彼女がいるなら。
彼女さえ、いるなら。

―― Gluck haben

そびえ立つ大扉を前に、一行は休憩を取っていた。
周辺のモンスターはすでに蹴散らしてあるので、そういう意味ではそれなりに気楽だった。呪文で体力を回復したり、アイテムで精神力を補給したり、ぼろぼろになった装備を交換したり。不安を紛らわせるようにおしゃべりを続けるメンバーとひたすら無言のメンバーと、きれいに二つに分かれていっそそれが見事だと思った。
それもまた、アリだと思う。
これが「最後の休憩」になるかもしれないし、ならないかもしれない。神殿めいた建物のような風景はただ延々と続いてあまり代わり映えしなくて、同じところをぐるぐる回っているような気分にさせるけれど。錯覚に違いない、すべての元凶スフィア社オーナーのルシファーの元へ、一歩ごとに着実に向かっているはずだ。
フェイトは大扉を見上げる。
この向こうにルシファーがいる、かもしれない。いないかもしれない、道が続くだけかもしれない。確かな情報など何一つなくて、けれどいつ最終決戦の場へ着いてもおかしくない今だから。
常に身構えているべきだと、思う。
思って、息を吐いて。
きっとわざとだろう、かつん、という足音に。ゆっくりと振り向いた。

◇◆◇◆◇◆

「……回復は?」
「さっきソフィアに呪紋かけてもらったよ。ほとんど全快した。……マリアは?」
「私は元々最前線に突っ込んでいく戦い方はしないから」
「でもさ、精神力削ってるように見えるよ」
「よく見てるわね、――精神活性剤飲んだらおつりがきたわ。
アイテムの残りはまだ?」
「ん、限界まで山ほど買い込んできたからさ。戦闘中に食べるわけない料理とか入れたら、まだまだ十分あるよ。それ抜かしても……うん、ここからペターニあたりだったら十分往復半くらいできそうだ」
「それは頼もしいわね」
口元に浮かぶ不敵な笑み、動揺の見えない整った顔。ただ、緊張しているときの癖が出ている、とフェイトは思った。緊張から、先ほどから意味もなく髪をいじっている。乱れていない髪を手櫛で梳いて、そんな自分の癖に気付いていないマリアはきっと平静どおりのつもりだろう。
でも、自分だってそれを笑う立場にあるはずがない。
今だって、いつもどおりのそんなに焦っているつもりのない今だって。見下ろせば、

「……はは、情けないな」
「フェイト?」
――何よいきなり。
マリアの眉が寄って、なんだかそれが人間じみて見えた。手の届かない芸術作品のようだった彼女が、フェイトの手の届くところにいたのだと妙なことを実感する。
フェイトは見上げるような大扉に目をやった。低く、
「――この向こうにはさ、ルシファーがいるかもしれないんだよな?」
「そうね、可能性はあるわ。普通の建物なら今まで歩いてきたところからアタリをつけるけど、ここは変な空間だからよく、」
「話し合いで全部が丸く収まれば良いけど、下手したら……僕らを消すためだけに銀河系の崩壊まで引き起こしたルシファーのことだから。十中八九、戦いになる」
彼女の言葉を遮ってのつぶやきに、むっとした不満の気配。ちらりと見れば不満そうに頬を膨らませていて、いつも落ち着いて大人っぽいマリアとは別人のようだ。
そんなことを思って、淡く笑って。フェイトはそんな彼女に、右のてのひらを差し出した。
「ははっ、情けないよな。そんなこと考えてたらさ、さっきから手が冷たいんだ。そのくせ汗はかいていて、べたべたして気持ち悪い。おまけに震えているしさ」
「さっきまで剣握っていたせいじゃないの?」
ちらりと彼の手を眺めて、ふいっと目線を外したマリアはまた髪をいじる。ゆるく空気の動きがかすかな風になって、二人の髪を服の裾を揺らして。フェイトは首を振ると、苦笑を顔に貼り付けたまま、そんな彼女の手に触れた。
「っ、ち、」
「そうかもしれないけど、きっとそれだけじゃないよ。ここまで来たんだ、って実感よりも、ここで全滅したらもうあとがないって方が大きい。
……怖いんだ。
格好悪いだろ?」
勢いできゅっと握りこんだ手は、小さかった。氷のように冷たくて、そして細かく震えていた。
――じっとりにじむ汗こそないもののまるで自分と同じだ。
驚いたフェイトが瞬くと、マリアはいつもの冷静な目でそんな彼を見ている。
「格好悪いわ」
そのままの目で、冷たく肯定されて。思考が凍り付いた瞬間を狙って手をもぎ離されて。

「格好悪いと、私は思うけど。でも、だから何?
負ければ死ぬだろうし、銀河系全部が消去されるでしょうね。人類全部の未来を背負っているんだもの、怖くない方がおかしいわ」
取り返した手をじっと見下ろして、マリアは口早につぶやいている。
――あるいは、それは自分に言い聞かせているのかもしれない。
「でも、私がこの力を持たなくて戦闘能力も低い一般人だったら。助けてもらうのをただ待つしかできないなら。
自分を救ってくれる相手は、そうやって小さなことに悩んで怖がっている「人間」の方がいいわ。機械みたいに感情の起伏も何もない、ただ腕っ節が強いだけの相手なんて。理解できない「神さま」と同じで、そんな相手に自分の生命を預けたくなんかない」
フェイトはもう一度目線を下ろす。見下ろしたてのひら、やはり冷たい、震えるてのひら。
「今さら成長のしようなんてないじゃない。気持ち一つで切りかえられるなら別だけど、無理を望んでも仕方がないじゃない。いいのよ、情けなくたって怖がっていたって。
だからって逃げ出さないなら、かまわないわよ」
――強い。
きっと怯えていて、きっと自分でも怯えていることを知っていて、それでもなお言い切ることができるマリアは強い。
フェイトは思う。
――先ほど触れた彼女の手、小さくてやわらかくて脆くて、彼女そのままのような手。
そんなに儚いのに、けれどマリアは強くて。すべてのマイナスを、ちゃんと知ってなお肯定することができる彼女は、本当に強い。

「自分がやってもいないことに文句を言う人間なんて最低だわ。「できない」からって最初から諦めて「やらない」くせに、不平不満ばかり言う馬鹿は切り捨てるべきよ。そんな人間が何を言おうと気にする価値なんかないし、耳を貸すだけ時間の無駄だわ」
きついことをきつい口調で言い切って、マリアがきゅっとこぶしを作った。
きっと誰よりも、この世界が「創られたプログラム」だということに嫌悪を示して、きっと誰よりもこの世界を案じてきた彼女が。フェイトの目には、いっそ神々しく映る。まぶしいものを見る目で眺めるフェイトに気付かないで、ただマリアはぶつぶつと、
「情けなくたって見苦しくたって、手段や方法がどうだって。「正解」なんて最初からないのよ。誰も本当に正しい答えなんか知らないし、分かるはずなんてない。
だったら自分が「正しい」と思うことをするしかないじゃない。
誰にも文句は言わせないわ」
あるいは怯える自分を鼓舞するように。きっとフェイトのためではなく、マリア自身のために。
鮮やかに言い切るマリアが、フェイトの目にはまぶしい。

◇◆◇◆◇◆

「きついこと言うなあマリア」
「間違っているとは思わないわよ」
「うん、それもアリだと思うよ」
フェイトはマリアの真似をするようにこぶしを作ってみた。かすかな震えは握りつぶされて、だからといって恐怖までなくなったわけではないけれど。

――幸運の女神は、マリアという名の彼の女神は今確かにここにいるから。

彼女がいるなら。
彼女さえ、いるなら。
がんばる、負けない。きっと大丈夫、なんとかなる。

「第一、負けたら一蓮托生、みんなあの世行きよ。誰にも批難する暇なんてないから気を楽にしてみたら?」
「……それって激しくやる気をそがれるよ……」
不吉な冗談を飛ばして、マリアがにやにやと人の悪い笑みを浮かべた。がっくり脱力しながらフェイトは心の中で、
――彼の女神に、勝利を誓う。

青い髪の女神が付いている。
ツキはきっと、彼の方に向いている。

―― End ――
2005/10/05UP
フェイト×マリア
OFP
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Gluck haben
[最終修正 - 2024/06/25-10:00]