「タナバタ……星祭り?」
報告書に目を通していた赤毛の女性が顔を上げた。部屋のすみで黙々とカタナの手入れをする細身の男性は何も反応しなかったが、とりあえず細長い紙切れを数枚手にした少女ははいとうなずく。
「わたしたちの星の――ごく一部の地域の行事なんですけど。年に一度星に願懸けをする日があるので、ネルさんとアルベルさんもこれに何か願いごと書いてください」
「……書いた紙はどうなるのさ?」
「笹に飾り付けて一晩明かすんです。で、翌日に――川に流します。願いが叶いますようにって」
「ソフィア、せっかくだけど……そんな、」
「実現するかなんて関係ないんです。害があるわけじゃないですし、せっかくならみんなで楽しんだ方が良いじゃないですか!」
――普段はおとなしい目の前の少女が、ことイベントごとになるとものすごいバイタリティを発揮することは、大して長くはない付き合いの中でもよく分かっていた。ここでゴネても、きっといつの間にか巻き込まれる。あきらめは早い方が精神衛生上ずっと良い。
「――そうだね……夕食の時に渡せばいいかい?」
ぱあぁっ、浮かんだ満面の笑みは同性の目から見ても可愛らしかった。
はい! わたしかスフレちゃんに渡してくださいっ!! ――そんな声と共にぱたんとドアが閉じて、スキップでもしそうな軽い足音が遠ざかる。
「……あほ、――」
「あんたも書くんだよ。……無理にでも、書かせるからね!!」
上げかけた声を遮って、渡された紙切れを片手にネルはぎろりとアルベルを睨み付ける。やはり黙々と武器の整備をすすめる男が、しかし会話を漏らさず聞いていることなど分かりきっていた。
「……星夜祭は秋だろ」
短い夏を、それでも作物の実りをもたらした天候に感謝する秋祭り。豊作や、そこまでいかなくても冬に餓えることのない食料を貯えることのできた年にだけささやかに催される。冬も間近に迫った、初雪すら舞う季節、降り注ぐ星の光に今年の感謝と来年への祈願を込めて、大人たちは夜更けまで酒を酌み交わし子供たちは少しだけ夜更かしを許されて、確かに規模は小さいけれどそれなりに騒ぐ、そんなアーリグリフの祭り。
おそらくシーハーツ中でアーリグリフの情報に一番詳しい人間の一人であるネルは、そうだねと小さくうなずいた。――そうしてから、でも、と続ける。
「シーハーツじゃ聖輝祭っていって冬ど真ん中だよ。少し離れただけでそれだけ差があるんだ。星が違えば勝手も違ってきて当然じゃないか」
シーハーツで星祭りといえば。年の瀬も押し迫ったころに開かれる、主神アペリスの元へイリス・パルミラ・エレノアの三女神が嫁いだことを祝うお祭り。聖王都と名高い――良く言えば格式高い、悪く言えば古めかしく堅苦しいシランドでさえ、この日ばかりはどんちゃん騒ぎがくり広げられる。そうして一年の憂さを晴らすように馬鹿騒ぎをしてからひっそりと年末を迎え、しっとりと新年を祝うのだ。
――どちらも、こと戦争がはじまってからは自粛されて久しいけれど。
「――あの娘に、どういった起源があるのか訊ねてみれば良かったかもね」
タナバタ、だったっけか。
報告書を投げ出して、ぴらぴらと紙切れ――短冊を振りながらネルがつぶやいた。ちょうど出してあったペンと一緒に、その半分ほどをアルベルに手渡す。
「……本気かよてめえ……」
「あいにく守れる約束は破らない主義なんだ」
うめく男を無視して別のペンを手にとって、――少女のあの言い方だと、他愛もない気楽な、誰に見られてもかまわないような願いを書けばいいのかと見当を付ける。
「……何枚も渡してきたってことは、いくつ書いてもかまわないってことかな」
「知るか」
吐き捨てて立ち上がろうとするアルベルに、ペンの先を突き付けるネル。
「逃げようとするなら本気で必殺技連打するよ……今日はもう休むだけなんだ、体力削ろうが精神力削ろうが、すぐに回復できるしね」
やれるものなら、と言い返しかけた言葉を遮って遠い目をして、
「騒いでいるうちにあの娘が戻って来て、事情知ったらどっちに加勢するかね……どこかの誰かが、本気で三途の川渡らないと良いけど」
「――言うにことかいて脅しかてめえ……っ」
うめくアルベルをさらりと無視して、ふと思い付いたようにネルがペンを走らせる。
「……「もう少し素直になりますように」と。……これで良いかな。固有名詞もないし」
ひくひくと頬を引きつらせたアルベルが、引きつらせたままネルに詰め寄った。ベッドに座っている彼女を見下ろして、その顔のまま――凶悪な表情のまま、なんとか皮肉な笑みを浮かべようとして失敗してそれに気付きながら口を開く。
「それが俺を指してるなら――素直になってやろうじゃねえか、あぁ!?」
「ハッ。ちゃんちゃらおかしいね。
……てよりさ、いつも思うんだけどそのチンピラみたいな口調どうにかしたらどうなんだい仮にも漆黒団長のくせに」
てめえこそクリムゾンブレイドなんて大層な役職就いているならそのはすっぱな口調を改めろ相方はですます調じゃねえか、と――アルベルは言わなかった。やはり無理矢理笑いかけたものすごく変な表情で、彼女の細い顎を掴んで上向かせる。すっと冷ややかに目を細めた彼女を気にしないで、ただでさえ近かった距離をさらに詰める。
二人の吐息が絡む。
ふっとアルベルの顔から怒りをはじめ表情が消えた。ほんのかすかな距離を詰めながら鉄爪を外した左手でネルの腰を引き寄せ――ようとして、
がつん。……ごっ。
「……っ!?」
側頭部を何か硬いもので抉られた――と彼が知ったのは、いきなり視界が横手に流れて床に倒れ込んでから――顔色も変えず表情も変えず、先ほどまでとまったく同じ格好でベッドに腰を下ろすネルの左手に、魔法のように現れた短刀を目にしてからだった。
ちなみに、右手にはやっぱりペンを握って彼に突き付けたままだったりする。
「サカるのはせめてその紙片付けてからにしな年中発情期変態露出狂」
……声が静かな分、温度の低すぎるまなざしが痛い。
目はそのままアルベルをにらんで、短刀を静かに下ろしたネルの手がかわりに短冊を掴んで何かを書き出した。さらさらと動く手には何の迷いもなく、見ていないはずなのにその字はいつもと同じく几帳面で硬くて読みやすい。
「……「どこかの馬鹿がもう少し常識を身に付けますように」」
「――おい」
「「人の名前を覚えるくらいの脳味噌くらい、せめて得ることができますように」」
「なんだと……」
「「そもそも記憶力が人並み――まではいかなくても鶏以上になりますように」」
「てめえ……っ!!」
本気で怒って立ち上がり、襟首を掴もうと手を伸ばしたところで第二弾。鞘付きの短刀の柄頭を叩き付けようとした手、細い手首を握って止めて、ついでにやはりペンを握ったままの右手も止めて、にやりとアルベルの口元が緩んだ瞬間、
どずんっ!
「が……っ」
彼のむき出しの腹にネルの爪先が情け容赦ない勢いで突き刺さった。
きれいに急所に入ったそれにしばらく悶絶してから、ようやく復活したアルベルはまだ何か書いていたネルの手から短冊とペンをむしり取った。もの言いたげな彼女の視線を無視してものすごい勢いで何かを書き付けて、――先ほどのダメージのせいで少しばかり涙目でそんな彼女をにらみながら、ぴしっと紙を突き付ける。
書かれた文字を目で追ったネルが、非常に微妙な笑みを口元に刻んでゆらりと顔を上げた。
「「どこかの阿呆女が結婚適齢期逃さないうちに引導渡されますように」……ねぇ……? ずいぶん面白いこと思い付いたじゃないか」
「別に願いごとってわけじゃねえがな――決意表明ってやつだ覚悟しやがれ」
色々な受け取り方のできる文章および台詞を、多分最悪の形で受け取ったらしいネルが、アルベルの手から紙とペンを奪い返す。そのついでとばかりにがりっと手の甲を引っ掻く。
「……っ!!」
――しばらくして。
「ネルちゃんアルベルちゃん? 夕飯の支度ができたってソフィアちゃんが呼んでる……け、ど……」
ひょこんと部屋のドアから顔をのぞかせた銀髪の少女が、ただでさえ大きな瞳を限界まで見開いた。それも無理はない。現在部屋の中は、なんと言うか……、
「ありていに……引越し屋さんがやって来ました?」
――そんな感じにめちゃめちゃになっていた。とりあえず、普通の用途のために普通に鎮座している調度品その他はひとつも存在していない。それでも一応ものが壊れていないのが壁紙が無傷なのが、ネルらしいといえばネルらしい。
当の本人たちは今も部屋のど真ん中で得物片手に鍔競り合っている。
「あ、短冊だ~、えーと……」
ぎゃいぎゃい怒鳴り合いながら死闘と書いてバトルと読む真っ最中なのをナチュラルに無視して、彼女が床にしゃがみこんだ先。見覚えのあるカラフルな紙がばらばらと散っている。
「…………」
丁寧に拾い集めながら無言で目を通していた少女は、やがて立ち上がるとぱんぱんと服に付いた埃を払って、一応その紙の束を片手にくるりと入口に向かった。やはりぎゃあぎゃあわめきながら必殺技の応酬をする二人に目だけで振り返って、大袈裟に大人っぽくため息を吐く。
「――一応飾るけど……ノロケなんか書いても、神様は叶えてくれないと思うよネルちゃんアルベルちゃん」
「「誰がだっ!!??」」
いよいよもって真剣でちゃんばらしはじめていたアルベルとネルが、まるで合図でもしたようにまったく同じタイミングで少女を仰いでまったく同時にまったく同じセルフを吐き捨てた。
その日遠く銀河系は地球から見る鷲座と琴座のふたつの星が再会を果たしたかどうかと、このエリクール星系第二星のとある宿屋にいるとある男女がその後どんな経過をたどってどうなったかは――天帝ですら、知ることができたかどうか定かではない。
確実なのは。
その宿屋の別の一室で風にさわさわと揺れていた笹の節に、猛烈な抗議と推敲と取捨選択の結果生き残った二枚の紙が吊られていたことと。その二枚には、お互い素直ではないものの――相手がこの先の戦いで生き残るようにだとか、相手がこの先幸せな生を過ごすことができるようにだとか、そんな優しい願いごとが書かれていたことだけだった。
決して曇ることのない宇宙の向こう、星々はただ静かに輝いている。
