――あいつなんか、嫌いだった。
――死んでくれて清々する。
そんな非情なことを、なんだか子供っぽい言い回しでつぶやいた男の顔は。けれどどことなく淋しそうで、けれどどことなく哀しそうで。

―― Grollen

遠雷の音が腹に響いた。
――早く屋内に逃げないと雨に降られそうだね。
思いながらネルは合わせていた手を下ろして――近付いてくる気配に、ふと肩越しに振り返った。元から無愛想な男がさらに憮然とした顔で歩いてくる。視線からするとこの場所にではなく、ネルに用があるように思う。
「……何の用だい」
「探した」
問いかけにまったく応える気がない男に、アルベルに、いつものことながら呆れの息を心から吐いて。あてつけをこめて顔を元に、正面に戻す。きっとむっとしたアルベルが彼女の向くそちらを見つめて、
――今度は彼がふっと息を吐いた。
「墓参りか」
「他に何の用かあるんだい、墓地に」
「……静かでひとけがねえから、剣の練習」
冗談などではなくてきっと本気のその言葉に。何というか、ネルを含めてネルの周囲の時間が凍り付く。分かっていないアルベルはそんなネルに気付かないのでフォローもしなくて、仕方がないのでやがてゆっくり自己解凍しながら。ネルは脱力いっぱいの声で、うめいた。
「――そんなことするの、あんたくらいのもんだよ」
「……あ?」
本気で分かっていないアルベルが不穏な声を上げて、ネルにはもうそれに返すだけの気力がない。

◇◆◇◆◇◆

遠雷の音がまた響いて、どうやら先ほどよりも音が近付いているように思う。多少は開けているとはいえ周囲は木々が生い茂っていて、まさかここに雷が落ちるとは思わなかったけれど。やはり雨が気になるネルは、なんとか気を取り直して帰ることにした。
身を翻ししな、何を考えているのかむっと墓を――ネルの父、ネーベルの名前が刻まれた墓をにらんでいるアルベルの腕を、軽く引く。つられるように歩き出した彼が、やがてぽつりと、
「……中身、空じゃねえか。空の墓にてめえは祈るのか」
「死者を祀るのは生者の勝手だしね。軍人さ、分かってたんだよ、亡骸が戻らないかもしれないってことは。本人も、あたしたち家族も。
それでもあたしも母も父のために何かしたいと思ったから。だからいいのさ、空の墓で」
「――てめえは父親を尊敬してるのか」
「当たり前じゃないか」
ゆっくり歩くネルと、彼女が手を引かなければすぐにでも立ち止まりそうなアルベル。響く遠雷に――空気に雨のにおいが混じってきた。急がないと。
思いながらネルは、ふっと笑って。
「……あんたの言い方だと、グラオ・ノックスの墓には一回も参っていないみたいだね? たまにはあんたも、」
「いやだ」
「……は?」
「俺は、あいつの墓になんか、」
急いでいたネルの脚が、止まる。仰いだならかたい顔がネーベルの墓の方を向いている。

◇◆◇◆◇◆

「――俺は、あいつなんか嫌いなんだよ」
ぼそり、ともすれば聞き逃しそうな小さなつぶやき。ネーベルの墓を見ながら、けれど確実に別の誰かのことを思っている男に、なぜかネルの心臓がきゅうと音を立てる。
「そうだ、嫌いだった……ロクに帰ってこねえくせに、帰ったら帰ったで怒鳴り散らすはヒトのことさんざん馬鹿にしやがるわ。てめえが養っているんだと、金を稼いでいるんだと、それだけで偉ぶりやがって。
……はっ、それで俺をかばって死にやがって、あの阿呆」
声では笑って、けれどその顔は、
「――あんたを、守ったんだろう?」
「俺は頼んでなんかねえよ!」
その顔は、確かに死者を悼む顔で、
「てめえに頼らなくても、俺は生きてこれた。これからだって生きられる。てめえなんかに守られなくても、俺は……もしも死んだって俺の責任じゃねえか、てめえなんか出る幕ねえんだよ!! しゃしゃり出てんじゃねえよ!」
罵倒の言葉は、けれどネルには悲痛な叫びに聞こえて。今彼の目に映っているのはネーベルの、他人の墓だと、彼は理解しているのだろうか。
ネルのことを、今のアルベルは分かっているのだろうか。
――思えば、胸はさらにきゅうきゅうと痛くて、

――あいつなんか、嫌いだった。
――死んでくれて清々する。
そんな非情なことを、なんだか子供っぽい言い回しでつぶやいた男の顔は。けれどどことなく淋しそうで、けれどどことなく哀しそうで。

◇◆◇◆◇◆

「……だけどさ、」
「かばった方は自己満足ですっきりするだろうがな! かばわれた方はどうしろってんだよ!! 畜生、てめえになんて借り作りたくねえのに、なかったのに、借りを返したくてもてめえはもういねえじゃねえか! てめえはもう、どこにもいねえじゃねえか!!
てめえの墓になんて死んでも近寄らねえ、てめえなんか大っ嫌いだグラオ!」
分かっているのかいないのか、ただ吠えて。ネルの触れている肩、ただ一点でこの世界につなぎとめられているような。それ以外のすべては過去に帰ってしまっているような、そんな不安にネルの心臓は先ほどからずっと痛い。
少年のまま心の成長を止めてしまったようなアルベルに、何だかネルの心臓が痛い。

本人だけは分かっていない、ただ全身で死者を、父の死を悼む男が。
痛くて――痛々しくて。

またひとつ、雷が鳴った。
ぽつりと落ちた雨のひとしずく、彼の頬を伝うそれが。
――雨なのに、まるで。

涙のようで、ネルの心がまた一つ痛みに悲痛な声を上げる。

―― End ――
2006/04/30UP
アルベル×ネル
OFP
中国語・無断転載禁止 ハングル・無断転載禁止
Grollen
[最終修正 - 2024/06/21-11:18]