まっすぐな紅い目が。
まっすぐすぎて、怖かった。

―― In Ohnmacht fallen

何かが首元に触れて、それで目が醒めた。
「……?」
ネルはゆっくりと瞬く。瞬いてから身体がまったく思うように動かないことに気付いた、目さえまともに見えていないことに気が付いた。全身すべてがひどく痛んで、それはまるで押し寄せる潮騒を思わせて。そんな中悠長に気を失っていたらしい先ほどまでの自分が、なんだか信じられない。
「……生きてやがったか」
「ある、べる……?」
そんなことを思っているうちに、ぼそり、耳元で低い声。気付けばぼやけた影がそこにあって、何度もなんども瞬けば、それでようやく人影めいたものになる。至近距離のはずなのによく見えない目に。覚えた不吉な予感をネルは首を振って追い出そうとする。
「身体の感覚はあるか?」
「……ぜんしんが、いたい」
「フン」
問われて答えて、人影がもぞりと動いて、慣れたと思った身をさいなむ痛みが部分的に鋭くなった。多分直接触れて傷を確かめているのだと分かって、ネルはぼんやり拡散する思考をまとめようと懸命になる。他でもないこの男にだけは醜態を見せたくないはずだろうと自分を鼓舞する。
そんなネルをよそに、部分的な痛みはどんどん動いて。普段の男にはありえないほどに優しくなでるように触れられているはずなのに、そう思うのに、けれどやはり痛いものは痛くて、
「きずぐち、さわってないだろうね……?」
「阿呆。何が楽しくてんな意味ねえことしなきゃなんねえんだよ。
――痛覚があるならまだマシだな。おい、術は使えるか?」
「つかえたらつかってるさ……、しゅうちゅう、できないんだ。むりだよ」
癒しの術で自力回復できるか、の声にネルは重く息を吐いた。口の中でくぐもったぼそぼそした声でさえ、出そうとすれば身体に響く、全身が痛い。きっととてつもなく聞き取りづらいその声を、しかしアルベルはちゃんと聞いてくれる。
――仕方がねえな、と彼女と同じように息を吐いている。
アルベルは回復呪文が使えないけれど。もしも使うことができたなら、精神力がぎりぎりになるまで術を連発してくれたのかもしれない。すべてにおいて「闘い」が一番で、それ以外をどうにもおざなりにするどうしようもない男だけれど。回復手段がない今、下手をしたら自分の負けを呼ぶことを、けれどネルのためにしてくれたのかもしれない。
……なんだか変な感じがした。ネルの考えている「アルベル」と現実の「アルベル」がまるで別人で、変な感じがする。どちらが本物かと言われればここにいるアルベルの方が本物だと思うのに、それなのに違和感が強くて。

「いつもの」アルベルではなくて「今の」アルベルになら。先ほどのようにたとえ無遠慮に触れられても不快にはならない、そんな風に思う自分がなんだか変だと思う。

「……みんなは……?」
「覚えてねえのかよ」
たぶん止血をしてくれているのだろう、生まれる圧迫感と鋭い痛みとに顔をしかめて。そういう処置を何も言わずにやろうとするあたりが「いつもの」彼を思わせて。痛みを隠さないネルのつぶやきに返事があって、痛みの伝わり方がゆるやかになって、それはまったくひねくれきった男らしくない。
きっと何かをしゃべっていないとすぐにも気を失ってしまいそうで、この状況での意識喪失は死につながっていて、ネルが思っているそれと同じことをアルベルも考えているのだと思う。だからとりあえず、何でも良いから会話を続けようとしてくれているのだと思う。
そう思うネルのよく見えない視界の向こう、アルベルの声が降ってくる。
「壁の一部がいきなり閉じて、前後して敵が出た。戦ってるうちに気が付いたら分断されてた」
「……ああ、そうか……」
そうか、ここはスフィア社だ。ネルにもアルベルにも分からない次元で話は進んでいて、ただ仲間が彼らの戦闘力をアテにしてくれるから、だから一緒にくっついてきた。そうして付いてきたここはまるで見たことのない材質でできている、とてもとても不自然な建物で。わけの分からない世界のわけの分からない材質でできた建物には、わけの分からない仕掛けが多くて。
その仕掛けのひとつに引っかかったのだと思う。
「フェイトたちがどうなったか分からねえ。ツウシンキとやらがつながりゃどうにかなるとか思ったが、あんなごちゃごちゃしたもん、わけ分かるか」
愚痴のようにつぶやくことも、この男には珍しい。不安で口数が多くなったのだろうか。ネルが今覚えている不安を、アルベルも感じているのだろうか。それともこれもまた、ネルに対する気づかいなのだろうか。

◇◆◇◆◇◆

そういえば、こういう場面で自分だけが大怪我を負っていることがなんだか不自然に思えてきた。いつだって敵陣に真っ先に突っ込んでいくのは、この血の気の多い男だ。その分いつでも自分の血敵の血入り混じってどろどろの血みどろになるのもこの男だ。
だから。
「……あんたの、けがは……?」
「大したことねえ」
素直に正直に答えるとは思っていなかったけれど、向けた質問に思ったよりもさっくり返ってくる声に。実際見てみなきゃ信じられないよ、と息を吐く。
声を出せは変わらず全身痛い。けれど、「痛い」ということは「生きている」ということだ。今は、今のネルには。だから「痛み」がありがたい。生きたいネルには、痛みを感じることがありがたい。
拡散する意識をまとめようともがくネルに、ふっとつもる男のため息。
「――大したこと、ねえよ……てめえの、」
「え?」
止血、応急処置が終わったのだろうか。見えない視界が不安で瞬けば、懐から脇腹にかけて生まれる痛み。息が詰まって息ができなくて、痛みを顔に出したくないのに思わず眉を寄せれば、それはゆっくり引いていく。
多分傷口をゆるくなぞって、男の手が離れていく。
「他人を庇う余裕があるのか」
「……なんの、はなしだい」
空になった肺を膨らませようと、身体があえぐような呼吸をしていた。他人ごとのようにそれを聞きながら、ネルは本当に思い当たることがなくてただ困惑する。
――困惑しながら、やはり何も覚えていなかったけれど。大体、何があったかは予測がついた。

――らしくない。
浅い呼吸を無理矢理深くして、痛む身体でゆっくり深く息を吸って、肺を空にするように息を吐く。相変わらずぼけたままの視界はネルの知りたいものを映してくれないけれど、怒ったような動きで頬に触れた指がなんだか嬉しい。
「おぼえてない。……ほんとうに、おぼえてないよ。でもさ、あたしがあんたをかばうはずないじゃないか。
だから、きっとそれはぐうぜんだよ」
掠れきった声、水分を失っていつの間にか干上がっていた喉。身体中痛くて指先一つ動かすことができなくて、目もよく見えないけれど、まだ生きている自分。
「あたしは、あんたがきらいなんだ。あんたなんか、かばってやらない」
「……はっ」
きっと向けられた嘲笑に力のない笑みを返してやる。本当はもっとふてぶてしい笑いを向けたかったのに、力が入らないから。
「あんたこそ、いまのあしでまといのあたしなんかほうりだせばいいのに。なにやってんのさ」
だから、その分の毒も含めてつぶやいた。役立たずは真っ先に切り捨てる性格のくせに、こんなところで死にかけた自分の世話をしているなんて、と。
毒以上は何も含めずに、ただ、本心からの疑問を、

◇◆◇◆◇◆

――いままであった答えは、なかった。あれ? と思っているうちに頬に触れた手がふいといなくなる。勝手に気配を探る癖が身に付いているおかげでまだこの場にいることは分かるのに、触れられなくなってしまえばなんだか一気に淋しくなる。
「ある、」
っ、
……淋しい? このあたしが?? アルベルが離れたことを……?
――それは何かの間違いだ。今でこそ憎しみもだいぶ薄れたけれど、自分の好きなようにしか動かないこの男を、ネルは嫌いなのだ。協調性というものを学びそこなった男には、いつだって頭を抱えている。自分の安全を忘れて敵に突っ込んでいくしかない男を、狂気の笑いを浮かべる男を、ネルはいつだって嫌っている。
だから、この気持ちは――ああ、きっと満身創痍の不安感からなんだ。
何とか自分を言いくるめたネルの、乾いた唇に。指か何かが触れて、なんだか気配が思ってよりも近くて、そっと口に注がれる――水? 甘くてすがしくて、渇いていたことを知らせるもの。生きていくために、生命に必要で、欠かしてはいられないもの。
潤う。
自覚さえなかったネルの身体が、たった一口の水でなんだか急激に潤っていく。
「あ……」
そうして次に瞬いたとき、それまでがまるで嘘のようにいきなり視界が開けた。渇いていたから盲いていたのか、なぜか視界が急に開けた。その開けた視界いっぱいにアルベルの顔があって、反射的に身を引こうとしたネルは、
向けられた目に動くことを忘れて、瞬きも思考も止めてただ凍り付く。

「――見捨てるのは、弱いヤツが自分を守るためにすることだ」
ネルの唇を撫でるアルベルの指、覆いかぶさるように見下ろされている自分、指一本動かせない今も全身ずきずき痛む身体。近すぎる距離がなぜか嫌ではなくて、触れている――ああ、なんてことだろう胡坐をかいた男の脚を枕に横たわっているなんて。
その、触れ合ったところから流れてくる熱が、こんなに愛しいなんて。
「見捨てて、見限って、……たまるか」
ムキになった子供の顔が、こんなに胸を騒がせるなんて。

紅は、怒ったような紅はまっすぐネルを見ていて。
――まっすぐな紅い目が。
――まっすぐすぎて、怖かった。

ふっとネルの意識が翳る。
――いいかい、勘違いするんじゃないよ。「生きる」ために休息をとるんだからね。
落ちていく意識の中、ネルの心は自分ではない「誰か」に向けて叫んでいる。
……だって、そう宣言しないと不安にさせてしまうから。不安になってしまうから。
そして。
――分かってるに決まってんだろうが、この阿呆。
どこまでも口の悪い、心配して安堵した子供っぽい大人の男の声に。聞いたような気がした返事に、勝手に聞いたような気がした声に、

彼女の意識が、嬉しくなった。

―― End ――
2005/09/21UP
アルベル×ネル
OFP
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In Ohnmacht fallen
[最終修正 - 2024/06/21-11:17]