その可能性。いつの間にか自分を抱き締める腕から力が抜けていたので、マリアは少しだけ彼から身を離した。

◇◆◇◆◇◆

間近で彼を見上げる女が、美しい、しかし不思議な笑みを浮かべていた。
「もしあなたが。自分が人殺しで、だから私のそばにいて良いのか悩んでいるなら、それは前提条件から訂正が必要だわ」
「……?」
「人を殺したこと、私がないと思っているなら――それって大間違いよ。モンスターだけじゃなくて、私だって人を殺したこと、あるわ。
――あなたが、自分の手が血に汚れていると言うのなら、」
ふっ、と彼の身体に回した自分の腕を見下ろして。その整った顔に浮かぶ、いっそ冷笑にも似たさざなみ。見るものの背筋を凍らせるような、妖艶で残酷な、どこまでも透き通って逆に底の見えない、そんな色。誰よりもマリアを知っていると思っていた彼の頭に冷水を浴びせて、――知らない女がいる。
アルベルの心臓を、氷よりも冷たい何かが締め上げる。――息が、詰まる。
「――私の手はあなたよりも血にまみれている。……単純にこの手にかけた人の数なら、きっと私はあなたを上回る」
「……っ」
マリアがひとつ瞬きをして、それで彼にかかった呪縛は解けた。頭の中は真っ白で、ぎくしゃくと、それでも彼女に触れようと伸ばす手に、今度は花のように柔らかく、笑う。
「別に、紋章兵器としてじゃないわ。あなたがこの地で軍人として生きてきたように、私も反銀河連邦組織、クォークのリーダーとして、組織のメンバーとして、そしてマリア・トレイターとして。生きてきたの」
「……ああ」
「クリフやミラージュは、汚れ仕事は絶対に私に回さないけど。でも組織のリーダーである以上、クォークのやったすべてのことの責任は、私にあると、そう思うから」
一瞬目を伏せて、しかしまた真正面から彼を見つめて、
「紋章兵器ではない生身の私が。私の意志で人を焚き付けて内乱を拡大し、長引かせた。私の意志で攻撃指示を出して戦闘艦を沈めた。私の意志で引き金を引いて、人の生命を奪った。
……偶然ではなく必然で、数え切れないほどの人の屍を踏み越えてきた」
彼女の瞳の奥にくすぶるもの。何よりも彼女自身を灼き、責め続ける、――昏い炎。
「――ねえ、アルベル」
「何だ」
「あなたは、じゃあ私を恐ろしいと思う? 血生臭いと、吐き気がすると、そう思う……?」
明るく深い翠の瞳の内に燃える、炎。彼の中にあるそれよりも、熱く、昏く。
しかし彼女は我が身を苛むそれを消そうとは考えない。なかったものとして忘れようとは思わない。すべて受け入れて、そして変わらず歪まずまっすぐに笑うことすらできる。
――強さ。彼が求めるもの。求め続けてきたもの。
「……阿呆なことを口走るな。俺は「お前」を選んだんだ」
どこまでも残酷で凛々しく、美しく気高く脆く。賢しく愚かしく、……何より強い。そんな彼女だからこそ、ここまでのめり込んだのだと。口に出して、笑えることに自分のその言葉に酔った。頭の中に靄がかかる。
あらためて彼女の身体をきつくきつく抱きしめて、その唇を奪った。
――恋い狂うほどの想いを、この想い伝える術を、他にアルベルは知らない。

◇◆◇◆◇◆

「……っ、同じ、よ……」
何度も何度も離しては触れ、触れては離し、角度を変えて浅く深く。すっかり息の上がったマリアが、潤んだ瞳で不意にささやいた。一瞬話が見えなくて、しかしすぐにアルベルの深紅の瞳が細くなる。
「同じよ……私はあなたのすべてに惹かれた。今も、惹かれている。あなたの狂気は、ひょっとしたら怖いのかもしれないけど、――けど、それにすら惹かれるの」
ふわり。マリアの口元がほころぶ。
「好きよ、アルベル。だからあなたはあなたでいて」
「……当然だ。俺は俺以外になれねえ」
にやり、不敵に笑うアルベルに、今度は彼女から唇を寄せる。
「お前も、お前のままでいろ」
「ええ……だから、ずっとそばにいてね?」
「ああ」

河岸の村アリアス。村外れの大木の影に、隠れるように二人で。
――とろけそうに幸せな、そんなある日。

―― End ――
2003/09/12執筆 2004/05/15UP
アルベル×マリア
OFP
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Blutig Hand
[最終修正 - 2024/06/21-10:37]