手に残るのは、
――絶望感ばかりだったけれど。
――迎えに来たんです、ネルさん。
それは、彼が自分の居場所に還って以降見るようになった白昼夢。青年があの笑顔であの声で、ゆるく手を差し出して、
――一緒に行きましょう?
そしてなぜか自分は、そのときばかりはすべてのしがらみを忘れていて。差し出された手にためらいもなく手を重ねて、
しかし、次の瞬間。
あるいは彼は砂になってその場に崩れてしまったり、あるいは血まみれで倒れ伏してしまったり、あるいは、
……共通するのは、彼女が触れた瞬間に青年は死んでその場からこの世から、いなくなってしまうこと。
――迎えに来たんです、ネルさん。
――一緒に行きましょう?
けれど何度夢を重ねても、何度住む世界が違うのだとこれ以上は許されないのだと思い知っても。夢のたびにネルは、思い知ったそれらを忘れて彼の手に喜んでしまう。ためらいもなく手に手を重ねてしまって、そして、
――そして。
「ネルさん、お久しぶりです」
……ああ、今日の夢はなんだかいつもと違うんだね。
そんなことを思いながらネルは瞬いた。シーハーツの王城、ネルの執務室で。すっかり見慣れたあの笑顔で青年はそこに立っていて、別れたあのときのままどうやらそっくりまるで変わっていないように見える。
……まあ、まだほんの数日しか経っていないしねえ。数日……十数日?
――あ、ちゃんと影まである。いつもはどうだっけ。
きっと混乱しているのだろう、そんな自分を分かりながらネルはただ瞬いて、そんな彼女に青年は、フェイトはいつの間にか笑顔を苦笑に変えていた。
「ネルさん? まあ、信じられないのも分からないではないですけど。僕ですよ、本物のフェイトです。……また、戻ってきちゃいました」
――え?
――今日は「迎えに来た」じゃないのかい。
きっとただ呆けるネルに、彼は、
「ネルさん、何か反応してくださいよ。信じられないですか? 触ってみますか??」
「え、フェイト……?」
――何かが違う、これは夢ではないのかもしれない、いつものあの不吉な不吉すぎる白昼夢とは違うかもしれない、
――ひょっとしたら。
ようやく、本当にようやく彼女の頭がそれを疑いはじめたとき、夢の中のはずのフェイトがばっと腕を広げた。大げさに腕を広げて三歩ほど、これまた大げさな動きでネルの身体に抱きつく、
というか、彼女を抱きしめる。
……ああ、あたたかい。
……それに、ちゃんと生きている。今までの夢と違ってちゃんと。
……ちゃんと……?
「っ、な、何するんだいいきなりねえちょっとフェイト!?」
「いきなりじゃないですよちゃんと断ったじゃないですか。んー、ネルさんやわらかい、すごく抱き心地がいい……」
「調子に乗るんじゃないよ!!」
気恥ずかしさと気まずさと気が立ったのと、そんな理由でネルは彼の顔に頭突きを喰らわせた。じたばたすると逆効果と思ってそうしたのだけれど、どうやらそれは大当たりだったらしい。一気に拘束の力がゆるんで、いかにも情けない顔で鼻なぞを押さえる青年を、なぜか潤んできた目でにらみつける。
「分かったよ、よーっく分かった。ああ確かに呆けてたあたしが悪かったしあんたは本物のフェイトだろうさ! ていうかね、なんだっていきなりここにいるのさ!?」
――せっかく、やっとの思いで還ったんだろう!?
きっと真っ赤になっている熱い顔で怒鳴ったなら、鼻を押さえていた手は彼の目のあたりに移動した。ネルの目に彼の口元しか見えなくなって、その口元がほろ苦くゆがむ。
「……はい、還って。でもいろいろあって、またここに来たんです。今なら帰る手段も確保できてるから、最初に来たときと違って気軽ですし」
「またあの星の船かい?」
「違います。……一緒に来てくれるようなら、実物見てもらえますけど」
「?」
――言葉じゃ説明できないんですよ、なかなかうまくは。
そんなことをつぶやいて、彼が手をどけて。そこにあったのはいつもの、今までどおりのどこか飄々とした青年の顔で。ほろ苦い笑みはどこかに消えていて。
「良かったら、来てください。……来てくれると嬉しいし心強い。他のみんなもきっと喜びます」
「みんなも? ていうか、心強いって……戦力的にあたしが必要なのかい??」
「それもあります。ああ、アミーナそっくりだっていっていた幼馴染とも合流できたんです。紹介しますよ? あいつなら、ていうかパーティ全員、今このシランドに来てますし」
――あの白昼夢とは、違う。
――迎えに来た、のではなくて、彼はどうやらネルを誘いに来た。
――そして、手なんて差し出さない。
――それは、
――……それは。
「……ネルさん……?」
「ばか。いきなり来たりいきなり還ったり、またいきなりひょっこりやってきてさ。まったく、わけが分からないじゃないか」
手をのばす、……何度もくり返された白昼夢のおかげで震える手で、それでもフェイトの服の胸元あたりをつかむ。つかむことができる、触れることができる――消えないことを、そして確かめる。
そんなネルのなすがまま、黙ってやさしく降ってくる視線を感じて、
「――あたしが、必要なのかい?」
自意識過剰な問いかけが口から漏れていて、
「はい。……僕は他の誰よりも、ネルさんと旅がしたいです」
まっすぐでこっぱずかしい返事があって、
「求婚の言葉みたいじゃないか。……ばか」
「そっ! そんなつもりないですよ!?」
からかい言葉に乗ってきた彼が、演技だろうけれどあわてる。それにふっと表情をゆるませるネルを待っていたような、一拍置いたタイミングで、
「プロポーズのときはもっとちゃんとした言葉で口説きます」
「っ、な!?」
今度はネルがからかわれて、かあっと熱くなった顔、彼の腕が、そして再びネルを抱きしめる。
「一緒に来てくれるんでしょう? 旅をしましょう。……これからの敵はきっとすごく手ごわいけど、」
「アーリグリフのあの戦バカならともかく、そんな言葉にゃなびかないよ。
――あたしが必要だってんなら、恩返しの意味だってある。ついていってやるさ」
「恩返し以外の理由はないんですか?」
「……もう一発頭突きくらいたいなら、ご要望にお応えするけどね?」
「…………ありがとうございます素直に感謝しています」
――手に残るのは、絶望感ばかりだった夢も見たけれど。
確かに生きている彼に、胸のカタマリはいつかとけて消え失せて。
ネルはふっと吐息を吐き出した。
多分必要とされて嬉しいのだ、と思うことにする。
