ひとり足手まといで、安全な場所でただ見ているしかなかったから。
だから、「その瞬間」を見ていた。見ていながら何もできない自分が歯がゆかった。悔しかった。……哀しかった。淋しかった。
なんとか戦闘が終わって満身創痍の彼に。何かをしたかったけれど、それさえできなくて。

―― Lahmen

「……アルベルさん?」
彼女の目には珍しい木製の扉を叩いて、ソフィアは声をかけた。返事はなかったけれど待っていたところで返事がくるわけがないと知っていたから、何となく居心地の悪い気分でドアノブを回して、部屋の中にぴょこんと首を突き出す。
この前一度、着替え最中だったことがあって。びっくりしたソフィアが大音量の悲鳴を上げて逃げ帰ったことがあったけれど。
ともあれ今日は、部屋の中、ベッドに向かって部屋の主の後ろ姿がある。仁王立ちになっていて――少しうつむいている。いつもなら部屋を取ってすぐに外す防具は、今日はまだ身につけたままだった。珍しいなと思いながら、こちらを見ないアルベルに少し迷ってから、
「あの、夕飯の用意できました。食堂の方に、」
「……いらねえ」
「……?」
細身の身体のくせに、アルベルはよく食べる。ソフィアがパーティに入ってそんなに経っていないけれど、知っている限り今まで彼が食事を要らないと言うなんて、

「……アルベルさん?」
「しつこい」
それきり黙ってしまって時間だけが過ぎていく。先ほどのあれはいっそ空耳かと疑って訊ねれば、不機嫌そのものの返事。低く唸られてびくんと身をすくませて、けれどソフィアがきゅっと眉を吊り上げる。
「ダメですよっ! 今日もたくさん戦って、血とかいっぱい流してて!! 食べないと血が作れなくて、貧血で倒れちゃいますよ!?」
「んなヤワなつくりしてねえよ。とっとと向こう行ってろ、邪魔だ」
「ダメですってばっ!」
追い払われかけて、けれどソフィアは一歩も引かない。大体、こちらを向いてにらみ付けてくるならともかく。相変わらずの向こうを向いた姿で、多少はこちらを向いたのか口元は見えたけれど。長い前髪であの鋭くてきれいな眼が見えないなら、あの目でにらみつけられなければ怖くないから、ソフィアは引いたりしない。
――どうすればソフィアが引き下がるか知っているくせに。引き下がってしまうか知っているくせに。向こうを向いたままでソフィアを見ないままで、だったらソフィアにも意地がある。
絶対に、このまま引き下がったりしない。
「アルベルさんっ!!」
「……るせえ」
「こ、怖くないんだからっ! せめてちゃんと理由言ってくれなきゃ、それに納得できなきゃ引き下がりませんからねっ!!」
元から低かった声がさらに低くなって、目は相変わらず彼女を見ないけれど、なんだか怖くなって。怖くなったけれど、ソフィアは脚に力を入れる。怖いけれど、たとえ怖くなったところで。
――アルベルは、彼女を傷付けたりしない。
知っているから、引き下がらない。ずかずかと彼の元に歩いていく。

◇◆◇◆◇◆

「てめ、」
「昼間の――夕方の戦闘のとき、ですよね? 何があったんですか、毒ですか??」
向こうに行けと言った彼の言葉を無視して。むしろ至近距離までずかずか近付いてきた少女が、ためらいなくアルベルの腕を抱え込んだ。
左手――ガントレット。鉄でできた爪は、少女のやわらかな皮膚などあっという間にずたずたにする。
下手に動くことができなくなって、アルベルはぎしっと歯を食いしばる。
「てめ……」
「毒か麻痺、ですね?」
――何も言っていない。ばれるような動きも見せなかった。
そのはずなのに、カマかけかもしれない言葉に思わずぎくりとアルベルは身を震わせて。ガントレットごしとはいえ、腕をかかえた密着状態の少女にそれは伝わってしまったようで。
「回復薬――解毒が微妙に効かなかったんですね……。
すいませんアルベルさん、わたしが解毒の呪紋使えたらこんなのすぐに、」
「勝手に話を決めつけるなクソ虫がっ!」
低く唸ればびくりと震える。至近距離でにらみつければみるみる顔から血の気引いていって、ひとたまりもなく震え出す。
けれど、そこまで怯えても彼の腕を拘束する力は緩まない。
大した枷でもないそれを、なぜかアルベルは引きちぎることができない。

◇◆◇◆◇◆

その言葉どおりだ。
かちかちかち、震えて鳴る歯をぐっとかみ締めて、恐怖から涙目になった少女がにらみ返してくる。――この、よわっちい少女の言葉どおりだ。
夕方――今日最後の、町に入る直前の戦闘で。数が多いやつらに不意討ちを食らって、戦闘に入りぎわしょっぱな麻痺効果の一撃を受けた。じん、しびれた腕は抜け目ない隠密が投げ付けてきた薬で回復したものの、だから以後の戦闘中は普通に動き回っていたものの。薬が少なかったのかそれとも体質か、麻痺が微妙に身体に残った。
大したことではないと、思う。
麻痺毒が残ったといっても、それは少ししびれている程度。一晩寝れば特になにごともなく回復する程度。わざわざアイテムを消費するほどでもない、誰かに恥を広めるつもりはさらにない。
ただ、たとえば指先にしびれは大きくて。握力もほぼゼロで、だからたかがガントレットをはずす、軽鎧をはずすだけが、なかなかどうして難しくて。このまま食事に行ったところで、まともにスプーンの類を操ることができるか怪しくて。
胃は不平の声を上げそうになっている。それでも意地とプライドで腹筋に力を入れて、目の前の少女に知られるなら死んだ方がマシだった。

◇◆◇◆◇◆

「麻痺……ですね」
「てめえは、」
「アルベルさん嘘下手なんですから! ダメです、だまされてなんかあげないっ、待っていてください何かアイテムを、」
「っ!」
腕を振り回すようにソフィアの身体をなぎ払って、一瞬たたらを踏んだ細い足元をさらう。ぼすっ、鈍い音を立てて彼女がベッドに沈んで、勢い離され自由になったガントレットを、彼女ののどの脇に置く。
アルベルの体重で、手が置かれた分だけ沈み込むベッド。いっぱいに翡翠が見開かれて、血の気の戻っていない顔がさらに青くなって、
「……余計な真似、するんじゃねえ」
「で、」
ずいと顔を近づければ、華奢な身体が強張った。最初から浮かんでいた涙がみるみる大きさを増して、ぽろり、頬を伝って落ちていく。
ここまでやれば泣いて許しを請うてくると思っていたのが――少女の目に、まだ力はあった。
「……だったら、アルベルさんの分の夕食持ってきます。持ってきますからこの部屋で食べてください。ダメです、食べなきゃ……食べなきゃ、生きなきゃダメです……っ!」
泣きながら、ぽろぽろ涙をこぼしながら。
それでも彼女は、最後の最後で一歩も引かない。

◇◆◇◆◇◆

パーティに入ったとき、周囲の人間たちはとんでもなく強かった。「仲間」なんて言葉がはばかられるくらい強かった。ずっと一緒に育った幼馴染さえ以前とはまるで別人のように、ソフィアにはどんなにがんばっても全然歯が立たない敵をなんでもないように倒していく。
まわりがそれだけ強いから、危険だから足手まといだからと戦闘に出してもらえなくて。いつだって安全な場所から眺めているしかなくて、経験を積まなければ強くなりようもなくて。
戦闘では、まるで役に立てないから。
全部見ていて注意の声を上げようにも、怯えた舌はのどの奥に張り付いて声さえ出せないから。
声さえ上げることのできない、情けない自分を知ってしまったから。

◇◆◇◆◇◆

ぱたぱたぱた、両手に抱えられるだけの食事を抱えてソフィアは廊下を走る――まではいかなくてもかなりの早足でアルベルの部屋に戻る。幼馴染はあきれていたけれど、そんなに親切にする価値があの男にあるかしらと青髪の女参謀はぼやいていたけれど、
ソフィアにできるのは、たったそれだけだから。
誰よりも自分の力のなさを知っていて、でもこの旅に自分の持っている特殊能力が必要だとも知っていて、だからどれだけ自分の無力さを痛感してもパーティについていく必要があって。
全部分かっていて、何もできない自分に歯噛みしながら。

――何もできないそんな自分に、できることがあるなら。
――何もできないそんな自分が、なんであれ必要とされるのなら。

◇◆◇◆◇◆

――だからってなんでこうなるんだ。
アルベルは重く息を吐き出した。
目の前には真剣この上ない顔でスプーンを握って、シチューなどをすくったそれを握って彼の口元に差し出してくる少女。反応に困って凍りついて脱力する彼をまるでものともしない、真面目この上ない少女の姿。
「……おい」
「身体、麻痺してるんですよね? 大丈夫です、この部屋にはわたしとアルベルさんだけですから。わたしが何も言わなければ、みんな知りようがないですから」
……いや、そうではなくて。
何をどう言えばいいのか、まるで予想を超えた行動をしでかす少女にアルベルの脳みそは働いてくれない。

弱いのはともかく、一生懸命にちんまいのが走り回るのは微笑ましいので、アルベルの中で少女に悪印象はない。時々暴走するし口うるさいときもあるし妙におどおどしているのが腹立たしくて怒鳴りつけることもあるけれど、嫌い、というほどではない。
今だって、戦闘で役立たずの自分がそれでもできることを、といういじらしさにはいっそ好感を抱くけれど、
けれど、
「はい、あーん。……大丈夫ですよ、十分冷ましました」
――目の前で見てるからんなこた知ってる。
かいがいしく吹き冷ましているのを見ているから、言われなくても分かっているし、だからどうして良いか分からないでこうして固まっているのに。

――何かがおかしいことに気付けこの阿呆!
がんばりが空回っていることに気付かないソフィアが、アルベルの口元にスプーンを突きつけた。そこまでしなくても食べられることをアピールしたいのに、焦るアルベルはまるで動けない。
「アルベルさん?」
計算ではなく、小動物のように小首を傾げる少女を。愛らしい彼女を。
アルベルは彼なりに認めているし、嫌ってはいないし、むしろ好いてさえいるかもしれないけれど。
「はい」

――せめてその極上の笑顔は止めろ!!
ようやく彼が怒鳴ったのは、シチューの皿が空になったあとだったらしい。

―― End ――
2005/10/13UP
アルベル×ソフィア
OFP
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Lahmen
[最終修正 - 2024/06/21-11:32]