彼に指を突きつけてそう宣言した彼女は。
どこまでも不敵に、微笑んでいた。

―― Ubersetzen

「……ちっ」
ばたんと乱雑に読んでいた本を閉じて、その本の扱いのぞんざいさに、部屋に、彼にそこそこ近い位置にいた施術士が批難の目で睨みつけてきた。彼がここに来たときから、そういえば付かず離れずのいちにうろうろしていたから。よほど警戒されているらしい。
まあ、そんなもの気にしなければどうということもないので、意味はともかくその目に離れているので。
間抜けに間の空いたところにそれをつっこんで、すぐ隣の別の本を引っ張り出す。もはや中身を真面目に見る気はなくて、ただぱらぱらとページを繰ってみる。
――時間つぶしに、やはり本は性に合わない。
――適当な場所で、たとえば中庭などで。剣の素振りでもしていようか。
ぼんやり考えて、しかし場所を移動することが面倒臭くて。彼はばたんと、また乱暴にその本を閉じた。

◇◆◇◆◇◆

シーハーツの王都、シランドの北。シランド城の一階。
自由時間にパーティを解散したとして、元敵国のこの街にアルベルに居場所はない。本人たちはどこでも好きなところを歩いて良いと言い張るけれど、人がいればあからさまな非難の目が集中して、うっとうしいことこの上ない。
だからといってひとけのない場所でうっかり昼寝でもしようものなら。
それで寝過ごすと、薄情なことにパーティメンバーは彼を置いて出発してしまうので。
後々の面倒ごとおよび雨のように降り注ぐ文句のことを思えば、実害のない視線など大したものではない。
そんなわけで、彼は。
今日のアルベルは、図書室にいた。

「……」
面白くもなんともない本を片手に、ぐるりと周囲を見渡してみる。天井近くまでぎっしり並んだ本棚には限界ぎりぎりまで本が詰め込まれていて、けれど今のところ、彼が面白いと思うような、たとえば戦術指南書の類は一切見当たらなかった。
上品を装いたがるこの国のことを思えば、当然かもしれないけれど。
アーリグリフ建国史あたりのことを書いた本には、延々アーリグリフ、および建国者のエーデグリフの悪口ばかりが目に付くし。学者ならその差異を面白く感じるかもしれないけれど、アルベルにはただ眠くなるばかりだ。
不機嫌に、さらにぐるりと周囲を見渡した彼は。
そこで見覚えのある青に、ふと目を細くする。

◇◆◇◆◇◆

「何やってやがる」
「き、……あ、ああ……キミか。
いきなり声なんてかけてこないでよ驚くじゃない」
「……それが本当に驚いた奴の台詞か」
細い指が背表紙をたどったまま、青い髪をさらりとなびかせて女が振り向いた。なにやら書きつけていたらしいメモ帳らしいものと、ペン。その上に文鎮のように置かれているのは、「これ持ってろ」と彼にも手渡された二つ折りのてのひらサイズの機械。
何か用? とばかりに小首を傾げるマリアに、アルベルはもう一度低く低く、
「何をしてやがった……?」
ぱちくり、瞬いた翠の目。彼の質問はともかく、たぶんその意図が読み取れないのか。とりあえず、というように適当な本を引き抜いて、ばさりとこれまた適当にページを開いて、
「何って……読書よ。
読書しながらの、翻訳――文字読み取りの練習、かしら」
「あァ?」
書かれていた内容は何でも良かったのか、細い指が文の途中から文字をなぞりだす。そのスピードはまるで辞書で目当ての単語を引くようにやけにゆっくりで。彼女のイメージから、てっきり速読レベルの速さでぱらぱらページを繰ると思っていたアルベルは、思わず拍子抜けした。
そんな彼を見ていないのに、たぶんそういう反応をすると読んでいたのだろう。マリアの口元が、うつむいた顔の口元からくすりと笑いの息が漏れて。
「忘れているみたいだけど、私たちはよその国から来たのよ。国が違えば文化も違う、文字だって、下手したら言葉そのものが全然違う。
本当はね、こんな翻訳機通すより直にちゃんと読んで理解したいのよ。言葉だって、生の言葉を聞き取りたいし、理解したい。だから折を見て勉強しているんだけど……まだまだね、知らない単語が山ほどあって、スピードが出ないわ」
「?」
「ここの言葉は、古代ネーデ語に文の並びが似ているわ。単語も文字そのものも、そこはだいぶ違うけど。不思議ね……それとも何かつながりがあるのかしら? さっき神話を少し読んだけど、そうね、何がつながりががあるかもしれないわね。
……それにしても活版印刷が広まっていて助かったわ。これが全部手書きだったら、書き手の癖まで解読しなきゃならないから」
アーリグリフとシーハーツの伝承うんぬんよりも。文字やら文やらからして何かあるらしい。この女は、ある意味研究者のような職が合っているのかもしれない。
ぶつぶつ言うマリアに、意味がまるで分からないアルベルは何も言えなくて。相槌さえはさめなくて、だから彼女の言葉を右から左へ流しながら、そんなことをつらつら思う。
そんなアルベルにちらりと目を上げて、マリアの口元はやはり微笑んでいて。

「これでも、それなりに慣れたのよ? 最初は文全部ページ全部本丸ごと、コミュニケーター通さなくちゃ何書いてあるのかまるで分からなかったけど。最近は一応、分からない単語を飛び飛びに調べれば、なんとか訳せる。
訳したものをもう一度読めば、意味も分かるようになってきたし」
「……二度手間以上じゃねえか」
「まあ、そうね。フェイトなんかはそれこそ切り捨てて、必要なければコミュニケーター通すこともしていないわね。
それはそれで、ただ私は。機械におんぶ抱っこじゃあ気がすまないのよ」

◇◆◇◆◇◆

アルベルにはよく分からない。
そもそもアーリグリフとシランドほど離れていれば、元は同じ地域に暮らしていたとはいえ、年月ですでに訛りが生じている。正直、あの赤毛の女隠密が最初に話しているのを聞いたとき、こいつどこの田舎者だ? と思ったりした。
そうして、それはきっと住んでいる地域の特色で。
言葉などその意味が通じるなら何でも良いと思っているアルベルは、訛りがどうとか気にしたことがなくて。
マリアはじめ、青髪のパーティリーダーや金髪の筋肉男の言葉が、唇から読める内容となんだか一致しないことに気がついてはいたけれど。
それも、彼にはどうでも良くて。
だから、逐一言葉にこだわるマリアが、アルベルにはよく分からない。勝手に訳してくれる便利な道具があるならそれに頼れば良いのに、それは気持ちが悪いというマリアの考えが理解できない。
その考えと、ひょっとしたら負けず嫌いですでにそれなりの言葉を身に付けているらしいマリアが、よく分からない。
――そんな苦労、必要ないと、思う。
――思うけれどそんなこだわりは、ひょっとしたら彼女に相応しいかもしれない、とも思う。

「もう少ししたら、もう少しまともに話せるようになったら、文を書けるようになったら。
覚悟しなさい、キミにはたくさん言ってやりたいことがあるのよ。文句はじめいろいろ、たくさんあるんだから」
ぼんやり思考を走らせていたアルベルに、そうしてマリアが言い放って。言葉と一緒に、細い指が彼の胸元に突きつけられていて。

彼に指を突きつけてそう宣言した彼女は。
どこまでも不敵に、微笑んでいた。
――それはまったく、呆れるくらい。
見事に晴れ晴れと、凛々しく美しい笑みだった。

―― End ――
2005/12/01UP
アルベル×マリア
OFP
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Ubersetzen
[最終修正 - 2024/06/21-11:02]