あいつを幸せにする自信があるか、と訊ねられて。
即答が――肯定が、
……できなかった。

―― Grenzenlos

「……何の用だ」
「別に? 誰もお前になんて用はないよ」
低いうめきに、言葉とは反対にちゃっかり道を――彼の行方をふさいだ青年に。アルベルはただ、すっと目を細くした。その言葉を信じることにして一回、やはり嘘かと思いながら二回。明らかに先を急ぐ身を邪魔されて、元から気が短いけれど、たった三回目にして彼はあっさり臨界点を突破する。
ないとどうにも落ち着かないから、という自分でも馬鹿げた理由で腰に佩いていた剣を引き抜いて。そのまま斬り付けたなら、がきん、鋭い音と共に鍔迫り合いになって。
「うん。お前がどこで何をしようと僕には関係ないけどさ」
――だったらとっととそこをどきやがれ、と怒鳴り声を張り上げるよりも早く。
「……ソフィアに逢いに行くっていうなら、とことん邪魔するよ」
にっこり、神経を逆なでする見事な笑みと共に。剣に込められていた力が、ぐっと増した。

◇◆◇◆◇◆

それはたとえば、一目惚れ、などと呼ばれるモノではないと思う。最初は確かに彼女は彼にとって何の感慨も抱かせない、いてもいなくても同じ、そんなどうでもいい存在でしかなかった。それは確かだ。
けれど最初はそうだったけれど。気付けば後戻りできないほどに想いが深くなっていて、どうしようもなく心焦がれる自分がいて。
自覚した瞬間、まずその心を否定した。気の迷いだと思い込もうとした。それが無理だと分かったあとは、自分が関わることで彼女を不幸に引きずり込むつもりかと――やはり心を否定して。
彼が我を通す性質だと思っている仲間には、きっとそれは滑稽だったことだろう。
けれどそれは――それだけ彼女の存在が、彼の中で大きかったから。踏み込み穢すのに心怯えるほど、彼女を大切に大切に思うから。

惹かれる心を否定できない、けれどだからといって想いのままに動くこともできない。
今にも崩れそうな均衡を壊したのは、自分でも我慢することに慣れていない自覚のある彼ではなくて。彼に愛された、彼の選んだ。――無意識にもすさんだ彼の心を癒す栗色の髪の少女、その人。
引き寄せられる心を必死で押し戻そうと、気付かないふりをしようと、悟られないようにしようと。慣れない苦労に勝手に苦しむ彼に。同情からではなく、自分がそう望むのだからと。そう言って白い手を、さし出した。
一度でもタガが外れてしまえば後戻りができないからと、いっそ怯える彼に。だったらこの手を離さないでいてくださいと、彼女が、微笑んで。

◇◆◇◆◇◆

過去の自分の言葉どおり、今ではそばに彼女のいない時間がアルベルにはつらい。空気さえ薄くなったようにひどく呼吸が苦しい。
そう、だから――だから今日も、町に着いて宿を決めて荷物を落ち着けて、それがすんだら即座に彼女に会いに行こうと思ったのに、そうしようとしているのに。それなのにこの男は、彼女の幼馴染は。よく分からないことをほざいてそれを邪魔しよう、なんて、
半眼の視線の先、いつもの飄々とした態度で肩をすくめてみせる青年は、
「お前がどこの誰とくっつこうが離れようが、ああ、僕には関係ないよ」
――だったら、
「でも、別にお前はどうでもいいんだけどさ。
でもお前の相手がソフィアだっていうなら――僕の幼馴染なら。仕方ないじゃないか。ソフィアは他の誰とも違う、だから仕方ない、口を出すし手も足も出すさ」
どんな理屈だ、と思っても。剣に関して数ヶ月前まではずぶの素人だったという青年には、けれど今どこにも隙がない。――あるいは、ソフィアの関することだからだろうか。
「ソフィアのためなら馬に蹴られようが竜に食われようが、引き下がるつもりはないんだ。引き下がれない。……分かってるか? それだけ、僕の大切なひとにお前は手を出そうとしてるんだ……いや、もう出したのかな。
それはまあどっちでもいいけど」
笑みを浮かべていながら、その目は真剣そのもの。戦場とは違う、けれど変に粘度を増した空気がなんだかひどく身動きを制限するような、

それでも、アルベルだって決して冗談半分や――たとえばもてあそぶつもりなんて、最初からどこにもない。そのつもりならいちいち悩んだりしなかっただろうし、こうして邪魔されて、なお食い下がったりしない。
いいわけではなくそう思って、それをせめて宣言しようとして、
「……ああ、言っとくけどお前の愛を疑ってるとかじゃないからな。
お前が不器用なのは重々承知だし、ソフィアの見る目を疑うつもりはないよ。お前はきっと確かにソフィア一筋で一生終えるだろうし、僕がそれを気に食わないってのは、まあ別の話だ」
言おうとしたことをすでに青年は分かっていたようで、だったらなぜ、
「それは疑うつもりはない。――ていうか、そんなとこ疑うつもりなら、最初から絶対何をどうしたってお前を殺してる。
だから、そこじゃなくて、」
言葉と深く踏み込まれるのとが同時、剣で受けるよりも飛びすさる方を選んだアルベルに。向いた碧は、やはりどこまでも真剣だった。真剣で――重くて。息を吸ってもまるで空気が薄い、粘つく空気に呼吸がひどく苦しい。

「訊ねる――応えてみろよ、アルベル。
お前は、ソフィアを幸せにすることができるのか?」

◇◆◇◆◇◆

苦しい時にそう問われて――即答が、できなかった。

この身を犠牲にすることで彼女を守ることができる、そんな状況を望んでいる自分がいる。自己満足の中死を望む、そんな歪んだ欲求が自分にある。
分かっていて、見ていて目をそらしていたそれを、この男は突きつけてきた。
それをソフィアが望まないことを知っていて、それでもそんな状況を望むアルベルに。
容赦ない疑問を、突きつけてきた。

◇◆◇◆◇◆

「僕はさ、アルベル。ソフィアが幸せになるなら、何したって良いと思ってるんだ。
僕自身の手で彼女を幸せにできるなら喜んでそうするけど、それがたとえば僕でなくても、ちゃんとソフィアが幸せなら、僕はそれでかまわない。……そりゃ、もちろん嫌だけどさ」
突きつけられた詰問、突きつけられた剣。はねのけようにもなんだか体勢が不利で、いや、それ以上に身体が動かない。
底光りする碧、粘ついた空気。呑まれて捕らわれて、身動きがとれない。
「でも、あいつを幸せにできないようなやつに、そう答えられないやつに。……ソフィアを泣かせるようなやつに。任せられない、任せてたまるもんか。
こんなの単なるエゴだよ、けどな。
……けど、なあアルベル――答えろよ。お前は、」

◇◆◇◆◇◆

あいつを幸せにする自信があるか、と訊ねられて。
即答が――肯定が、
……できなかった。

目に浮かぶのはソフィアの笑顔、ソフィアの涙。浮かぶ情景はまるで統一性がなくて、彼の望む表情がどれなのか分からなくて。
アルベルの望みどおり、彼女を助けるために彼が生命を投げ出したなら。きっと彼女は哀しむ、そんなことだけは彼もちゃんと分かっていて。
ソフィアを幸せにしたい、ただただ純粋にそう望む男に彼女の幼馴染に、
――この、粘つく空気に。

たった一人に生命を捧げる、それはとてもたやすいことなのに。誓うのも、きっと実行するのも。とてもとてもたやすいことなのに。
たった一人を幸せにする、それは、
それは、なんて、

……なんて、

―― End ――
2006/05/18UP
アルベル×ソフィア
OFP
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Grenzenlos
[最終修正 - 2024/06/21-11:33]