それでも、「ハンター」はこの世界にこの時代に、もうなくてはならないものになっている。必要があるから彼らは「ハンター」として組織を作り上げたし、必要があるから人々はそれを一つの職業として認めた。
危うくても、曖昧でも。
「ハンター」は、協会は、組織は。必要とされている。世界に、人々に。
――深紅が美しいと思った。
思って、ふらりと「それ」に身を預けようと、
動きかけた身体が、しかし動かずに。マリアの銃が再び銃弾を吐き出した。至近距離にあった深紅は一瞬見開かれてからぐるりと彼女の背後に回りこむように、けれどその動きを読んでさらに一発、一発、
彼女の顔に一瞬だけ焦りの色がにじんで、けれど即座に何でもないように取り繕って、それに目敏く気づいたらしい深紅にはいつの間にか笑いが混じっていて、
一発、――まただ、かすりもしない。
まるで抱擁でも求めるようにのびてきた、鋭い爪が光る腕をかいくぐってもう一発、
……ダメ、もう……!
「……さあどうする? せっかくだ、楽しませろよ、あァ??」
まるでチンピラのようなガラの悪い、肉声。ぎしりと奥歯を噛みしめた彼女が引鉄を引いて、けれど分かっていた、がきん、鈍い手ごたえ――弾切れだ。飛びくる弾丸を至近距離で避けるような相手、マガジンを変えるような余裕はたぶん与えてもらえない。
「抵抗は終わりか?」
「くっ、」
せめて距離を取ろうと後ずさりしようとして、けれどどしんと背中が何かに――硬くて平たくて大きい何かに触れて、いつの間にか道ばたの塀に追い詰められていた自分を知って。あらわになった焦りの色、そんなマリアにまたたき一つで覆いかぶさるように、一気に距離を詰めた黒い影――深紅の目を持つ、闇。
にたり、影のくせに笑ったことが分かって、そして再び彼女の首筋に、
ぱあん、
「気安くさわるんじゃないわよ!!」
高い音と強気な声が、上がった。
「――気が強いな」
「誉め言葉と受け取るわ」
牽制にしぶしぶ応じたような微妙な距離の先、なぜか機嫌よく笑う深紅をマリアは睨みつける。あれほど銃を連射すれば当然、周囲に硝煙のにおいが立ち込めていた。――あるいは彼女の右手の、銃の口から。
今まで連射していた大型の銃は、今、彼女の足元にあって。高い音は彼女のてのひらにさえすっぽり収まるような、超小型の銃から。
先ほどの一瞬で握っていた銃を捨てて、袖口から取り出した。ぎりぎり間に合った。
「抵抗は?」
「まだよ」
「それは一発で終いじゃねえのか」
「否定はしないわ、けど、これしか持っていないと思う?」
「……怖ぇ女だな」
「ありがとう、また誉めてくれて」
深紅は、けれど諦めないようで。ただにたにたと笑うだけで、
――マリアの背筋を、冷たいモノが先ほどからざわざわと走っている。抵抗の手段はあっても、それはこの相手をしとめるほどではない。分かっていて、彼女がそれを分かっていることをこの相手は知っていて、彼女の反応を楽しんでいるようだ。――あるいは、これは遊ばれているのだろうか。
マリアは必死に頭をめぐらせる。ああそうだ、勝てる相手ではない。
何しろ、――マリアの想像が正しければこの彼は、
「――ねえ?」
「何だ、おとなしく餌になる気になったのか?」
「考えないでもないわ、
取引しましょう、私と」
きっと不審と失望に細くなった深紅に、あくまで強気に笑いかける。
「ちょっと先を急いでいるの。あなたが手を貸してくれるならこんなに心強いことはないわ。ねえ、「夜の貴族」さん?」
「……呆れた阿呆だな。俺が誰か知っていて、そんな取引を持ちかけるのか」
きっと、言葉どおり本気で呆れたのだろう。微妙に近かった距離がまた少しあいて、もちろん逃げようと思ってそれができる距離ではないけれど、マリアはまるで喉元に突きつけられていた刃物が少しだけ遠くなったような安堵に小さく息を吐いた。
「正直な話、切羽詰まっているのよ。時間はないし、私の力と装備じゃ「招待」してくれた「屋敷」の主人に対抗できるかどうか」
「……ふん?」
またさらに距離があいて――と思ったら、ぐっと顎をすくい取られた。せっかく開いた距離をまたゼロにするように、キスするような近い距離に、深紅。ざわりとマリアの肌が粟立って、その理由は果たして目の前の彼がモンスターだからか、それとも怒っているからだろうか。
「俺を馬鹿にする気か?」
「馬鹿になんて、しないわよ」
無理やり上を向かされる、男に覆いかぶされている、その事実がただ不快で眉を寄せる。マリアのそんな反応に果たして何を思ったのか、深紅がすっと細くなって、
「今ここでてめえをぶち殺すのが、いちばん手っ取り早い。魅了の術にもう少し集中すりゃ、てめえなんぞ簡単に操れる。何も首筋じゃなけりゃ血が吸えねえわけでもねえんだ、適当なところに噛み付きゃそれで終いだ。
……俺に、何でわざわざ譲歩する必要がある?」
「……私の血を、一滴あげる。取引に応じようと応じまいと、それはただであげるわ。
それで、判断しなさい。私に、それだけの価値があるかどうか」
「ハッ……大した自身じゃねえか」
答えになっていないマリアの声に、何を思ったのか。小馬鹿にしたような、いや、きっと心底彼女を馬鹿にする笑みに深紅が歪んだ。
「それで人生狂わされっぱなしよ。自信でも持たなきゃやってられないわ」
負けるものかとマリアはその深紅を睨みつける。
夜の貴族――上位の吸血鬼。
夜を生きるモンスターたちの中で、格段に厄介な相手だ。通常の武器ではまるで傷を負わせることができないし、銀の武器で傷付けたとしても、餌、人の生き血さえ与えたならたちまち復活する。
視線には魅了の魔力があるし、噛み付かれたならそれだけで傀儡になってしまう。死者の血が彼らにとっての毒かどうか、まさか自分の身で実験するわけにもいかないし、朝日まではまだまだ時間がある。第一それでは「屋敷」の犯人に逃げられる。
ああそうだ厄介な相手だ、けれど。だからこそ、味方に引き入れることができたなら、これほど心強い相手もいないだろう。
迷っている時間が惜しくて、マリアは懐から取り出したナイフで指先を軽く切りつけた。小さな痛み、空気に混じった血のにおいに相手の興味が瞬時にそちらに向く。
「……俺が「屋敷」の主人だとは考えねえのか。呆れためでたさだな」
「あなたなら、わざわざゾンビを作って伝言残すなんて真似、しないでしょう?」
生唾まで飲むくせに、余裕を装ってやりとりするそのプライドがいっそほほえましい。さあ、と指を持ち上げれば、動きにつれて赤いスジがつつぅ、とマリアの細い指を伝って、
「この指に噛み付く可能性は?」
「だって、あなたプライド高そうだもの。それに、嘘も裏切りも人間だけのものじゃない」
……くっ、と低く鳴った音はたぶん彼の笑みなのだと思う。
細くなった深紅、思ったよりもやわらかくさらわれた自分が傷を刻んだ手、荒い息が、と思った瞬間にはねっとりまとわり着くような感覚。
ぞぐん、また一つマリアの肌が粟立った。
そして見開かれた深紅を、彼女の翠の目がまるで自嘲するように、
ただ、見つめる。
