甘い、甘い甘い。甘いは嬉しい、甘いは幸せ。
甘いは……、
「……あのさ、マリア。ちょっといいかな?」
「……フェイト?」
――何?
訊ねたら曖昧な笑みが返ってきただけだった。そうして答えないままに背がこちらを向いて、あとをついてくるのが当然といった様子のフェイトに。
マリアはわざとらしく息を吐く。
「フェイト」
遠ざかろうとする――振り向かない背中にぶつかってこまかく散った冷ややかな声。一拍置いてからようやく振り向いた顔に邪気はなくて、ただ不思議そうに小首を傾げる。
マリアはもう一度息を吐く。
「あいにくだけど。
私は、あなたの幼馴染じゃないのよ。あの娘ほどあなたとの付き合いは長くないし、あの娘みたいに優しくもないし、あの娘と違って言わなくても分かってあげる趣味はないの。
だから質問にちゃんと答えなさい。私に一体何の用?」
――そんな、雨に濡れた子犬みたいな目をしたって無駄よ。
仁王立ちになって片手を腰に、反対の手で長い髪をかき上げて。マリアはどこまでも冷たい目でフェイトをにらみ付けた。
――何となく分かるけれど、分かってなんかあげない。こちらの都合を考えなしに、もの分かりの良いフリをするだけの男に、従ってなんかやらない。扱いづらい女、気位の高い女と、思うなら好きに思えばいい。望み通り、それがどうしたと鼻で笑ってあげるから。
挑戦的な、威圧するような目でにらんだなら。視界の先のきょとんとした顔が、ゆっくりと別のものに変わっていって、
「大したことじゃないんだ」
困ったような笑みに変わって。あからさまに不機嫌なマリアを、なだめるような笑みになって。仕方がないなあ折れてあげるよ、とばかりにいかにもあわてて駆け寄ってきて、
そうして、
「……ええと。甘いもの、好きだよねマリア?」
「――……そうね」
甘いものは確かに嫌いではないけれど。やはり分かっていないパーティリーダーの、どこまでも他意のない言葉に。笑顔に。
なんだかどっと疲れたマリアは投げやりにうなずいた。
――なんでも好きなものおごるからさ、マリアおすすめの店まで案内してくれないか?
――甘いもの……ケーキとかがいいかな。頼むよマリア。
いつもどおりのにこやかな、裏の読めない笑みで頼まれて。ただ何となく腹が立っただけで、これといって用事があるわけではないマリアは少し考えてから小さくうなずいた。
甘いものは好きだし。この時間帯なら、昼前のおやつの時間にぴったりだし。
そんなわけで。
商業の町、ペターニ。そろって青髪の二人が人ごみを縫って進む。
「……珍しいじゃない。まあ、別に詮索するつもりはないけど」
「ひどい言い草だな。実は僕のこと嫌いかい? マリア」
「そんなことはないわよ」
女顔の割に甘いものがあまり好きではないフェイトを、渋い顔をしたフェイトをちらりと横目で見やったマリアは肩をすくめた。
不信感を隠そうともしない。
……根拠も何もなしに疑っているわけではない。普段のフェイトといえば、
コーヒーは常にブラックだし、たとえば勾茶も濃くて苦いものが好きらしい。それは料理でも、カレーなら辛口だし、唐辛子の大量に入った赤い色の料理が好きだ。アルコールだって辛口のものが好みで、甘口の酒は酒ではないとでも言うようにいかにも不味そうに舐める程度。
まあ、他者の好みに口出ししないだけずいぶんマシではあるけれど。
そんな辛党の人間がいきなり甘味うんぬんと言い出したら、不審がらない方がおかしいとマリアは思う。絶対に裏がある。あるに決まっている。
ふと。
そうしてフェイトを氷の目線で見やっていたマリアは、居心地の悪さから少しずつ早足になった彼をいきなり呼び止めた。わけが分からなくて目を瞬くフェイトに、ここよ、と小さな看板を指す。
「この町で私が今一番好きな店。
個人経営の小さな店なの。限定生産で、毎日売りものが全部ハケたら店じまい」
「……そうなんだ。そういうので採算取れてるのかな?
ていうかこの道何度も通ってるけど全然気付かなかったよ、ここってケーキ屋だったんだ」
「いつもここ周辺通るたびにいいにおいしてたじゃない」
「気付かなかったんだ」
さわやかに笑う青年が、なんだかとても疲れる。疲れるので相手をするのをやめたマリアは、ただ無言でその店のドアをくぐる。
からころん、ドアベルがまろい音を立てて、店主とその奥方がにこやかに向かえてくれる。
「いらっしゃいませー」
「こんにちは。今日の分はまだあるかしら」
「ああ、お嬢さんお久しぶりです! そうですね、ここに並んでいるだけなら」
開店時間から少し経っていて、店内に他に客の姿はない。
たぶん開店直後の怒涛から一息吐いたころなのだろうと、いつの間にか常連になっていたマリアは思った。
ふっくらした笑顔の奥方が示した小さなショーケースには、ものによってはずいぶん数を減らしているものの、一応今日の全種類が並んでいる。少しかがんでそれを眺めながら、細い指を顎に当てたマリアが、ちょこっと小首を傾げる。
「何かおすすめってあるかしら?」
「そうですねえ、季節柄あそこにある果物のタルトとか。あ、でも今日はショコラの方もうまく仕上がったんですよ」
「お嬢さんは生クリーム好きだったでしょう? こっちのショートケーキもいいかもしれないですね。あとはブランデー平気でしたっけ?? これなんかはちょっと癖があるけど……」
十数種類ほどのケーキ一つひとつにマリアが目移りして、奥方と店主がのんびり口を出しては笑う。
それはたとえば、ソフィアの持つあのぽやぽやした雰囲気のように、なんだかほっとする空間で。
ケーキの味以上に、マリアはこの時間と空間がとても気に入っている。
こぢんまりとした店内には、小さいながらもテーブルがいくつか置いてある。奥方の淹れる勾茶はとても美味しい。
だから、いつものようにここで食べていこうかとマリアは思う。
思った、のに。
「じゃあ、包んでもらえますか? 全種類ひとつずつで」
少し居心地悪そうに入口に立っていたはずのフェイトが、いきなりにょっきり顔を出すとにこにこと注文した。のんびりした雰囲気がとたんにぶち壊されて、マリアがむっと唇を尖らせる。
「……フェイト、全種類、って……」
「どうせだから持って帰ってみんなで食べようよ」
――ね?
ここで食べていきたい、のワガママが言えなくて。そのかわりにと別の文句を言えば、さわやかな笑みが多分自覚なく、マリアの考えを拒否する。
ある意味では正論で、何も言えなくなったマリアがぐっと息を呑む。
そんなマリアにやはり気付かずに、注文しながら懐に入ったフェイトの手がそこから財布を取り出して、奥方はラッピングに取りかかっていて、もう持ち帰り決定になっていて。タイミングを逃がしたことを悟ったマリアは、今さら何も言えなくて。
――好き、ではない。
パーティを組んでだいぶ経った今、「仲間」としては信頼しているけれど。けれどあくまで「仲間」としてしかフェイトを見ないマリアの心を、その理由を。いらないところで変に鋭いくせに、こういうところではとても鈍いフェイトは、いつまでも気付かない。
ひくり、マリアのこめかみが引きつっている今も、フェイトはそれに気付かない。
――付き合い長いのにっ! 下手したら家族よりも長い時間一緒にいるのに、いまだにフェイとってわたしのこと分かってくれないんですよっ!?
マリアの脳裏に展開される、いつか――というかつい数日前、ソフィアが慣れない酒で酔っ払っていたときの風景。
――なんだかちょっと見ない間にたくましくなったなーとか思ったのにっ! 中身は変わらないどころかさらにひどくなっていて!!
いつもは酔う前につぶれるソフィアが、真っ赤な顔でわめいていた。
――凛々しくなったのに、外見だけは凛々しくなったのに外見だけしか変わってなくて! 今も、昨日からわたしがフェイトに怒っていること、気付いてないんです!!
わめいて嘆いて、逃げ遅れたマリアが悪いようにくってかかってきた。
――このまま怒って、怒り続けても、断言しますよ三日間は気付かないですっ! クリフさんやアルベルさんはもう気付いているのに……っ!!
うなずくしかできないマリアの手をがっしと掴んで、据わった目が怖かった。
――で、怒ってることに気付いたらお菓子持ってきて、それでわたしのゴキゲンうかがうんですよっ! 甘いもの食べさせればいつだって機嫌直ると思ってるんですよ!? フェイトの、フェイトの…………っ!!
「……ぃ……」
「え? なんだい、呼んだかい?? マリア」
ケーキ入りの大きな紙の箱を受け取りながら。やはりどうしても気付かないフェイトに、その笑顔に。
マリアがぶち切れた。
むしろどこか偉そうな誇らしそうな笑顔が、最後の引き金になった。
マリアの手が伸びる。がしっとフェイトの襟首を掴む、ぐいっと引き寄せる。驚きで動きの鈍いフェイトを、そのまままるでキスでもするような間近にまで引き寄せてから、
「この……っ、朴念仁!!」
鋭く端的に怒鳴りつけた。
フェイトの目がまん丸になる。
「……マリア?」
――いい加減にしなさいよ少しは事前に訊ねるとかしたらどうなのいきなり決め付けて好き勝手してそれを当然にしないでほしいわねたまには雰囲気ってものを読んでみなさいその理由を考えなさい言わないからって何も考えていないとか全部快く受け入れているだなんて考えない方が身のためよ想像力ってものを働かせてみなさいよ、
あなたのことを想っているあの娘が、可哀想とか思わないの!?
「いきなりどうかした?」
「……っ!!」
ずらずら考えて力いっぱいにらみ付けて、そうすれば何かを察するだろうと。思ったのに。
マリアがふるえる手をゆるく開くと、力を込めるあまり小刻みにふるえる手を無理矢理開くと、フェイトの服は呆気なく逃げていった。ずかずかと歩いて勢いよく店のドアを開いて、そのまま無言で外に出る。
ケーキ入りの箱を抱えたフェイトが、代金を支払っていたのだろう、やや間を空けてから小走りに寄ってきて、
「あの態度はないんじゃないかな」
言った。
むしろ怒ったように言った。
何も言い返したくなくて、怒りの元凶と顔も合わせたくなくて、つんと横を向けばむっと怒ったような気配。
――誰のせいよ!?
怒鳴る気力もない、怒鳴って指摘してあげる気も起きない。ほとぼりが冷めるまで瞬間的な怒りが収まるまで、放っておいてほしいのにやはりフェイトは気付かない。
えんえん小言をたれる。無視するマリアに不機嫌になってさらに小言が続く。悪循環にマリアの態度がどんどん悪くなる。
フェイトはどこまでも気付かない。
甘い、甘い甘い。甘いは嬉しい、甘いは幸せ。
でも、だからって。
それひとつで人生を渡っていけるほど、
世の中は、甘くない。
