好きな人に呼んでもらうために、名前はあるのだと思う。
好きな人に呼んでもらえないなら、名前に意味なんてないと思う。

―― Rufen mein Name

ソフィアが、風邪に倒れた。
……考えてみれば当然かもしれない。今まで平和そのものの世界にいて、戦いの場、その空気さえ知らなかった少女だ。戦場に立つだけで体力精神力気力、その他もろもろをおおいに削って。プラス風邪を引いた人間と接触――おそらく買い出しのときにでも、風邪を引いた町の人間に近付いたとか、さらには話をしたとかで。
たったそんなきっかけで、けれどそれが決定的な原因で。
風邪を、引いてしまったのだと思う。

◇◆◇◆◇◆

「アルベルさん……ごめんなさい」
か細い、かすれきった声が上がって、それが自分の口から出たとはまるで信じられなかった。もしかしたら聞き間違い、気のせいかと無視されそうなそんな声に、しかし名前を呼ばれた長身細身の男の顔が彼女の方を向く。
いつでも鋭い整った顔立ちが、なんだか怒っているように見えて。
ソフィアは布団に顔を埋める。
「ごめんなさい、わたし、」
「……黙ってろ」
いいわけは聞く気がないとばっさり斬り捨てられて、たった一言でもう何も言えなくなった。弱った心が熱で潤んだ目にさらに涙を呼んで、ソフィアはほろほろと泣く自分に驚く。
ぼろぼろこぼれ落ちる涙に、アルベルがぎょっとする。

◇◆◇◆◇◆

「ちが、……ちがうんです、いまはねつが、」
頬と耳を赤くして、けれどそれ以外はぞっとするほど白い顔の少女が、なにごとかもごもごと言おうとした。けれど弱ったのどに声はつらいだろうと思って、アルベルは再び黙るように言う。
泣きながら少女が、厚くかぶった布団に細いあごを埋める。
それは、なんだか弱い者いじめをしている錯覚を呼んで。
違うと自分の考えを否定して、アルベルは息を吐く。

風邪を引いた、それそのものは軟弱だと思う。
それがたとえ戦闘慣れしていないソフィアだろうが、仮に自分が同じ目にあったとして、けれどやはり同じことを思うはずだ。
鍛え方が足りない、注意力が足りない、体力が足りない。
あれこれ足りないものにげんなりするはずだ、けれど。
けれどそれがソフィアなら、仮にも彼と恋仲の少女なら。何ができるとも思えなかったけれど、そばについていてやりたいと思うし、うつして治るものなら遠慮なくうつせば良いと思う。
不器用なことは、気が利かないことは自覚している。
だからそれが今の自分にできる精一杯だと、精一杯の優しさだと、
――けれどそんなことを、言って伝えるわけにもいかなくて。

「寝てろ、……薬湯はさっき呑んでたな、あとはただ寝てろ。寝て、とっとと癒せ。
……謝る必要なんざねえよ」
何をどう言えばいいのか分からなくて、けれどいまだほろほろ涙をこぼす少女に言葉をかけてやりたくて。できるなら、なぐさめてやりたくて。泣きやんでほしくて。
不器用な自分なりに、精一杯の不器用な優しさを。
この部屋に他の人間がいないから、無理やりでも吐き出してみる。
「……あのな、」

◇◆◇◆◇◆

――あのな、
何かを言いかけて、しかし言葉は続かなかった。刀を、武器を握り慣れた筋張った手が彼女の頬に触れて、次々こぼれ落ちる涙を、信じられないほどやさしくぬぐい取ってくれる。
熱がすっかり回って、朦朧とした頭がそんな彼をやさしいと思った。
……だったら、このやさしさに甘えてみても良いだろうか。
……いつも思って、願っていることをこの機会にお願いしてみても、良いだろうか。

それはとても些細なことで、
けれど改めて願うにはずいぶん大それたことだけれど。

◇◆◇◆◇◆

彼女の頬をこぼれる涙は、ずいぶん勢いはゆっくりになったけれど、なかなか止まらない。それをぬぐうことに夢中になるふりをして、そうして時間を稼いで。覚悟を決めようともがく情けない彼に、もっと他の人間のようにやさしくしてやりたいと思う彼に。
掠れた声が、また甘く彼を呼んだ。
「……なんだ」
本当は、喉が痛いだろうから何も言うなと言いたいのに。もう一度だって何度だって言いたいのに。
掠れていようが、熱に浮かされていようが彼女の声は彼の耳に甘い。甘くて、逆らえないし聞くほどにもっと聞きたいと思ってしまう。

自分のエゴが醜くて眉を寄せれば、どう解釈したのか小さな顔が布団に隠れようとした。そうではないと息を吐いて、ここで笑いかけてやれば良いと分かっているのに、顔は笑い方を忘れている。
つくづく足りない自分にさらに息を吐こうと思ったら、少女が、
――ぽつり、願ってきた。

それは、
……それはとても些細なことで。
なぜ今、それほどまでに緊張して願ってくるのかが分からない。
ただ、願われてしまえばそれに応えないわけにはいかなくて。
熱に染まった耳元に顔を唇と近付けると、

◇◆◇◆◇◆

「……アルベル、さん……」
熱に浮かされたかすれた声が呼ぶ。
「アルベルさん……っ」
潤んだ目で染めた頬で、ただでさえ愛らしい彼女が必死に呼んでいる。
「ある……、っ」
ここにいてやるから、何度も願うならそのたびに応えてやるから。
――名前を呼んでほしい、そんな些細な願いなら、いくらでもかなえてやるから。

――好きな人に呼んでもらうために、名前はあるのだと思う。
――好きな人に呼んでもらえないなら、名前に意味なんてないと思う。

いつか聞いた少女の声が耳元に甦って、
たったそれだけの願いを、自分がどれだけかなえてやっていなかったかを思い知って。
アルベルは熱っぽい狭い額に自分の手をそっと置いて、
その手に熱全部が移れば良いのにと思いながら。

彼女の耳元に、彼女だけに聞こえるように。
またそっと、つぶやいた。
彼女の名前を、滅多に呼ばないその単語を。
――ここにいてやるから、そんな言葉も取り混ぜながら、
ただ、

―― End ――
2005/12/09UP
アルベル×ソフィア
OFP
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Rufen mein Name
[最終修正 - 2024/06/21-11:33]