怒っているのは、見ただけで分かった。
多分、隠す気もなかったのだと思う。

―― Zornesrote

「……何か用かい?」
細工途中の指環を、細工を仕上げる気なんかとっくに失せてただもてあそびながら。ばたん、と乱暴に工房のドアを開けてずかずか脇にやってきた青年に、いかにもやる気なく言葉を投げ付けた。
青年は何も答えずに。
ぐい、と彼女の二の腕を掴んで持ち上げると、力に任せてぐいぐい引っ張っていく。
「何するんだい!?」
「いいから、来てくださいネルさん」
柳眉を吊り上げた彼女にきっぱり言い切って。ふざけるんじゃないよと言い返そうとしたところで、関わり合いになりたくないけれど何がどうなっているんだ、と好奇の目を投げかけてくる工房内のパーティメンバーおよびクリエイターたちに気が付いて。
彼女は握り締めていた指環を作業台に向かって放り投げた。投げ出されたそれがこつんと音を立てて。台から落ちることなく、彼女の狙ったあたりにしっかり落ち着くころには。
青年がやってきたとき同様、ばたん、と乱暴な音を立てて工房のドアが閉じていた。

◇◆◇◆◇◆

怒っている、何かに腹を立てていることは言われなくても分かった。
その原因だって、すぐに見当がついた。
――上等だ、と思う。
きっと同じことに、彼女自身腹を立てていたところだったから。

連れてこられたのは宿屋で、彼が寝泊りしている男部屋で、その部屋には誰もいなかった。昨日の夜寝泊りしただけで、それまでは彼女のいる女部屋と同じように整えられていたはずなのに、荷物がぐちゃぐちゃに広げられていたり――というかすでに部屋全体がなんだか汗くさくてほこりくさくて。まとめていうならなんだか男くさくて。
ただでさえ傾いていた機嫌がそんな些細なことで決定的にヒネて、彼女はようやく二の腕を離した青年をぎろりと見やって、
「いいわけくらいは聞いてやっても、」
「――なんでクリフなんですか!?」
言いかけた言葉を遮られてむっとした。むっとした彼女にさらに畳み掛けるように青年の声が、
「しかもあいつ、ネルさんにべたべたべたべた……なんで振り払わないんですかっ!!」
「見てたのかい?」
「見えたんです」
むすっと膨れた顔、不機嫌さを隠そうとしない顔。いいわけがあるならどうぞと言われているようで、彼女が言うつもりだった言葉を逆に言われているようで、腹が立つ。
「――だったらあたしも訊きたいね」
だから。腹が立ったから、彼の質問にはわざと答えないで、
「さっきあんた、マリアと何話してたのさ? やけににやにやだらしない顔してたけど」
「見てたんですか?」
「遠目に見えたんだよ」
先ほどの彼と同じ答えを返せば、ぴくん、青い眉が跳ね上がった。

◇◆◇◆◇◆

――一緒に買いものに行く約束をした。
別に色気のある、たとえばアクセサリーとかそういうものを買いに行くわけではなくて。単なるアイテムの買い出しだったけれど、二人で出かける、それが彼女にはなぜか楽しみだった。
けれど、待ち合わせの時間に彼はやって来なくて。しばらく待ってみてもやはりやって来なくて。
……何かあったのだろうか、事故か何かにでも? あの律儀な青年が時間を間違えるとも思えなかったし、そうなると……??
心配した彼女は、宿屋に、彼の部屋に向かって。
そこで、青髪の女参謀となにやら話しこんでいる彼を見つけた。
たったそれだけで少し前までの浮き足立った気持ちが急激にしぼんで、そのかわりのようにいらいらむかむかと自分でもよく分からない苛立ちに襲われて。だからたまたま偶然その場にやってきた金髪筋肉男を引きずって、彼女はとっとと買い出しに向かった。山ほどの荷物を男に持たせて、市場中を練り歩いた。
買い物をはじめてすぐに、さらには時々青年の気配を感じ取って、けれど向こうが話かけてこないからと全部無視して。
――おいおいおい、さすがのオレでももう持てねえぜ物理的に!
などと悲鳴のように言われてはじめて、途方もない量を買い込んでいたことに気が付いて。ありがとう、宿に持って行っておいてくれないか? などと言い捨ててあとは工房にこもった。

◇◆◇◆◇◆

――何をやっているのだろう。
――一体何を考えているのだろう。
――年下の青年に、その一挙手一投足にいちいち惑わされて、一体自分はどうしてしまったのだろう。

いかにも怒ったように睨み付けてくる彼を、負けるものかと睨み返しながら。ネルは自分の心が分からない。約束の時間に遅れて、それで置いていかれたことを怒っている青年が、なぜ自分の身代わりになった金髪筋肉男を持ち出してきたのかも分からない。
こんな気持ち、きっとはじめてで。
自分の心が見えなくなるなんてはじめてで。
はじめてだからどうすればいいのか分からなくて、自分でも不毛と思う些細なことに目くじらを立てていて。
「――平行線だね」
そして、気が付いたら言っていた。
「アイテムは買えたし、あとは特に用もないだろう? あんたはなんだかあたしに怒ってるみたいだし、わけが分からないからあたしはあんたに謝りたくなんてないし。
……工房に戻るよ、じゃあね、フェイト」
胸に抱えていたむかむかが、なんだかそう言ったとたんにぎゅうっと心臓を圧迫するような痛みに化ける。見えない大きな手で心臓が握りつぶされるような、そんな痛みに化ける。
やっぱりわけが分からなくて、ネルは大きく首を振る。
――こんなの、幻覚だ。
――あたしは健康で、特に怪我もしていなくて、だからこれは気のせいなんだ。
自分に言い聞かせて彼に背を向ける。胸の痛みが今度はずきずきに化けて、けれどそれを無視して部屋を出ようとする。
その彼女の手首を。
青年の手が捕えて。

◇◆◇◆◇◆

「……なんで、」
「――あんたが何言いたいのか、あたしにはさっぱりだよ」
うめくような声につっけんどんに言い放つ。なぜだろう、つかまれた手首に、そこから伝わる熱に鼻の奥がつんと痛くなる。怒っているはずなのに、彼女に腹を立てているはずなのに、この期に及んで決して彼女が痛い思いをしないように、そんなつかみ方に視界が潤む。怒っていてもなお、彼女を女扱いして、傷付けないように配慮する青年に涙が浮かぶ。
視界を邪魔するものを他でもない青年には絶対に見られたくなかったから、彼女は振り返らないことに決める。
「僕が、何を怒っているのか……分からないですか?」
「分からないよ。分かるわけ、ないじゃないか。あんたはあたしの知らないことを山ほど知っている。あたしはあんたの知らないことを知っている。今回のこれが、それじゃないなんてどうして言える? あたしは、あんたの心なんか読めない」
――読めたとしても、読みたくなんかない。
――分からないことで勝手に怒って不安がって、こんな自分を見せ付けられるくらいなら。
――分からない方がいい、知らない方がいい。
――そのままでいた方が、ずっとずっと、

思った彼女が。
次の瞬間、ふわりとあたたかいものに包まれていて。

◇◆◇◆◇◆

「!?」
「分かりませんか? これでも、分かりませんか……?」
「わ……っ、分かるも何も、いきなりなにす……!?
ち、ちょっとフェイト、あんた、……は、はな、」
ふわり、と。
あたたかいものは、
つまりは青年の身体で、どんな隙をついたものか今彼女は優しく抱きしめられていて。まるで思ってもみなかったことにわけが分からなくて、ただ頭がぐるぐるして、
息が詰まって、
胸の痛みが、なぜだか消えていて、
あわてる彼女をやさしくやさしく包み込んだ彼は、混乱のあまりなのかそれとも別の理由なのか、抜け出す糸口をつかむことができずにただもがく彼女にどんな顔を向けているのか分からない。どうしていきなりこんなことになったのかも彼女は結局分からない。分からないことだらけで、混乱はいよいよ大きくて、
ぽろり、隠すつもりだった涙がとうとうこぼれ落ちて、

「……分かりませんか?」
「分かるわけないだろう!? 分かるわけ、ないじゃないか!!」
……こんなの、知らない。
パーティメンバーとはいえ赤の他人を、異性を。こんなにやさしく包み込む抱擁なんて知らない。大した力が込められているわけではないのに、抜け出せない理由を知らない。今すぐ離してほしいのに、それをまともに声にさえ出せない理由を知らない。もがいてもがいてもがいて、けれどはなれたくないと思ってしまった理由も知らない。
青年は、彼女の知らない面ばかり持っているから。
きっとこれも、そのひとつだと思うから。
――だから、知らない。分からない。
――そう、ちゃんと、
「ちゃんと、はっきり言ってくれなきゃ……、分からないに決まってるだろう!?」

◇◆◇◆◇◆

ぽろり、こぼれた涙がそういえば止まる気配なくぽろぽろこぼれ落ちていて、落ち続けていて。理由の分からない、ただ羞恥の心だけを煽るそれにかあっと顔を赤らめた彼女に。
それをやさしく拭い取る青年が。
唇で、やさしくやさしく拭い去っていく青年が。
その唇が。彼女の耳元に動いて。

静かに、けれどかすかに震えた声で、熱い吐息でささやかれたその言葉を。
聞いた彼女の目が。

――ただ、大きく大きく見開かれた。

―― End ――
2005/11/15UP
フェイト×ネル
OFP
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Zornesrote
[最終修正 - 2024/06/25-10:07]