美しいけれど、悔しいと思う。
悔しいけれど、美しいと思う――。

―― Regenbogen

「雨……だね」
「そうだな」
グレーというよりはまるきり黒に近い、どんより雲がひしめいた空。その雲から遠慮なく降りしきるものに、空を見やったネルは息を吐いた。
「予報……どおりだね」
「そうだな」
「予定、というか告知だったっけ?」
「……そうだな」
ネルがいる軒先にもう一人、腕組みなどをして同じくぼーっと外を眺める男がいて。見渡す周囲に他に人影はなかった。
――現在、雨が降っております。現在、雨が降っております。降雨は夕方までにプログラミングされております。空気の清浄のため、ご協力をお願いします。
――なお、本日、この天候のときのみ可能なアトラクションを多数ご用意しておりますので、……。
リッタイエイゾウのアナウンスが先ほどからエンドレスで流れている。

◇◆◇◆◇◆

醒めない夢を現実に持ってきた、いつでもきらきらまぶしい娯楽の町、ジェミティ。
一行は現在ここに来ていて、各自自由行動だった。
――この現実感のない不自然なきらきらが苦手で、街の片隅でぽつりと時間を過ごすネルの元に。雨が降るからとかで闘技場が閉鎖されているとかなんとか、ぶつぶつ文句を並べるアルベルがやってきたのはいつだっただろう。
来たときは快晴だった空が、見る間に雲って遠慮なしに降りはじめた、それより前だったのは確かで。すてーしょんはじめ各所で流れていたアナウンスはこれだったのかと二人が悟るころには、下着までずぶぬれ覚悟でなければ外に出られないような土砂降りになっていた。

◇◆◇◆◇◆

まるでシャワーのように滴る雨をてのひらに受けて、ネルがぼんやりと笑う。曖昧な笑みは普段見ないもので、何となく気になったアルベルが視線を向ければ、彼女は濡れたてのひらを口元に持っていって、
「……何やってやがる阿呆」
「ん? この雨は「本物」かなって」
まさかこれほどの豪雨になるとは思わなかったアルベルが、そのげんなりも含めて息を吐き出せば。濡れた手をぺろりと舐めたネルがやはり曖昧に笑って、
「――うん、普通に「水」だね」
「そうか」
「この町のことだから、何か味が付いた別の液体かもとか少し思ったんだけど」
「……それはあ「雨」じゃねえだろ」
「うん、でもどっちか分からなかったからさ。
――シランドは、今、晴れてるのかな?」
曖昧な笑みがいつの間にかはっきり淋しい笑みに変わっていて、遠くを見る彼女の目ははじめて見るような気がする。濡れたこぶしを握りこんで、曇天の下いつもは鮮やかな赤毛さえかすんで見えて、
「――……、」
言いかけた言葉は音にならなかった。何を言おうとしていたのか自分でも分からなかった。ただ、音のない声に肺にあった空気をすべて吐き出したアルベルは。
そんな自分を馬鹿にするようにひとつ舌打ちをする。
力いっぱいこぶしを握り締めながら見えないシランドを幻に追うネルに。
馬鹿にした笑みを向ける。

「……ほーむしっくか?」
「――……ほー?」
彼が星の船に乗り込んだあたりで何度もくり返し向けられた単語。今度は彼がネルに向けてみれば、聞き慣れないそれが何を意味するかやはり分からずに、むっと眉を寄せるネル。
「……郷愁か。シーハーツが恋しいか」
馬鹿にするつもりで言い直せば、ああなるほどとうなずいて納得したネルが、それからようやく意味が浸透したようで、
「あ、……うん、そうだね」
ふなり、いい加減にうなずいた。
ムキなって否定すると思っていたから、事実自分はそうだったから、予想とまるで違って反応に困るアルベルに。あの笑みが向けられて、
「なんだか、……淋しいのは確かさ。もう二度と戻れないわけでも、拉致されてきたわけでもないのにさ。なんでだろう、懐かしいよ」
笑みも視線もすぐにまた外に向く。
何も言わない、言うことができないアルベルからネルの注意がすぐに外れる。

◇◆◇◆◇◆

淋しいのかと訊ねられて、すぐにそれを肯定して。ネルはただ、口元だけで笑った。
「最近、よく思うんだ。――帰りたい、って」
離れてみてはじめて見えてきた。離れてみてはじめて知ってしまった。
故郷の美しさ人のやわらかさ、あそこにあった自分の居場所。共通する常識の安堵感、土のにおい風のにおい、雨のにおい。――それに焦がれている自分、それを懐かしがっている自分。
……ひとつ息を吐く。
「シーハーツが気になるよ。そこにいる人も気になる。陛下は元気だろうか、クレアは、タイネーブやファリンは。アストールは。国の様子は、アーリグリフとうまくやっているだろうか、グリーテンは、」
――故郷は、今日も美しいだろうか。
「こうして、きっかり決めた時間に雨が降るような世界に来て。それが当たり前の世界に来て。……いや、それ以前、フェイトたちの星の船に乗っていても。
まったく違う世界に来たって実感して、そのくせシーハーツと同じものを見つけて、そのたびに。
思うんだ」
――故郷をこれほど恋しがっている自分、懐かしがっている自分。
アーリグリフに任務で出かけた程度では、こんな気持ちが自分にあるとは思わなかった。大陸中駆けずり回っているころには、自分の中のこんな心に気付かなかった。
「異世界」に放り込まれて「異邦人」の自分を自覚して、ひょっとして青髪のリーダーもこんな気持ちを持っていたのだろうか、金髪の大男もこの気持ちを知っていたのだろうか。あのころの自分は、なぜそれに気付くことができなかったのだろうか。

これほど、故郷を誇りに思っていることを。

◇◆◇◆◇◆

「ばかだろう?」
そうして彼女は自嘲して、その笑みは儚く脆く、醜くて――美しくて。見ていられない落ち着かない気持ちにさせるのに、目を話すことさえ怖い気持ちにさせる。
曖昧な自分の心が気持ち悪くて許せなくて、アルベルは何度目かも分からない息を吐く。
「……阿呆」

そして――一体その時自分は何を思ったのか。
ネルの、思ったよりも細い肩をぐっと掴むと抱き寄せていた。
その時ネルは何を考えていたのか。
アルベルの手を払うことなく、ただ黙って引き寄せられていた。

◇◆◇◆◇◆

「この町は苦手だけど、この世界の無気力な人はあまり好きじゃないけど、でも、「嫌い」じゃないんだ。だけど、……だけどさ、
さっき、雨が同じ味でそれが、たったそれだけなのになんだか悔しかった。この世界に咲く花だってシーハーツに負けずにきれいで、それを見るたびになんだか悔しい。この世界のきれいなものを見るたびに、シーハーツと同じきれいなものを見るたびに、なんだかそんなことばっか考えてさ、」
黙って引き寄せられるネルが、彼に甘えるように体重をかけるのはありえない。甘えてもたれかかってくるなど、ありえるはずがない。
「悔しくて、懐かしくなる。あたしはシーハーツを大好きなんだ。それを思い知って、誇らしいと同時に淋しくなる。
――あんたは、きっと笑うけど」
くすり、ゆるんだ口元はやはり淋しく笑っていた。ぼんやりと外を眺める目は、どこまでも曖昧だった。
無自覚に違いないこれは、だったらネルの本心なのだろうと。
「……帰り、たいよ」
それはきっと今のネルの本心なのだろうと、思った。思って、けれどアルベルは何も思わなかった。ただ細い肩を抱く手に力を込めたら、しなやかな身体がさらに彼にもたれかかってきた。

◇◆◇◆◇◆

――雨が、上がります。
その時アナウンスが入って、そのとおり雨が止んで。暗かった空、黒かった雲が流れるように消えていって、

「……決め付けんな、俺がアーリグリフを見限ったとでも思ってるのか?」
彼らしいひねくれた呟きを、これだけ近い距離にいればネルも拾っただろうか。

美しいけれど、悔しいと思う。
悔しいけれど、美しいと思う――。

「悔しい、ね」
「そうだな」
水気を含んだ空気、背後には夕陽。二人が見つめる先、一気に晴れ上がった空には。
色鮮やかな橋が、いつの間にか渡っていた。
シーハーツで見た、アーリグリフで見たそれに、きっと負けず劣らず美しくて。けれど故郷のそれよりもなんだか儚い感じがどこか淋しくて。

同じ故郷を持つ、異世界から来た男女は。
その虹が消えるまで、ただじっと寄り添っていた。

―― End ――
2005/10/21UP
アルベル×ネル
OFP
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Regenbogen
[最終修正 - 2024/06/21-11:17]