それはきっと最初から決まっている。
たとえ頭は心は知らなくても、この身を全身を流れる血が知っている。
最初から、最初から。
「……ソフィア」
「何? フェイト、こわい顔しちゃって」
苦虫を噛み潰したような幼馴染の顔に、ソフィアは無邪気に首をかしげる。彼女の手には、でき立てほやほやの湯気さえ上がっていそうなクッキー。の入った箱。きれいにラッピングまでされたその箱の中身が、説明をしていないフェイトに分かるはずはないのに。
いや、きっとそうではなくて。
「なんで、あいつなんだよ……っ」
「なにが」
「どうしてあんな周り気にしないソフィアの好意に気付きもしないバカでアホで気が利かなくて戦うことにしか能も興味もない不器用なやつに惚れるんだよっ!?」
「っ、な、フェ、フェイトには関係ないじゃないそんなこと! ていうかアルベルさんのことひどく言わないでよフェイトのバカ!! 百回死んじゃえ!」
がーん。
すごい剣幕に、その内容に。フェイトの顔がいかにも傷付いたものに歪んだ。けれどそれよりソフィアは、なぜ気付かれたんだろうとか、フェイトが幼馴染がこんなひどいこと言うなんてとか、そんなことばかり思っていて、
「アルベルさんは悪くないんだから! 今度ひどいこといったらもうフェイトなんか知らないっ」
そんな捨て台詞を残してぱたぱたその場を走り去る。残されたフェイトのことより、フェイトにぼろくそに言われたアルベルのことばかりが、ごめんなさいの言葉ばかりがソフィアの頭の中にはあって。
「ソフィア?」
「あ、マリアさん……」
勢いで駆けていたソフィアの脚が、脇からの声で止まった。冷たい感じが冷酷な感じが、どうにも苦手なマリアが。いつものような無表情で長い髪をばさりと後ろへ流して、苦手なのにそれがとても格好良いと思う。
「どうしたのよ?」
「え? ええと……フェイトとケンカして……ちょっと頭冷まそうと」
「ふうん……?」
格好良い彼女が絵になる感じに小首を傾げて、やはり苦手なのにそんなマリアと一対一で話をしていると思うとソフィアの胸はなんだかどきどきして、
手の中のラッピングされたクッキーは誤魔化そうと思った。
……マリアには、なんだか理解してもらえない気がする。
「クッキー、あとで私にも分けてもらえるかしら。あなたのことだから、たくさん作って出気が良いものだけそうして包んだんでしょう?」
「え、あ……工房に、まとめてあります。みなさんでどうぞって言って出てきたから、早くしないとクリエイターの人たちに食べられちゃうかもですけど」
「そう、じゃあこれから工房に向かうわ。
ありがと、ソフィア。
――アルベル、素直に受け取ってくれると良いわね」
「そ、そうなんですよアルベルさんいつもなかなか受け取ってくれな、」
……あ。
「こんなカマかけに引っかかってちゃダメじゃない。あいつにも良いようにからかわれるだけよ? そういうやつなんだから。
――なんであなたみたいな娘が、あんな粗野なひねくれ者気に入ったのかしら」
ぽろっとこぼした自分の言葉にあわてていたソフィアが、混乱したせいで涙まで浮かんだ顔できっと意地悪なマリアをにらみつける。工房に向かうの言葉どおり身を翻そうとしたマリアがそれに気付いて、あら、と口が開いて、
「か、からかわないでくださいマリアさんっ!!」
「ほら、そうやってムキになるから面白いのよ」
くすくすくす。きれいな口元に浮かんだ笑みに、かああっ、ソフィアの顔から血がなかなか引かない。笑いながら歩き去ったマリアの後ろ姿がひょいと見えなくなっても、やはりソフィアの頬は真っ赤になったまま。
「――また来やがったのかこの阿呆」
「何度だって来ますよ。アルベルさんよりわたしの方が、絶対絶対気が長いんですからっ!」
「あー、そりゃそうだな。俺は興味ねえことに毎日通い詰めるほど暇じゃねえ」
心底あきれた温度の声に、ぷくーとソフィアはふくれた。剣の練習でもしていたのだろうか、なんだかんだ言いながらその手を止めたアルベルがなんだか嬉しい。ソフィアとの会話のために、手を止めてくれたアルベルが嬉しい。
嬉しいからソフィアは気負いなく手の中のモノを両手で掲げて、
「ええと、今日のお土産です!」
「……なんだ」
「見れば分かります!」
「……フン」
マヌケなやり取りがあって、いかにも興味をなくしたとアルベルが背を向けて、けれどどこかに失せろとも帰れとも言われなかったから。両手のクッキーをそのままに、ソフィアは手近な場所に腰を下ろすと、再び空想の敵を相手に剣を振るうアルベルをただじっと眺める。
――最初は、絶対に近付くことができなかった。
――少しずつ少しずつ距離を縮めていって、やっとこの距離にいても怒られなくなった。
――背後からこうしてじっと見つめていても、怒鳴られなくなった。
――相変わらず言葉は乱暴でも、ソフィアが話しかければ今ではちゃんと返事をしてくれる。
――きっと、これからもがんばれば、
――もっともっと、この距離を縮めることができる。
「物好きなヤツだな」
「だって、剣のことは分からないですけど。でも、」
……でも、こうして剣を振るうアルベルさんは、きれいですから。
……きれいで、見ていて飽きることなんかないですから。
良いかけて、男の人に「きれい」は失礼かなと言葉を切って、
――なんだ、と、ちらりと向いた緋色が嬉しくて。
「――アルベルさんは、見ていて飽きませんから」
「どういう意味だクソ虫」
「え?」
何か変なことを言ったかとソフィアがきょとんとすれば、剣の腕を止めたアルベルががっくりと首をたれる。
フェイトの困惑も、マリアのからかいも、アルベルの戸惑いも。
ソフィア自身、もっともだと思う。
接点がまるで見当たらない、口調も態度も乱雑なアルベルになぜ心惹かれるのか。ソフィア自身にもその確かな理由なんて説明できない。ちょっとした一言で笑ったり沈んだり、なぜアルベルだけがソフィアの「特別」なのかは分からない。
分からない、けれど。
考える一方で、理屈じゃないのよともう一人のソフィアがすまして言うから。一目惚れでもこの気持ちは本物だと、否定する材料もないじゃないかと。乱雑でも乱暴でも、ちょっとした優しさが嬉しいならそれで良いじゃないかと。
もう一人のソフィアがそう言うから。
この恋心は本物だよと保障してくれるから。
「アルベルさん、さっきフェイトがアルベルさんのことひどく言ってたんですよ」
「いつものことじゃねえか阿呆……あとで覚えてろ」
「あ、それでも怒るんですね」
「言われっぱなしってのはそれ認めるってことじゃねえか」
そんなやり取りさえ、愛しくて仕方がない、それは事実だから。
それはきっと最初から決まっている。たとえ頭は心は知らなくても、この身を全身を流れる血が知っている。
最初から、最初から。ずっとずっと昔から、きっと人がヒトになる前から。
――人は、恋をしないではいられない。
きっとそう、人間はそうできているのだ。
だから、アルベルに惹かれるこの気持ちは大切にしようと。
血には逆らえないのよ、と。
――ソフィアは一人静かにうなずく。
――優しい目でそんなソフィアを見つめる緋色には、残念ながら、まだ気付かない。
