のばされた手が、無垢な瞳が。
まっすぐすぎる心が、
その少女は、最近アルベルのちょっとした恐怖の種だった。
栗色の髪に翡翠色の目に華奢ながら非凡なプロポーション。ソツがない愛くるしい美貌。性格は明るくやさしく朗らかで、家事の腕までかなりのもので。加えて戦闘に出れば、確かに直接的な攻撃の応酬は苦手なものの、彼女は強力な攻撃の術を操る。それと同時に、直接攻撃をするメンバーへの支援の術まで使いこなす。
非の打ちどころがなかった。
戦いに明け暮れた、戦いにしか脳のない「漆黒」団長の彼にさえ、現在の彼女は非の打ちどころがなかった。というか「自分の脇で笑っていてほしい女」として条件付けるなら、かなりのところで上位に食い込んでいた。
少なくとも同じパーティの女性陣では最高位にいた。本人の知らないところで。
……だから怖かった、非の打ちどころがなかったからこそ怖かった。
歳若い少女が、彼女のどこまでも澄んで心を浮付かせる華やかな極上の笑みが、
アルベルには、怖かった。
「アルベルさんっ!」
「……またお前か。――何の用だ」
「用事がなかったら声かけちゃいけないんですか?」
いかにも突き放してうめけば、ぷくっと膨れた顔、すねた顔。――おびえた顔、嫌悪にしかめられた顔くらいしか縁がなかったアルベルは、少女のその顔にどう対応していいのか分からない。
「……とかって、用はあったんですけど。食事の用意ができたので、冷めないうちに早く来てくださいねっ」
戸惑っているうちにまくし立てられてびしっと指を突きつけられて、……これは怒るべきだろうか。
困っているはずが、単ににらみつけているかもしくは無表情か。ハタから見たらきっとそんな顔で、普通の女なら彼のその顔に怖がって逃げるのに。
「アルベルさん?」
「……ああ」
ぐぐっと詰められた距離を顔をしかめて逃げながら、仕方なくアルベルは小さくうなずいた。それに満足した彼女が小走りに去っていくのを何となく見送りながら、自覚する前に安堵の息を漏らしていて、
「早くしてくださいねー!」
「うるせえ!!」
少し離れてからくるっと振り返ってのダメ押しに、びくっとはねたアルベルは思わず怒鳴り声を返す。その声に怯えるどころか、なぜかくすくすと彼女は笑っている。
まったく勝手が違って、アルベルはどうしていいのか分からない。
アルベルは少女が怖かった。
未知の生きものがどうにも怖くて、目を離すことも突き放すこともできなかった。華奢で脆くて儚い身体しか持たない、そのくせ精神面では彼よりもずっとずっと強い少女が、見えないところで危険な目に会うことがなぜか怖かった。常に女子供には怯えられてきた彼になぜかなついた少女が、彼のせいで嫌な目に遭うことがなぜか怖かった。
ひねくれた性格は怯えを表面に出したりはしなかったけれど、屈託のない笑みを向けられるたびに何かが怖くて。
――訂正する、少女そのものが怖いわけではない。
怖いのは、どうにもアルベルが怖かったのは、
分からなかったけれど、……ただ、正体が分かったときには遅すぎる。
そういった種類のモノだということだけは分かっていて。
――……!!
赤いあかい風景。向けられた、どこか安堵したような顔。
その向こうから迫りくる「怖いもの」。
最初はアルベルが標的だったそれから、安堵の顔の主が彼を突き飛ばしたのかその軌道上に出たのか、
分かるのは、
分かったのは、かばい返すだけの余裕がないことで、何をする余裕もないことで、
――このままでは、
「怖いもの」が襲うのはアルベルではなく彼をかばった、
いつまで経っても、といってもそんなに長時間ではないものの、いつまで経ってもアルベルがやってこないので。ぷんぷんしながらソフィアはまた彼の元に小走りに近付いた。
赤い西陽の中、果たして彼は昼寝の真っ最中で。
――戦いがないときは、いつもこうだとソフィアは呆れの息を吐く。
ソフィアは何の気なしに彼の肩をつかむと、特に深く考えずにがくがくと揺する。
「アルベルさんっ! 起きてください、こんなところでこんな時間に寝ちゃだめですよ、アルベルさん!!」
長い前髪にうつむいた彼の顔は見えなかったけれど、いつものようにぐーたらしているだけと思い込んでいたから、
「あるべるさ、」
「…………っ!!!!」
思い混んでいたから、かっと見開かれた緋色の目にびっくりした。びっくりしたけれど、それは夢を中断されたせいだと思ったので、
「アルベルさんっ、もー、早くしてくださいねって言ったのに、
……?」
思ったのに、アルベルの顔色が紙のように白いことや、その額に冷たい汗がびっしり浮いていることに気付いて。目を開けた今も、呆然と瞬く今もどうやら彼は夢から醒めきっていないらしいことに気付いて目の焦点がまるで合っていないことに気付いて。
ソフィアはとりあえず、こくんと首を傾げてみた。
「アルベルさん……どうか、しましたか?」
「……」
「変な時間に寝ていたせいで変な夢でもみ、」
ぎしぎしぎし、まるで壊れかけたロボットのように。ぎごちない動きでソフィアに顔を向けて、呆然と瞬くアルベル。西陽のせいで顔色はいまいち分からないけれど、たぶんそれほど良くはない。というかこの人は元から顔色が悪い。
「……アルベルさ、……!?」
大丈夫ですか、と続けようとした声は。変なところでブツ切れる。
「……っ」
あたたかかった。
そっと腕に抱きしめた身体は、思ったよりも華奢だったけれど思ったよりも脆かったけれど、確かにあたたかかった。耳よりもむしろ身体で、彼女の鼓動を感じとる。確かに生きている音を聞き取る。
――とても、安心する。
「あ、あのあのあのっ、アルベルさんっ!!??」
「……!?」
あわてた声――に一番あわてたのはきっとアルベルだった。夢半分で、悪夢から醒めきれていなかったせいで、そういう理由付けでソフィアを抱きしめていて。はっと我に返ったときにはそんな状態で、それ以前に自分が何をしたかの記憶がすっぱり抜け落ちていて。
「っ、あ、」
「いえ、いいんですちょっと寝ぼけただけですよね? だからそれはいいんですけどあのあの、なんだかその、」
もごもごとつぶやく少女をどうしていいのか分からない。実際触れてみたなら、抱きしめてみたなら少女は思っていたよりもずっと儚い印象を、
――じゃなくて、
そうではない、そうではなくて!
――醒めていると思ったけど、けっこう情熱的な人だなあ。
がっしり抱きかかえられているおかげでまるで動けないソフィアの頭の中が、そんなことを思った。きっと誰かと勘違いしているとか、下手すると何かの格闘技の夢を見ていたせいだとか、そんなものだろうと思っていた。
なにしろ、彼女の基準は幼馴染のフェイトで。彼はよく、バーチャルリアルのゲームと現実とを、こと寝ぼけたときには混同する癖があったから。
だから、そう思っていた。
見た目は鋭利な刃物のようで、女顔負けのきれいな顔立ちをしていて、戦闘中はハイになっているおかげでなんだか怖いけれど、そうでないときは言動の割に紳士的で細身の身体だけれど思った以上に筋力まであって、
それで、それで。
――いまだ抱きかかえられているソフィアは混乱中。
目をぐるぐるさせる彼女に、何か声が聞こえた。
「……?」
身代わりになるな、お前は俺の身代わりになるな、だとか。そういったことを。なんだかつぶやかれていることに気が付いた。
「あの……?」
そして前触れなくいきなり力が抜けて、どん、と乱暴に突き飛ばされて、
「アルベルさん、あの、」
「――悪かったな」
もごもご、言われた声が離れてしまった身体がなんだか切なくて、
「あの、」
「忘れろ」
命令する声が、その語尾が。
なんだか震えていたのが、ソフィアはなぜか嬉しかった。
