自分のどこを気に入ってくれたものだか、まったくもって分からない。
アルベルは猫みたいだ、と、雰囲気からして機嫌の良い大きな手が髪をいじっているのに、唐突にそんなことを思った。気ままで自分勝手で、プライドが高くて扱いやすいわけではないけれど、時おりひどくかわいい一面を見せてくれるおかげで嫌いにもなれない。
大きな手がゆっくり動いたのに合わせて、そこにほほをすり寄せてみる。戸惑ったように瞬間だけ動きが止まって、そしてあごをすくい取られた。
「……なんだ」
「誰かさんが邪魔してくれるおかげで、ぜんぜんまったく仕事に身が入らないのよ。どうしてくれようかしら」
甘えるように、ずばっと冷たいことを言ってみる。
ディプロ、マリアの自室。
フェイトたちに同行している今、仕事の大部分はクルーたちが処理してくれるけれど、飾りだけでもトップの彼女にしかさばけないものも当然出てくる。前トップということで普段ならそういう仕事はクリフが処理してくれていたけれど、今回の旅は彼も同行しているので。
――書類がすごいことになっているんです、あの、なんとか時間を割いて少し戻ってきてもらえませんか?
有能な部下にそこまで申しわけない声を出させておいて、忙しいから手が離せないからと蹴るには、パーティリーダーの青年はここ数日クリエイションで工房に入りびたっていた。だったら数日くらいは大丈夫か、と、一応言付けて一行から離れたのが今朝の昼、艦に向かえばなぜかアルベルもくっついてきて。
当然のように彼女の部屋までくっついてくると、勝手にくつろぎはじめた。
ふと息を吐く、至近距離の深紅がすっと細くなる。ざわりと背筋があわ立って、けれどそれは不快ではない。
「――一応、三日間ってことでここに来たのよ。書類の量的に、多分それだけあればあらかた片付くと思うわ。……逆に言えば、邪魔されると目論見が全部つぶれるんだけど」
「別に邪魔はしてねえつもりだがな」
「してるわよ。だからいつもみたいに下でシミュレータ相手に戦ってたら?」
「気が乗らん」
気まぐれな彼がばっさり切って捨てて、マリアは重ねて息を吐いた。
無理に追い出すこともできない自分は、できなくなった自分は、ずいぶん変わったのだと思う。それがいいことか悪いことかは分からないけれど、とにかく同じ場所に彼がいるとなんだか落ち着いて仕事ができないのも事実で。
その割に、心はざわつくのに落ち着かないのに、矛盾なのに、それでもなんだか嬉しいとか幸せとか思うのも確かで。
「……大体、別に紙が散らばってるわけでもねえじゃねえか。どこに書類がある」
「この中、データ。……ファイル数で三桁いっているわ、仕事の速さにはけっこう自信があるけど、さすがに数がたまるとげんなりするわね」
「「書類」なんだろう?」
「便宜上の呼び方よ、紙に出しても意味がないし、あれってかさばるし重いもの。保存管理も大変だし、過去検索も手間だし」
「……カガクのチガイか」
「そうなるわね」
そういえば先日カルサアの修練場になぜか行ったときに、団長執務室とかいう場所の、重厚で飾り気のない机に紙の束が平積みにされていた。あれ全部を処理するのも大変だろう、とは思う。量としては、けれど今彼女が抱えている仕事とひょっとしたらそう大して変わらないのかもしれない。
まあ、この彼がそんなものと格闘する姿は、そうそうなかなか思い浮かぶものでもないけれど。
もうひとつため息を吐く。
多分あっという間にそんな会話に飽きたアルベルは、再び彼女の髪をいじりはじめている。――手触りが良いのだと、以前そう聞いたこともあるけれど。そういうアルベルだって長さの割に十分手触りのいい髪ではないか。
「――アルベル」
「……あ?」
「好きよ」
「!?」
分かりやすすぎる動揺の気配に、自分は普段そんなに愛情表現をしていないだろうか、とマリアはなんだかわが身を振り返った。……思い返したならしていないかもしれない。気恥ずかしさが先に立つから。
少しへこんで、そんな場合ではないと息を吸って、
「だから、あなたがいると確かに嬉しいんだけどね? そうやって触れられてると、落ち着かないし気が散るの。仕事のためにここに戻ってきたのに、仕事が進まないのよ。
だから悪いけど少し離れて。……別にみんなのところに戻ってくれてもいいし」
一方的に言い放って、あとはモニタに向かう。彼がどんな表情を浮かべているものか、気になるけれど気にしている場合ではない。
変わったかもしれないけれど、相変わらず甘い感情よりも仕事を優先してしまう自分に。
――自分のどこを気に入ってくれたものだか、まったくもって分からない。
そして多分言葉どおり、彼がこの艦から去ってしまったならどうしようもなく淋しがる自分も想像できるわけで。
――こんなにわがままでいやな女、とっとと捨てたほうが彼のためだと思う。
そして舌打ちとともに立ち上がる気配がした。ほっと安心する気持ちと淋しさにすねる気持ちが入り混じって、けれど。
けれど彼女の言葉なんてまるで聞かずに、あまつさえ彼女を抱きすくめるこの腕から。
……逃げることだけは、多分できない。
