アナタの願い、叶えましょう。
モノではなく、ココロなら。いつもはできないことをひとつだけ。
「アルベルー? 朝よ、いつまでもぐずぐずしてないで、」
ノックをしながら、マリアが声を上げた。予想どおり返事がない。というか、身じろぎする音も起き上がる気配もない。
まあ、いつもどおりだ。
「とっとと起きなさいよ時間がもったいないじゃない。確かに今日もフェイトはこの町でクリエイション、とかつぶやいてるけど。だからっているまでも寝てたら、」
普段どおりの高くないテンションで、言いながらマリアはノブを回して。無用心この上ないことに、あっさりドアが開いて。
「いつまでも寝てたりしたら、目が溶けるわよ」
開いた先の部屋の中は、たった数日でよくもまあこれほどごちゃごちゃにするものだと逆にあきれ返るような。
そんな感じに混沌が広がっていて。
まったく、とマリアはひとりごちた。
チリひとつ残さないように常にきれいにしておけ、とまでは言わないけれど。せめてある程度整理整頓はしておくべきではないのか。これでは、目当てのモノがあるかないかさえ分からない。
目当ての――マリアが探している、起こす目標の人物が。
果たしてベッドに寝ているのかもしくは床に転がっているのかソファにもたれているのか。
それさえ、マリアにはよく分からない。
……まったく。
――どうして、私は今こんなところにいるつもりになったのかしら。
自問しながら、一歩部屋に踏み入れて、
「……っ!?」
するりと姿を現した「それ」に、まるで脈絡のないその姿に。
マリアは珍しく呆然と、目を瞬いた。
「マリアさんアルベルさんは起きましたか、
……ってどうしたんですかそのねこちゃん! きゃあ、かわいいっ!!」
「とりあえず部屋には誰もいなかったわよ……入れ違いでこっちに来たのかと思ったけど、そうでもないみたいね。
で、アルベルがいないかわりにこの猫が、」
「きゃあきゃあきゃあ! エリクールのねこちゃんですよねだってしっぽが二又ですもん!!」
――訊ねたなら最後まで答えを聞け。
青筋を立てるマリアにまるで気付かずに、うるさそうに耳を伏せる「猫」にまるで気付かずに。
やかましくわめきながら飛びついてきた彼女が、マリアの足元に、邪魔になるのかならないのか微妙な感じにまとわり付いている猫に。遠慮も何もなく手を差し出した。多分頭をなでるとか抱き上げるとかするつもりだろう。
マリアは大きく息を吐く。
「飼い猫かしらね、どこから紛れ込んだのかしら。まったく、変に人懐っこいったら、」
「……マリアさん……」
「何」
自分の足元にしゃがみこんだ、栗色の髪に覆われた頭を見下ろせば、
「……痛いです……引っかかれました……」
「あら」
白くふっくらしたソフィアの手の甲に、くっきりぷっくり浮かび上がった赤いスジ。ゆっくりマリアを見上げたのは、癒しの紋章術を使えるから大丈夫とかそれ以前に、どうやら引っかかれたことにショックらしい少女。
今にもこぼれ落ちそうなくらいに、目にいっぱいに涙をためている。
「おかしいわね……私は、引っかかれなかったけど、」
言いながら、マリアは隙をわざと残したままひょいと猫を抱き上げてみた。
「やっぱり引っかかれないけど」
若いオス猫、だろう。やわらかなくせにどこか硬い感じのするいまいち手入れのよくない毛皮、その下に感じる筋肉。金と茶が複雑に入り混じった、虎を思わせるその毛皮に。やけに人間くさく尊大な感じに、挑発的にマリアを見上げる――赤、というのか複雑に色の混じった瞳。
今のマリアは隙だらけで、その気になったなら彼女の整った白い手にも、下手をしたらかなり近い距離にある顔に。細くてその分鋭い爪をめり込ませることは十分可能なはずなのに。
猫は、どこか挑戦的な目でじっとマリアを見つめたまま動かない。
「……私、気にいられたのかしら。ソフィアが嫌われた、なんて考えにくいけど」
「どっちにしろ、わたし……っ、」
「下手に手を出すとまた引っかかれるんじゃない……て、ああもう、暴れるんじゃないわよ、取り落とすわよ!?」
「いいなあ、マリアさんいいなあ」
先ほどのリベンジ、と再び差し出されたふっくらした手には格子状に赤い筋が走った。爪をむき出しにして少女を拒絶した猫が、その拒絶する際に身を捩って。ぐねん、と動かれると猫などまるで抱きなれないマリアは文字通り手の中のそれを投げ出しそうになって、
驚きまじりにあわてて叱れば、人語を解するのか、猫はぴたりと動きを止める。
――そして、そのころにはふたりの頭の中からアルベルのことは完全に消えていた。
「……まったく、どこ行ったのかしらね?」
アルベルの部屋、ベッドに腰掛けて。その膝に猫を抱きながらマリアが一人ごちた。
時刻は――夕食が終わってしばらく、といったところ。陽はほとんど完全に落ちて、あたりに宵闇が立ち込めつつある。それでも、まだなんとかものの形大きさくらいなら把握できる。
今日一日、結局マリアはアルベルに会わなかった。会えなかった。
特に用事があったわけではないし、べったり一緒にいたいとごねるほど仲が良いわけではないし。
けれどマリアにはなんだか面白くない。
そして、そんなアルベルのかわりのように、今日一日ずっとこの猫がマリアにへばりついていた。他の人間は近づくだけで全身毛を逆立てて威圧するくせに、マリアだけは気に入ったのか。後を付け回して脚にじゃれ付いて、適当になでてやればごろごろとのどを鳴らして。
そんな猫を特に邪険に放り出しもしないで、膝に乗せたまま。
アルベルのベッドに、シーツがぐちゃぐちゃのままだわいかにも適当に服が脱ぎ捨ててあるわその他武器防具、いろいろごちゃごちゃになっているわのアルベルの部屋で。ベッドに腰を下ろしたマリアは、膝に猫を乗せたそのまま自分の脚に器用に肘をついてみる。
「?」
「ああ……あなたにも会わせてやりたいわね、今日あったメンバーの他にもう一人、アルベルってのがいるのよ」
きょとん、と自分を見上げる視線に気がついて。マリアは苦笑した。
指一本でのどの下をなでてやれば、ごろごろと機嫌良さそうに気持ち良さそうに目を細くする猫。いかにも幸せそうな仕草に、マリアの顔がほころぶ、
「剣術バカで戦闘バカで戦争バカで。バカずくしで口も手癖も悪いけど。
……でもね、悪いヤツじゃないのよ?」
ごろごろごるごる。
もそもそと動いたしっぽが、やがてぱたぱたと別のいきもののようにのたくりはじめる。
「で、そのアルベルに――今は何も用事はないのに。……なんだか、顔見ないと腹立つの」
喉元をなでながら耳の付け根あたりを爪の先でくすぐるようにしてやれば。しっぽの振りがどんどん大きくなって、
「嫌いじゃ、ないわよ。パーティ組むのが嫌じゃないくらいには、嫌いじゃないわ。
だから――ああもう、本当にどこに行ったのかしら」
愚痴っているうちに落ち着きのなくなってきたマリアを、虹彩がすっかり丸い目が見上げている。
「もう一度、探してみて……それで今日はもう終わりにしようかしら。うん、大丈夫よ、勝手にパーティ抜けるような、そこまでのひねくれもので自分勝手じゃないはずよ」
不意に猫を抱き上げて、マリアは立ち上がった。両手で抱き上げたその猫を、しっかり立ち上がってからベッドに下ろしてやる。
「今日は、ありがとう。おかげで気が紛れ……ああ、だから特別な感情をあいつに抱いてるんじゃないったら! ただ、落ち着かないのよ!!」
言いながら、包むように猫の頭をなでて。マリアには、マリアにだけは従順な猫は、おとなしくなでられていて、
「じゃあ、ね」
また明日、めいたことをマリアは言わなかった。言わないまま、部屋を後にする。
「なーうぉ、」
部屋には猫だけが残されて。そういえばマリアには一度も聞かせなかった、高いような低いような、高さはともかくどこかまろくてどこか鋭い声で、一回だけ、鳴いた。
そして。
不意に、閉まった扉を眺めていたそのシルエットがぐにゃりと歪む。
ぐにゃりと歪んだ猫のシルエットが、変にひきつれてあちこち伸びた。ぼこぼこ、と毛皮の下に何かを隠しているように不自然に脈打って、密だった毛がゆっくりとなくなっていく。
「……、何だったんだ?」
マリアが部屋を出てから、百も数えないうちに。この部屋の主が、人型でベッドに座り込んでいた。
――何か変な夢を見た。
――栗髪の、足手まといのあいつが。あいつによく似たぜんぜん知らないヤツが。
――にこやかに、何か言った。
――……願いをかなえてやる、とかなんとか。
――馬鹿馬鹿しいんなことできるわけねえだろ阿呆。
夢と把握している夢で、言ってきた少女によく似た別人は、けれどアルベルの返事にかまわずに指を伸ばして。何かをつぶやきながら空中に文字を書いて。その言葉がぴたっと止まった瞬間、アルベルの身体が変にひきつれて、
――気がついたら、アルベルは間然に猫に姿が変わっていて。
――ああ……あなたにも会わせてやりたいわね。
マリアの、先ほどの独白めいた言葉がアルベルの頭の中に回る。
――剣術バカで戦闘バカで戦争バカで。バカずくしで口も手癖も悪いけど。……でもね、悪いヤツじゃないのよ?
――今は何も用事はないのに。……なんだか、顔見ないと腹立つの
あのときのマリアの顔。彼女のことなんてどうとも思っていなかったはずのアルベルが、アルベルの心が。なんだかどっきと跳ねたあの憂い顔。
――嫌いじゃ、ないわよ。パーティ組むのが嫌じゃないくらいには、嫌いじゃないわ。
自分が、猫の姿でなければそんな台詞絶対に聞けないだろう。聞けなかっただろう。
……けれど経緯はともあれその台詞を聞けて、聞くことができて良かったと。思ってしまった自分に気がついて。アルベルは、
――アナタの願い、叶えましょう。
――モノではなく、ココロなら。いつもはできないことをひとつだけ。
……願いは自分で叶える。その方が良い、それがいい。
……たとえ、叶わなくても。「あいつ」の本心を聞きたい、なんて。
……でも、叶わなくても。それは、俺の勝手な願いだから。
ベッドに手を付けば、ぎしり。ほのかに残ったマリアの温もりと、小さなかすかなきしむ音。
アルベルは――微妙な顔をして、
……苦笑、する。
