どんなことをしても、何があっても。
たとえ自分の身を犠牲にしても。
――そう思ったのは、
――思って、いたのは。

―― Um jeden Preis

グリーテンの技術者二人を連れて、カルサアに入って。二人を宿に押し込めて、町に潜ませていた間者に接触した。間者から、あの時オトリになった部下たちがアーリグリフに捕まったことを聞いた。
分かっていた、こうなることなど分かりきっていた。本人たちも知っていてオトリを言い出したはずだった。だから心がまえもできていたし、取り乱したりもしなかった。感情を交えずただ淡々と報告する間者に「闇」部隊長としてうなずいて、そして。
いつからなのか、宿に置いてきたはずの技術者の片方、青髪の青年がいつの間にかそこにいて、報告の声は途切れた。驚いた。彼の気配に気付かなかった自分に驚いた。
だって、彼は。まるきり闘いの経験がないとまでは言わないけれど、それでも彼女の目から見れば素人だったのに。足音も気配も、消す術さえ知らない素人なのに。その素人の気配に、シーハーツ隠密最高位の自分が気付かなかった、なんて。
……いや、それはどうでもいい。今自分が考えなければならないのは、しなければならないことは、

◇◆◇◆◇◆

「……ネルさん?」
「っ!? あ、い、いや……? どうかしたかい、フェイト」
すっかり荒れ果てた坑道内を行きながら、つらつら考えていたネルは声をかけられて跳ね上がった。どくん、跳ね上がってまだどきどきしている心臓、胸元を押さえながら、自分でも分かる引きつった笑いを浮かべれば。彼女を驚かせた張本人、話かけたフェイトが困惑したように、苦笑めいたものを口元に浮かべる。
「ネルさん、疲れているんじゃないですか?」
「そんなことない」
訊ねられて、即答。――考えるより前の否定の声は、ムキになっていなかっただろうか。
分からなくて青年の反応からうかがおうにも、彼は口元の微苦笑から表情を動かさない。冗談や茶化すような、そんな軽い感じではないけれど。
だからとりあえずさらに否定しようとして、ネルはすっと向けられたてのひらにむっと唇を引き結んだ。
「……なんだい?」
「いえ、――あの、」
「だから、なんなんだい? 今さら遠慮なんて必要あるのかい??」

――疲れてなんか、いない。
――胸にしこりなんてない。
――心の奥底に鉛でも流し込まれた妙な重さなんてないし、
――跳ねていた心臓も、もう落ち着きを取り戻した。
青年が読めなくて、その行動が心が読めなくて、ネルは自分が今どんな顔をしているのかも分からなくて。ただ、もごもごと黙ってしまったフェイトをにらみ付けていた。
すがるような顔でにらみ付けていた――そんな自分も、知らなくて。

◇◆◇◆◇◆

「ネルさん、あの、……僕疲れたんです。足にマメできて、つぶれたかもしれなくて。だからちょっとだけ、休憩していいですか?」
「――癒しの術がある。歩きながらでもできるよ」
言うなり適当に脇の壁に背を預けて、そのうちずるずるへたり込んだ彼にネルはつぶやいたけれど。ぼそぼそしたそれは、どうやらとどかなかったようだ。あるいは、無視されたのか。
そのうち最後尾をのんびり歩いていた長身の男がすぐに追い付いて、お、なんだ休憩か? などと軽い声で同じようにその場にしゃがみこむ姿にむっとする。
むっとした自分に、そんな些細なことにむっとした自分に、ネルはなんだか愕然とする。

――なんだ、この余裕のなさは。
――先を急いでいる、一刻も早く王都まで連れ帰って紋章兵器を完成させないと。
――それは事実だけど、なんであたしは今こんなにも、追い詰められているんだい?
焦る気持ちに焦って、誤魔化すように呪紋を詠唱した。ふわりと広がった光に青年がびくりとしてあわてて顔を向けて、
ネルは無言で、ふい、顔をそらす。

◇◆◇◆◇◆

たとえ何か嘘を抱えていると丸分かりのこの二人でも、それが力になるなら。
力になって、アーリグリフを押し戻すだけの力になるなら。力の材料になるなら。
どんなことをしても、何があっても。
たとえ自分の身を犠牲にしても。
この二人を無理やりにも王都に連れて行くつもりだった。
そのために部下たちをオトリにして見捨てようとしても、それを言い出したのは本人たちだからとそれ以上を考えないようにしていた。
イレギュラーのすべてさえ、まるで予定されていたことだったように。そう振舞うようにしていた、振舞っていた。
女一人に男二人、たとえ土地勘があっても体力的につらいものがあっても。自分の役目を、役目と決めたことを果たすためなら、無茶だってかまわなかった。

どんなことをしても、何があっても。
たとえ自分の身を犠牲にしても。
――そう思ったのは、
――思って、いたのは。

◇◆◇◆◇◆

「……ネルさん」
「先を、急がなくちゃならないんだ……この小休止がいつ終わるか分からない、それまでに少しでもヤツラの優位に立たないと、」
「ネルさん!」
「!?」
至近距離の声にそっぽを向いていた首をはっと正面に向ければ、声の主が、フェイトが真剣な顔で彼女の肩をつかまえている。金髪大男の姿が見えなくて、どこに行ったのだろうとぼんやり思う。
思うことで至近距離の怖い顔を見ないようにして、それがひたすら後ろめたい。
「ネルさん、今の僕が言うことじゃないと思うんですけど、」
「……だったら言わなくていいよ。話は王都――いや、ここを抜けた先にあるアリアスの村で、」
「言うことじゃないと思いますけど言わせてください」
痛いくらいにきつく、けれど実際はまるで痛くないように肩をつかむ手。その声が真剣で、まっすぐ前を向けない。怖くて、なぜだかとても怖くてまっすぐ前を向くことができない。
そんなネルに、彼の声はけれど止まることなく、
「王都、でしたっけ? 目的地はまだ当分先なんてしょう。
今からそんなに必死に、限界まで急ぐ必要が本当にあるんですか?」
――ある。
――少しでもいい、一日でも半刻でさえもいい。
――一瞬でも早く紋章兵器を完成させて、アーリグリフの侵略を止めなければ。
思うのに、声にならない。そっぽを向いた顔は相変わらず戻せない。
「今無茶してそのうち倒れて、ちゃんと全員完治させるまで動けないままだったら。
それって意味がありますか?」
――意味はある。
――きっと、ある。
――分からないけれど、きっとあるはずだ。
――あるはず、なんだ。
声は相変わらず出なくて、思考もずいぶん軋んでいる。硬直した、いつの間にか硬直していた身体はぜんぜん元に戻る気配がなくて、そんなネルの肩をつかむフェイトの手は、どくどころかまずまず強く、

「ネルさん……」
今までよりも、なんだか近い距離に声。
「無茶しないでください。計算でいきたいなら、後々のことまで全部考えてください」
腹が立つくらいの正論、優しく耳ざわりのいい声。肩をつかんでいたはずの手がいつの間にかほどけて、
今は、ネルは。フェイトに抱きしめられていて。

◇◆◇◆◇◆

「それが、あたしの任務なんだよ」
「無茶している自覚があるなら……!」
ゆっくり首を振れば、烈火のような勢いの声。身じろぎしてはなしてくれと頼めば、思ったよりもずっと素直に引いていく。
「何がどうあれ、あたしはこの国の民を助けたいんだ。そんな力がたとえなくても、その手伝いくらいはしたいんだ」
傲慢でも、そうしたいと思ったから。
そう、実際は確かに疲労がたまってきているだろうし、部下を見捨てた事実はしこりになって、心をどんより重くしている。落ち着く片端からフェイトのするすべてに心臓は騒ぎっぱなしで、知らないふりをしてみたけれど、結局はそれ全部分かっていた。
それでも。
……それでも、

どんなことをしても、何があっても。
たとえ自分の身を犠牲にしても。
――そう思ったのは、
――思って、いたのは。
――嘘じゃ、ない。
――本当に、思っていたのだ。願っていたのだ。
――守りたい、ただそれだけを。

祈ってさえ、いたのだ。

―― End ――
2005/12/03UP
フェイト×ネル
OFP
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Um jeden Preis
[最終修正 - 2024/06/25-10:08]