こいつを縛るものは何なのかと、何だったらこいつを縛りつけることができるのかと。
ああ、本気で思ったんだ。
疑問に、そしてそれを理解したい、と。
思ったんだ。
「……おい」
「何だい? 思いつめた顔して、珍しいじゃないか」
どんな顔だ、というかむしろどういう意味なのかと憤慨しながら、アルベルは自分の言いたいことをいきなり見失った。しょっぱなからそんな自分に少しくじけそうになりながら、あーとかうーとか意味のないうめき声を上げる。
彼女の瞳に映った自分を見つけると、いつだって何だか落ち着かない感じがする。そんな彼をきっと分からないネルはしばらくきょとんと彼を見上げていたけれど。
そのうち飽きたのか視線をずらして――彼女にとっては真正面にある丸太に、まっすぐ向きなおった。
現在地、聖王国シーハーツはシランド城、城の裏手にある一角。それなりの広さのそこは訓練場なのか、人に見立てた縄を巻いた丸太がつっ立っていたり的の描かれた壁が向こうの方にあったり。
その一つを前にしたネル、斜め後ろでまごつくアルベル。ネルの手がすっと落ちて魔法のようにそこにくないが握られていて、呼吸を動きを止めたのは一瞬。ほとんど動いていないように、残像を残して手が動いて、
すたん、という音が立ったのかどうか、丸太のほぼ一点に集中したくないがまた一つ増える。
見るとはなしにそれを見ながら。
アルベルは、自分が何を言いたかったかを考えた。考えて、そして、
「……なあ、」
考えがまとまりきる前に口が開いていた。
「――お前はこの国に、何を置いてあるんだ?」
「は?」
自分でも眉を寄せる疑問に、ネルの動きも止まる。また一つ握り締めたくないをそのままに、ゆっくり、先ほどと同じくアルベルに顔を向ける。
「何が言いたいんだい?」
「俺にもよく分からん」
至極もっともな疑問に、心の底から素直に答えたなら。その顔に浮かんだ疑問が、呆れをこらえるようなものに歪んで、
「……馬鹿かい?」
「言うにこと欠いてなに言いやがるてめえ」
「だって……じゃああんた、真面目な顔してあたしを馬鹿にしてんのかい?」
「てめえこそ俺を馬鹿にしてんのか」
そんなつもりはなかったのにいつものような言い合いになってにらみ合いになって、同じタイミングで我に返ったというか馬鹿らしくなって。
同じタイミングで視線をそらして、同じタイミングで深く息を吐く。自分と同じ動きをした相手がなんだか癇に障って、同じタイミングでぎっと相手をにらみ付けて、
もう一度、今度は視線を合わせたまま大きく息を吐いた。
「……人にモノを訊ねるときは、まず自分から答えるべきじゃないのかい」
「うるせえ」
尖らせた唇にネルが文句を付けるよりも早く、
「俺は、アルゼイが王だからアーリグリフにいる。親父があいつを王と認めて、俺もあいつを王と認めた。そのアルゼイがたまたまアーリグリフの王だった。それだけだ」
言いながら、何となく自分の疑問が見えたような気がする。けれどやはりよく分からない、見えない。
自分の心を、彼はやはり見失ったままで、
「……微妙に、あんたの質問と答えがかみ合ってないような気がするんだけど」
「気にするな阿呆」
「いいけどね」
軽口を叩いて、ネルが考え込む顔をする。手に持ったくないをいじって、刃物なのだからヘタしたら怪我するんじゃないかとか余計なことをアルベルが考えて、
「……そうだね」
たったそれだけのつぶやきに、言葉を忘れた呼吸を忘れた。瞬きさえ忘れてじっと凝視する彼の視線に、ネルがくすぐったそうに身をすくめた。
「そうだね、あたしはきっとシーハーツに全部を置いてあるよ。
陛下はもちろん陛下だし、あたしは陛下以外にきっと忠誠を誓ったりはしないけど。でも、あたしの場合はあんたと違って、陛下にじゃなくシーハーツって国に仕えてる。屋敷も母も、父の墓だってシーハーツにある。……中身はなくてもね。クレアもタイネーブもファリンも、友人も部下もいる。民だって。
おかしいね、あんたとはまるで違う。あたしは、あたしを形作るすべてのモノをシーハーツに置いてあるんだ。この国にいなけりゃ、あたしはきっと、からっぽなのかもね」
――これで満足かい。
挑むように、あるいはにらむように。強い、強くて美しいほどまっすぐなまなざしにアルベルの心が怯んだ。ぐらりと揺れる視界に自分の身体がかしいでいることを知って、足を踏ん張ってこらえる。
途方もない大きな答えに怖気づく自分を、そうして踏みとどませる。
そんなアルベルに気付かないネルが、また一つ肩をすくめて、
――こいつを縛るものは何なのかと、何だったらこいつを縛りつけることができるのかと。
……ああ、本気で思ったんだ。
――疑問に、そしてそれを理解したい、と。
……思ったんだ。
はじめて。
きっと生まれてはじめて、自分以外の人間を理解したい、なんて。そんなことを思った。
何を考えているのか、何に喜ぶのか哀しむのか怒るのか。
知りたいと。はじめて、思って。
――けれどネルは、彼が思うよりもずっとずっと深い。自分さえ理解しきれないアルベルが、ネルを理解しようだなんて。
そんなこと、まず確実に無理で。
「でも、あんたくらい単純に考えられたら、しがらみも何もないのかもしれないね」
見えない鎖にがんじがらめのネルが、ふとささやいた。言われた内容よりも、その羨望のこもった声にぎょっとしたなら。
すたん、新しいくないを投げた直後の目が。
笑みのかたちに、細くなる。
