あいつは、ときどき。
――ものすごく、甘えたがる。
職業柄、どうしてもそういったものに敏感で。空気が動く感じに、ざわめく人の気配に。熟睡状態にあった彼女は目を醒ました。
とはいえ起き上がるのも億劫で、起き上がらなくても問題ないだろうと先ほどまで眠っていた脳みそがそんな結論を出して。
寝起きでぼうっとしたまま目だけで周囲を探れば、すぐそこ、ほんのすぐそこに無表情のアルベルが静かに身を起こしていて。いつもなら起こしても起こしてもまるで意味なく寝くさってくれる失礼千万なその男は、しかしその時はどうやら目を醒ましていて。
ただ、なんだか全体的に沈んでいた。
なんだか遠くのモノを見るような目をしていた。
本人は認めたがらないだろうけれど、
――雰囲気が、泣いているみたいだった。
――どうしたんだい?
声をかけたくて、けれどかけてはいけない気がして。
戸惑ったネルが結局何も動けないうちに、起き上がっていた彼はぱったりとベッドに倒れ込んだ。なんだ寝ぼけていただけか人騒がせな、とネルも再び寝ようとして、
けれど、ゆっくりと伸びてきた腕の中になんだか閉じ込められて、びっくりする。
びっくりして思わずその腕の主を見上げれば、
――ああ、なんて顔してるんだい。
迷子の子供のような頼りない雰囲気、泣きたそうなけれど泣くことができないような、そんな哀しい顔。らしくなくふわりと彼女を包む腕はまるですがりつくようで、大切に大切に閉じ込めたいのに、そうして力を入れることを怖がっているような、そんなありえないほどの怯え。
いつになく、弱々しい雰囲気。
――また、何か夢でも見たのだろうか。
――どんな夢を見たのか、現実とごっちゃになって混乱しているのだろうか。
――それとも逆に、不意に襲ってきた不安感に、
――何か嫌な夢でもみたのだろうか。
無駄なくらい気位の高い男は、どんなときであれその原因を明かしたりしないから。けれどなんだか怯えていることは、精神的に弱っていることは嫌でも分かってしまうから。
かすかなこのふるえが治まるまで、少し息苦しいけれど我慢してやろうかなとネルは思う。
それに。
どんな時であれ傍若無人なこの男にすがりつかれるのは、ある意味では嬉しいし誇らしい。
空が宵闇の色に染まりはじめることになると、この女はひどく不安定になる。
なぜか泣きそうな顔ですがりついてきたネルのつむじを見下ろして、アルベルは小首をかしげてみる。
――毎日、ではないけれど。
天気には左右されない、体調もそんなには大きな影響はない。
ただ、アルベルには分からない何かの決まった要因があるかもしれないけれど、とりあえずは時々、ネルはこの時間帯になるとアルベルにしがみついてくる。
平然としていたあるとき、当人に原因を訊ねてみたけれどどうやらよく分からないらしい。
――なんでだろうね?
困ったような、照れくさそうな変にあきらめたような。
そんな苦笑を浮かべて、
――日没が、こわいのかね? 人の死を連想させて。
――こうした生活をしてる以上、保障されようのない。
――あたしが、あたしたちが。明日確実に目醒めることを、保障してほしいのかね??
まるで死にかけた病人のようなこと言うじゃねえか、と揶揄したら、
――そんなに変わらないじゃないか、とあっさりと返された。
不意にうずいたなぞなぞに顔をしかめて、細かく震えながら力いっぱいしがみついてくる彼女の髪を、とりあえず梳いてみる。
さらさらと指の間を流れていく細い髪は、心地良いけれど変に不安を誘うもので。
――ネルの不安を共有しているような、そんな変なことを考え付いて。
アルベルはその考えを追い出すようにぶんぶんと首を振った。
目覚めた時に、夕闇に。
普段はあれほど気位が高く、強く激しい人間が。
ひどくひどく、脆くなると気がある。
あいつは、ときどき。
――ものすごく、甘えたがる。
甘えられると嬉しくて、
――ついつい甘やかしてしまう自分が、そこにいる。
