分かっていたことだ。
彼と、自分の立場に。過去に。
――どうしようもなくへだたりがある、なんて。
アーリグリフに付いて、マリアは不意にアルベルが姿を消していることに気がついて。街に付けば自由行動、なんて不文律になっていたし、だから街に入る前に出発がいつかをすでに決めてあったわけ出し。
問題はない、何も、問題は。
……でも、何か。何かではなくどうしても、引っかかって。
とりあえず、と城に向かったなら捜し人の行方はあっさり知れた。城から入ってすぐに、いかにもつまらなそうな顔で何枚かの書類を眺めながら歩いてくる長身に気がついた。
「――珍しい、仕事のために抜けたのね」
「喧嘩売りに来たのか阿呆」
意外なことだと息を吐けば、ちらりと向いた深紅が無愛想に吐き捨てる。邪魔かとも思ったけれど追い返されないので、それをいいことに近寄ったなら。
やはりつまらなそうな顔で、しかし真剣な目で彼は書類を読んでいて。
「……門のところで何か兵士に話しかけられてたの、それかしら?」
「目敏いな。――半分アタリで半分ハズレだ。
王が呼んでいると聞いて何かと思えば、これ見て対策練れとか抜かしやがった」
果たして見てしまっても良いものかとまごついていたら、一枚目を、きっと自分が読み終わったからだろう、渡されて。書いてあったのは――スキャナを通さないことには字が読めないけれど、とにかく何かの数字の羅列。
「……何?」
「今年の餓死者の数」
あっさり言われてマリアの息が止まる――思考も、止まる。
分かっていたことだ。
彼と、自分の立場に。過去に。
――どうしようもなくへだたりがある、なんて。
分かっていたのにショックを受けたのは。
――きっとマリアはアルベルに、何かの感情を抱いているからで。
「餓死……そうか、そうね。ここは寒い国だもの」
「夏の間のたくわえなんてたかが知れてるからな。シーハーツに鉱石を売っ払って、かわりに食糧を買い込む。いつもはそうしてたんだ。
――ただ、」
「ただ、ついこの間までシーハーツと戦争をしていたから。当然物流も途絶えていた」
「勝てばシーハーツのやつらから根こそぎ奪えたんだがな」
きっとそれだけではない、兵士として少ない農耕地を耕す人員も戦争に持って行かれていた。
いや、そもそもの戦争の発端は、夏の作物の出来が悪くて焦っていた王が、タカ派の男にそそのかされたから、ではなかったか。それ以前に拠りどころだった地下資源が、たとえば一時的なものかもしれないけれど、底が見えてしまったから、ではなかったか。
思うマリアに、ただアルベルは息を吐く。
「――武官の俺にこんな資料押し付けて、考えろとはな。王もだいぶ切羽詰まっているらしい」
飽きたのか呆れたのか、よく分からない声が降って残りの資料まで押し付けられて。すべての資料にざっと目を通したところでやはり読めない文字に、けれどマリアには、
「……何か言えたら良かったけど。悪いわね、私は何も分からないわ」
細く長く、息を吐く。
「飢えたことは、ないもの。……生命のやりとりはしていても、衣食に困った経験、私にはない」
「……ああ?」
マリアにとっては、食べものなんてボタン一つで出てくるものでしかない。データとエネルギーさえあれば食べものも飲みものも、いくらでもコピーがきく。
唯一飢えた経験は母と別れたあのとき。脱出ポッドのエネルギーが危うくなったときくらい。それよりもあの時は、ほぼ同時に親をなくしたショックと、親と信じていた人が実は違うのだと聞いたショックで食欲も空腹感も分からなくなっていた。
以降は、行き場所が決まらなかったときも、あるいはクォークのメンバーになって生命のやりとりをするようになっても。一度だって、衣食に困った経験はない。
「レプリケーターをここに設置できるなら、餓死者なんてきっとゼロになる。少なくともここに、設置した場所に来ることができるなら、作った食料をばらまく経路が確保できるなら。きっと限りなくゼロに近くできるわ。
でもエネルギーとメンテナンスと、未開惑星保護条約の問題がある。それのクリアなんてまず確実に無理だし、そうすると別の方法考えなきゃいけないけど。
……私は、飢えたことがないし、この国も、この星のことも、分かっていないから」
――ごめんなさい。
――単なる意見でも、あなたの役に立つことができない。
「……勝手にべらべらまくし立てんじゃねえよ。わけが分からねえ。
――良いんだよ、これはこの国が抱える問題だ」
――単なる愚痴だ、気にすんな、
ぶっきらぼうに吐き捨てたアルベルがマリアの手から書類を奪った。そのまますたすた歩いて、まごつくマリアにひらひらと手が振られる。
「この国に住む人間の、いや、俺は王の部下だからな。たまには頭ひねってやるさ」
――だから気にすんな。良いか、気にすんじゃねえ。
くどいほどに念を押して、そして彼の背中はマリアを置いてとある部屋に消える。取り残されたマリアは、気にするなと言われても目の前に読めない数字がちらついて、
分かっていたことだ。
彼と、自分の立場に。過去に。
――どうしようもなくへだたりがある、なんて。
分かっていたのに、それなのに。
何もできない自分が、ただただひたすらに――悔しい。
