ずっとずっと。「そのまま」が続くと思っていた。
「あ」
そういう細かいものを見付けるのは、いつでも彼女だ。とりわけ目聡いわけでも、無理に観察しているわけでもない。ただ、「気付く」のはいつだって彼女だった。
「フェイト」
だから、きゅっと服の裾を掴んでくるソフィアはいつものことで。特にあわてることなく振り向いてみれば、彼の――服の一点をどこまでも真面目な顔で凝視している。
「……ここ、ほつれてる」
「え?」
言葉に、ではなくその真剣な顔に。思わずびっくりしながら目を落とせば、確かに服のそこだけがなんだか変な風に毛羽立っていた。そういえばちょっと前にどこかで引っかけたかもしれない、まあ大したことじゃないしとすぐに忘れたかもしれない。
それは、本当に取るに足らない小さなことで。
でも、ソフィアはそういうものを放っておく人間ではなくて。
「脱いで。すぐ繕うから」
「いいよ。ソフィアだってやることあるだろう?」
「……あるけど。気になるもん」
特に意味もなく反射的に断ったものの。それでもすねたように見つめられれば、フェイトは弱い。たとえばムキになって拒否することでもないし、結局勝てないことは長年の付き合いで分かっているし。
「脱いで」
「……ああ」
もう一度言われて、だからあっさり降参することにした。そうしてうなずいた瞬間、すねた顔がぱっと明るくなったのがなんだか嬉しかった。
幼馴染の少女。記憶さえない遠い遠い昔から、ずっと一緒に育ってきたソフィア。
誰よりも「大切」な、――……
その日一行は久々のオフだった。参謀役、副官役の青髪の彼女も、「しばらく動きづくめだったし仕方がないわね」としぶしぶうなずいた。天候不順でもなくて、ただこうして休日になることは実は珍しくて。
だから、やりたいことは山ほどあるのに。
「……はあ」
「わざとらしいため息吐かないで、フェイト」
パーティの誰もいない部屋で、ソフィアと二人きり。上着を持っていかれたフェイトは、どこぞの半露出狂男ではないので外に出る気にもなれずに、ソフィアの「すぐ終わるから」の言葉を信じてぼーっと待っていた。
確かに。すぐに失くしそうな細い針をあやつる少女の手には、迷いがない。任せておけば確かに「すぐに」終わるだろうけれど。
待つ時間は、とてつもなく長い。
「…………はあ」
「だから、急かさないで」
「そんなつもりはないんだけど」
行儀悪くソファに身体を投げ出して、ぼーっとしてみる。見ればきっと文句を言う彼女は、今は細かい作業に夢中で気付いていない。
気付いていないと思ったのに、
「――だから、変なプレッシャーかけないでってば」
バレバレだったらしい。
回りくどく怒られて、フェイトはおとなしくソファに座り直した。ちくちくと動くソフィアの手を眺めていても、あまり楽しくはないのですぐに飽きる。
「……は、」
「そんなに、あのひとのことが気になる?」
「っ!?」
またも吐きかけたため息を遮って。ソフィアの静かな声に、フェイトは思わず吐き出すつもりの息を飲み込んでいた。
少しだけ、苦しかった。
ちくちくちく。ソフィアの手にはやはりどこにも迷いがない。そういえば色々な冒険でちょこちょこ穴でもあいていたか、繕う場所がどんどん動いていく。
たった今の衝撃的な言葉が、まるで嘘のように思えてくる。
「……な、」
それなのに。
「フェイトって、分かりやすいんだもん」
きれいに直されていく、くたびれた服。怒ってはいないすねてもいない、ただ少しだけふくれたときのソフィアの声。
「フェイト、好きなひとできたんでしょう? 今もそのひとのこと考えてる。こうしてじっと待つ時間が惜しくて、こうしている間に何ができたとか、ずーっと考えてる」
「いやあの、……ソフィア?」
そんなつもりはないよ、と否定しようとした。否定しようとしたけれど、言われてしまえばその通りかもしれないと思ってしまった。思ってしまえば、もう嘘は吐けなかった。
ソフィアに、もしくは自分の心に。嘘が吐けなかった。
「そうでしょう?」
「……そう……かな?」
断定できなかったのは、……なぜだろう。針をあやつる手には相変わらず乱れがないのに、今にもソフィアが泣いてしまうかもしれないと、そう思ってしまったからだろうか。静かに裁縫をする少女が、いつもよりか弱く見えたからだろうか。
「そうだよ」
あやふやな彼自身よりもきっぱりと断言する彼女が。――いとおしかったからだろうか。
「……ごめん」
「どうして謝るの?」
最後の糸始末か、今までと違った手の動き。小作りな手に相応しい、繊細な動き。
「ごめん」
「だから、どうして?」
やわらかな緑芽吹く草原に、雑踏で賑わう道端のふとしたすみに、薄暗い森の中のちょっとした広場に。やわらかな陽の当たるところならどこだって相応しいだろう、まるでたんぽぽのようなほっとしたやさしさを持つソフィア。
心の暖かくなる、やわらかいものをいつだって惜しみなく与えてくれる彼女を。なんだか裏切った気がして、フェイトはひどくいたたまれない。
「フェイトが謝る必要なんか、どこにもないよ?」
ぷつん。糸を歯で切って、たった今まで縫っていた場所を広げて確認する。単なる作業ではない、どこかやさしくて暖かい動作。そうして暖かいと思う分、膨らんでいく罪悪感。
「ごめん」
「謝る必要は、ないよ。遊びじゃない恋だから、わたしに謝っちゃダメだよ」
「……ソフィア」
こうしている今も、そう、言われてみれば彼の心を占めるのはソフィアではないのに。
「あの……、」
「あのね、フェイト」
ソフィアが顔を上げた。まるでリスのような小動物めいた動きで、こくんと小首を傾げた。
「恋はね、するものなの。落ちるもので、見付けるものなんだよ」
一度瞬いてから、やわらかくやわらかく微笑む。包み込むように、花開くように。
「育むのは、大切にいとおしむのは愛。恋とは違う。……ねえ、フェイトは知ってた?」
――フェイトがわたしに持っていたのは、持っているのは、「愛」であって「恋」じゃない。
――わたしがフェイトに持っているのも、「恋」じゃない「愛」だから。
「――ソフィア、」
「フェイトが好きだよ」
まっすぐに彼を見つめる、優しい翡翠の色。穏やかで優しくて、けれど――強い少女。
フェイトの知っている彼女は、もっとか弱かったはずなのに。もっと頼りなくて甘えたがりで、手のかかる分可愛い「妹」だったのに。
か弱かった少女は、芯の強い穏やかな笑みを浮かべている。
「わたしは、フェイトが好きだよ。でも、これは「恋」じゃない」
「ソフィ、」
「だから、フェイトは謝る必要なんかない、謝ってほしくない」
弱くて脆くて、守りたかった少女が。はい、と彼に服を手渡した。ほとんど反射的に受け取ってしまって、目で促されてそれを着込んで、身支度を整えたら背を押されて部屋を追い出される。
「フェイトが好きだから、フェイトの「恋」を応援してあげる。ファクトリーにいるよ、そう言ってた。
だから、行ってらっしゃい」
「ソフィア、」
「うまくいかなかったら、何度でもアドバイスしてあげる。がんばってね、フェイト」
にこりと微笑むソフィア。大切な大切な幼馴染。ぱたんと音を立ててドアが閉まる直前、瞳が潤んだように見えたのは。果たして見間違いだったのか。
「ソフィア……」
細かいものを見付けるのは、いつでも彼女だ。とりわけ目聡いわけでも、無理に観察しているわけでもない。ただ、「気付く」のはいつだって彼女だった。
フェイトには見えないフェイト自身の心を。見つけて理解して後押しするのは、いつでもソフィアだった。
それはひどく居心地が良くて。守っているつもりで、ずっと甘えていた。
「……ごめん」
最後に小さくつぶやいて。後押しされた心を抱えて、フェイトは、
――ずっとずっとずっと。「そのまま」が続くと思っていた。
――いつまでもこの関係が、続くものだと思い込んでいた。
