強い強い、まなざしは。
決して「穏やか」と言うことはできないのかもしれないけれど。
険しい山道、真っ白な雪に周囲全部が埋まった峠を越えて、開けた先にあったのは白の雪の中に黒く固まった、ひとつの街だった。よーしあと一踏ん張りだと幼馴染のパーティリーダーが無闇に元気な声を上げて、おー、いかにもやる気なく声が上がって。
ソフィアはふと、彼女よりも数歩後ろを歩く長身細身の青年を振り返っていた。
いつだって血に植えたケモノのような、最近はだいぶ怯えなくなったものの、それでもまだソフィアには時々怖いアルベルが。ひどく強いまなざしで、白に黒いその街を見ている。
「……あの、この先……今日の目的地って、」
「アーリグリフ。――俺の、国だ」
どう話しかければいいのか分からなくて、ためらったあげくそんな風に切り出せば。ぶっきらぼうだったけれど、返事がちゃんとあってソフィアは少し安心した。気分屋なこの剣士は、機嫌が悪いとまるで返事をしてくれない。聞こえていないのかと何度かくり返せば、うるせえなどと怒鳴られる。
だから、安心して――違う、そうじゃないとソフィアはふるふる首を振る。
「ええと、アルベルさんの、出身地……なんですか?」
「お前俺を、――違うか、聞いてねえのかよ。
俺の出身はカルサア、――この前出てきたあの鉱山だらけのホコリっぽい町だ。アーリグリフには、王がいる。このアーリグリフの王都がこの先にある」
「? はい……??」
根本的な情報がいくつか抜けていて、なんとなく分かったような気がするものの、実のところよく分からない。生返事に見上げた横顔が少しむっとなって、けれどとりあえずのため息が一つ降ってくる。
「……アーリグリフには大きく三つの軍部隊がある。疾風と風雷と、……俺は重装歩兵部隊漆黒の長だ。……それは知ってんのか」
彼にとってはまるで異世界から、この少女がやってきてまだ日が浅い。考えてみればアルベルが異世界の世界情勢を知らないように、この少女がこの国、アーリグリフやらシーハーツやらに詳しいはずがない。
――まあ、ちゃんと聞く耳持って好奇心をたたえた目が向くのは嫌な気分ではない。
――たった数日で、彼の心をだいぶ根こそぎ持っていった少女からの目と思えば、その気持ちはさらに大きい。
気恥ずかしいけれど、居心地悪いけれど。それは、確かだったので。
改めて説明するとなると意外と難しい、くだらねえ、脳内がぶちぶち言うもののとりあえず。そもそもどこまで知っているのかと水を向けてみれば、少女はどこかのんびりと首をかしげて、
「え、ええと……かる、さあ? で訪ねたお屋敷のおじいちゃんが、何かそんなこと、言っていましたよね??」
「おじ……いや、なんでもねえ。
俺とウォルターのクソジジイ、あとは戦死したヴォックスってクソ虫がそれぞれ軍を引っ張って、王に仕えている。まあ、言ってみりゃ総指揮官が、」
「……アルベルさんの上司のひと、ですか?」
「そんなもんだ」
つくづく何を話しているのかと、アルベルは重い頭を抱えて息を吐き出した。ソフィアに言わせると、単語のそれぞれがひどく違う印象の言葉になって返ってくる。同じことを言っているにしても、それはなんだか……面倒くさくて、
「その王がいるのが、アーリグリフだ。分かったか」
話がうろうろした割に分かりきった結論を出せば、なるほど、と少女がうなずいた。目が、まだ遠いアーリグリフを向く。なるほど、とさらに妙に納得しながら、翡翠色の目はアルベルが凝視していることに気付かない。
「……アルベルさん、ここに来るの久しぶりですよね? やっぱり懐かしいですか??」
「クソ寒ィのさえなけりゃな」
さくさくと雪を踏みながら、何となくのんびり声を上げれば。返事はすぐに、たったそれだけが妙に嬉しい。ちらりと見やればアルベルとの距離が先ほどよりも一歩ほど近くなっていて、それがソフィアにはくすぐったくて嬉しい。
吐く息が白くて、吸うたびに肺が痛い。完全に気温が気候が気象が調整されていた地球にくらべれば、そしてさらにこの地は厳しいのだと、思うけれど。
それでも、こうして二人、並んで歩くことができる嬉しさはきっとかわらなくて。
盗み見た、緋色の目のまっすぐさにどきりとした。
どこまでも真剣な緋色に、彼女を見ているのではないと分かっているけれど、なんだかくらくらする。
その目が見ているのは、この向こうにあるというアーリグリフではないような気がする。
何となく、「明日」をにらんでいるような。そんな感じがする。
「アルベルさんは、」
どきどきのまま、よく考えないままに言葉が出ていて。
「アルベルさんは、この国が好きですか?」
そんなことを、訊ねていて。
また一歩、アルベルに近付いてみて。気付いていないだけかもしれないけれど、怒られない、離れていかないのが何となくやはりどきどきする。
いっそ、こんな目を向けられるアーリグリフの街が何となくうらやましくて、
うらやましいと思ってしまう自分が、自分でも馬鹿みたいで。
「……アルベルさんて、実は偉いひとだったんですね」
いつの間にか少しずつ距離が近い少女が、そんな風に言った。言って、はにかんだように笑った。ちらちらと視線が注意が時々向いて、それにアルベルが気付いていないとでも思っているのだろうか。
まっすぐな視線に見られる価値がないと自分を戒めるアルベルには、やはり気付いていないのだろうか。
「……阿呆」
言って、くしゃりと栗色の髪をかき混ぜれば。さらりと逃げる感覚はきっと少女と同じで、当の本人はぐしゃぐしゃにしないでください、止めてくださいよぅと頬を膨らませていて。
――いきなりこちらを向いた緋色の視線は、いくらか丸い。
――先ほど街を見ていたときと、何かが違う。
どきどきいう心臓を気付かれないように押さえつけて、ソフィアはちょっと笑ってみる。
強い強い、まなざしは。
決して「穏やか」と言うことはできないのかもしれないけれど。
――あの視線で、いつか見つめられたらと思うと心臓がはねる。
――きっと「未来」を見据える目で、見てもらえたなら。
――強くて厳しい、けれど着実な彼の未来に。
――その未来に、自分がいられたなら。
思えば思うほど、心臓が加速していく。
二人の距離は、あと二歩ほどでゼロになる。
