同室のソフィアとスフレが、その日やけにきゃいきゃいと騒いでいるのが気になって。マリアは武器の点検をしながら声を上げた。
「……一体何事なの……? ずいぶん盛り上がっているじゃない」
本当は、隠す気がないらしい会話の端々に重要っぽい単語は聞こえていたものの、それが指す内容がよく分からなくて。つまみ上げた銃弾に歪みがないか目をすがめて確認する彼女に、やはりきゃあきゃあと笑い声を上げていた二人は、まったく同じタイミングで振り返った。
示し合わせているわけでもないのに、満面の笑みで揃って口を開く。
「……フェイト?」
「ん? ああ、マリア。――何かあった??」
ペターニの宿屋、廊下を歩いていた青髪の青年は、マリアの声に振り返るといつものような爽やかな笑みを浮かべた。それにつられて笑みを返してから、マリアは細い指を顎に当ててちょっと小首をかしげる。
「今日って、この町にいるのよね?」
「? うん。……三日間くらいはここでクリエイション三昧してアイテム作りためるつもりだけど」
「私がちょっと抜けても、別に困らないわね?」
「うーん……まあ、そうだね。何? どこかに何か用事??」
身体ごと向き直ったフェイトが彼女と同じように小首をかしげるのに、それが妙に愛らしく見えたマリアは少し目を細めた。口の端に笑みがにじむ。
「――用事ってほどじゃないけど。少し気になったことがあるから、ディプロに戻って検索かけようかと思って」
「ふうん?」
「多分ソフィアなりスフレなりに訊ねれば、きっと色々教えてくれるんでしょうけど。やっぱり調べごとって自分で資料当たらないと納得できないし」
要領を得ない彼女の言葉に、フェイトの首をかしげる角度がどんどん深くなる。
「何を調べるんだい? 僕も手伝おうか」
「ありがとう、でもいいわ」
かつり、とマリアの靴が音を立てた。フェイトの脇を行き過ぎながら、
「「タナバタ」の語源と意味と……あの子たちが騒いでいた理由を調べたいだけだから」
口を開きかけたフェイトに、にこりと微笑んでみせる。
「――今日中に戻るから、心配いらないわ」
さらりと流れる髪を押さえて、颯爽と外に向かう。
「……別に、本気で調べるほどのことでもなかったわね」
画面を流れていく文字を目に映しながら、マリアはディプロの自室でぽつりとつぶやいた。一度斜め読みした文章は、それなりの量はあったが要約すれば大したことがない。こうして改めて見ていても、別に目新しいことは何もない。
「馬鹿みたい」
パソコンの電源を落とそうとして、それでもふとプリントアウトしてみることにした。画面のすみにあるボタンをクリックすれば、瞬時に出てくる紙の束。今度こそパソコンの電源を落として、その紙の束をクリップでまとめて、もう一度ぱらぱらとめくってみる。
「――馬鹿みたい」
ばさり、机に投げ出して、どうせディプロに戻ってきたのだからと予備のマガジンを持っていくことにする。パーソナルブースをあさって取り出した、見た目よりもずしりと重い弾倉と、そして――結局その紙の束を手に、彼女は立ち上がった。忘れ物はないか、他に持っていくものはないかを頭の中でチェックしながら、ざっと部屋を見渡す。
無個性な室内は、整理されている分閑散としていた。
ため息をひとつ、荷物を抱えて部屋を出る。
「あら、フェイト……どうしたの?」
「ん? マリアを迎えに」
「必要ないわよ、小さな子供でもないし」
ドアが開いた瞬間、廊下に背を預けていた青年が目に映った。ぱちぱちと瞬けば、やはり爽やかに微笑んだフェイトがさりげなく距離を詰めて、何気なくマリアの手から荷物を攫う。軽くなった両手を思わず見下ろしてから、歩き出したフェイトの後をマリアはあわてて追った。
「調べものは、これだよね? 何かあった??」
器用に弾倉を脇に抱えて、プリントアウトした紙の束、一枚目に手をかける。目で訊ねられて別に隠すほどのものでもないのでマリアが頷けば、斜め読みに碧の目が動いた。
マリアの脳裏に、先ほどの文字の羅列がよみがえる。
――遠い遠い昔、地球のほんの一部にしか人が住んでいないころに生まれた伝説。
「何かっていうよりも、疑問が膨らんだわね」
「ふぅん?」
「だって、そうじゃない」
さらりと流されて、むっとなったマリアが唇を尖らせる。
「一番偉い神様が、ただの男女――こっちも神様だったかしら――にあれこれ手出し口出ししたこととか。そうして勝手にくっつけておいて、仕事をしないからって勝手に引き剥がしたりしたこととか。それなのに一年に一回だけ会わせてやるから、それを餌に真面目に働けって言ったこととか。
そんなことと、笹に願い札をぶら下げることの関連とか、」
「――それを、ソフィアやスフレが大騒ぎして実行しようとしている理由とか?」
資料を読み終わったのか、いつの間にか碧が笑いながら彼女を見ていて、憮然としたままうなずいた。きっと彼女の疑問の答えを全部知っている、そんなフェイトになんとなく腹が立つ。
転送室に着いて、マリエッタに転送を頼んでからもマリアはやはりむっとしていた。いつもの沈着冷静さが影を潜めて、なんとなく歳相応にもしかしたら歳よりも幼く、そんな拗ねているマリアが可愛くて、フェイトの顔はほころびっぱなしだった。
「何よ、にやにやして――だらしない顔」
「そうかな?」
ぱっと視界が切り替わって、イリスの野に出ていて。改めて荷物を抱え直しながらフェイトが言えば、マリアはむっと眉を寄せている。
「言いたいことがあるならはっきり言いなさい」
「別にそんなことないよ」
言いながら脚を踏み出せば、くるりと回り込まれて進路妨害された。どうにも不機嫌なマリアはしかしやはり可愛くて、フェイトは改めてくすりと笑みを漏らす。
「マリアも便乗すれば良いじゃないか。短冊に願いごと書いて、さりげなく――きっとソフィアがどこかに飾っている笹にぶら下げて」
「冗談じゃないわ」
ばっさり言い切るマリアは、――けれど、いつもの威圧感がなりを潜めている。
フェイトは気にせず一歩踏み出した。距離を詰められてひくりと震えた肩に、マリア本人は気付いているのだろうか。
「マリア……あのさ、」
「な、なによ?」
身構える彼女は、何だかいつもよりも脆く映る。
何をどう言えばいいのか、フェイトはちょっと考えてから荷物を左手にまとめて持ち直した。伸ばした右手に今度こそ間違いなく大きく震えるマリア、気にせずにその細い肩を抱く。かすかに緊張しているその顔を覗き込む。
「――前、……誰かと七夕やったんだろ?」
「そん、なわけ……っ、ないじゃない! あったら知っているはずだしそうならわざわざ調べにディプロに戻ったりなんか……っ」
「トレイター夫妻……「お父さん」「お母さん」と一緒に、七夕の祭りしたんじゃないのか?」
マリアの顔が強張った。動きの一切が、呼吸や瞬きまで凍り付いた。
「――でも、忘れたんだろ? ……覚えているのが、つらかったから」
「っ!!」
ぱしん!
軽い音、広がる痛み。がすん、重い音を立てて弾倉がフェイトの腕から零れ落ちて、ばさりと落ちた紙の束がぱらぱらと風にページをめくられる。張られた頬の痛みに少し顔をしかめたフェイトがゆっくりとマリアを見れば、自分の手の平を呆然と見下ろしているマリアの姿。
「――ごめん、言い方が悪かった」
その翠の目に透明な光が広がって、潤んであふれて、頬を伝って零れ落ちていく。フェイトの中に、罪悪感が膨れ上がっていく。
「ごめん、マリア」
調べものがあるのだと、そう言ったマリアに不安定を嗅ぎ取ったフェイトはいてもたってもいられなくなった。強すぎるから脆い、そんなマリアを放っておけなかった。
だから適当に理由を付けてディプロまでくっついていって、マリアの消えた部屋のドアをにらみながら廊下で突っ立って待っていた。クルーたち、特にマリアに好意を寄せている青年を威嚇して追い払って、ただ待っていた。
――放っておけなかった。けれど、どうすれば良いのかも分からなかった。
たった十二歳で両親と死に別れたマリアは、七年経った今でも深い深い心の傷を抱えている。その死の直前に、両親と血の繋がりのないことを知らされてしまえば、なおさら傷は深い。
――傷が、深いから。だから彼女は誰よりも強く在ろうとして、確かに強さを手に入れた。誰にも臆することのない心の強さを、威圧感さえ伴うリーダーの仮面を己のものにした。
表面だけ。
下手にそういう強さを手にしてしまったから、彼女の内面はいまだ血を流し続けている。強い心の内側で、自覚のない十二歳のままのマリアは声を殺して泣いている。己の弱さに気付けない彼女はそんな幼い自分の存在に気付かないで、ただ強く在ろうと上ばかり前ばかり見ていて――だから誰よりも強くて、どこまでも脆い。
フェイトは、いつからかそんな彼女に気付いてしまった。その儚さが気になって、目が離せなくなった。そして――その心配が別の気持ちに変わっていったことに、いつからだろう、気が付いた。
「七夕――昔、マリアは何を願ったんだい?」
「知らないわよ! しつこいわね……っ!!」
気丈に、どこまでも気丈にいつものように言い返すマリア。涙が散って、はじめて気がついたように己の頬に手を当てる。フェイトはそんなマリアをふわりと抱きしめる。
「!? フェ……」
「マリア」
びくびくと震えるマリアは痛々しくてけれど可愛くて、名前を呼べばフェイトを押し退けようとする腕が止まった。反射的に上げた顔、伝う涙を指で拭う。
まだ、思い出すのがつらいならそれも仕方ないと思う。思うけれど、どうせなら、
「なんて言えば良いのか分からないけど――マリア、別に語源も意味も気にしないでさ、せっかくの年に一度のお祭りなんだ。難しいことなんか忘れて楽しまないか?」
「な、……」
「大したことないよ。あんなの、適当な願いごと書いてぶら下げるだけだから。
――てより、戻ったら絶対にソフィアがうるさいから、どうせ付き合わされるなら楽しまなきゃ損だって」
何だかんだ言って、イベントごとには必ず巻き込んでくる幼馴染に苦笑する。そうしてから抱き心地のいい身体をそっと離して、まだ残っていた目の端の涙をゆっくりと拭い去る。
「何を願えばいいかな……やっぱり「背が伸びますように」かな?」
「そ、それでもまだ身長足りないの……っ?」
少しだけいつものマリアがのぞいて、嬉しくて少し淋しい。
「それじゃあ――大きく出て「世界平和」とか」
「……風呂敷広げすぎよ……てより、今の状況じゃ洒落にならないわ」
落とした弾倉と紙の束を拾い上げて、砂を払い落とす。戸惑うマリアは、もう少し。
「なんでもいいんだよ、罪のない子供のオマジナイだから。――そういう、軽い気持ちで良いんだからさ」
「……参加表明は、してないわよ」
「あいつの暴走かわすには、適当に付き合うフリした方が早いんだ。下手に拒否するといつまでもしつこいから」
女部屋に、どこからともなくきっと調達してくるだろう笹を想像してくすりと笑う。色とりどりの短冊を手に、メンバーを追いかけ回すだろう少女たちを想像してさらに笑う。
憮然とした表情のマリアは、いつもの彼女にだいぶ近い。
「気楽にいけばいいよ。別に意味なんかなくても、どうでもいい願いごと書いて飾り立てて、大騒ぎに便乗して笑ってれば終わりだし」
「……っ」
すたすたと歩き出せば、いかにも悔しい表情のマリアが後を追いかけてきた。その足音に目で振り返って、フェイトはまたにこりと笑った。
――気楽にいけばいい、焦る必要はない……過去を乗り越えるのは「今」である必要はない。じっくり克服していけばいい。
この気持ちを伝えるのも。
「――決めたわ」
「ん?」
「「誰かさんの腹黒がもう少しマシになりますように」!!」
「えー? 誰のこと??」
「今現在私の目の前で、分かっていながらすっとぼけている人のことかしらっ!」
――風にあおられて、紙の束がぱたぱたと揺れていた。笑い声が広がって、青い髪がさらさらと揺れていた。
