ソフィアの顔が真っ赤に染まった。頬や耳どころか、首筋その下まで見事にゆで上がった。
そうして真っ赤になったまま、
ぱたぱたぱたと大急ぎでその場を走り去った。
バカンスに出かけた高級リゾート地ハイダが襲撃されて、ごたごたのあげくバンデーンに捕まって、「約束された明日」なんてどこにもないと思い知ったとき。ソフィアの心に決意が生まれた。
頭で分かっていたことが、頭でしか分かっていなかったのだと知って、だからひとつ、自分に約束した。
怖がっているだけでは、漠然と不安を感じているだけではどうにもならないから。もちろん臆病な心だってちゃんと納得しているならそれでいい。正しいのか間違っているのか、決めるのは当人だ。でも、でも。
……でも、
ソフィアは真っ赤になって廊下を走っていた。すれ違った青髪の乙女が珍しく驚いた顔をして、赤毛の女隠密が建物内を走るんじゃないよと眉を寄せて注意する。金髪の大男がなぜかにやにや面白いモノを発見した笑顔になって、緋い目をしたきれいな顔立ちの剣士はいかにも彼女を馬鹿にして鼻を鳴らした。
なぜことごとくメンバーとすれ違ってしまったのかまるで分からなかったけれど。
ソフィアは走る勢いそのまま女部屋に突撃して、後ろ手に鍵をかけてベッドに飛び込んだ。
顔が熱い、顔に上った血が脳ミソまで熱くする。記憶が茹で上がる。
胸が苦しくて息が苦しくて、恥ずかしくて嬉しくて腹立たしくて、
――何も考えられない。
先ほどフェイトに、自分の気持ちを告げた。
状況が状況で変にハイになっているせいかもしれない、とは思う。けれど、フェイトが自分以外の女性と楽しそうに話しているのを見るたびにしくしく胸が痛むのは事実だから。ずっとずっと幼馴染で、たぶんソフィアが何もしなければこの先もずっと幼馴染のままのフェイトが、自分以外の女性に笑顔を向けるだけで言いようのない切なさが身を締め上げるのは事実だから。
「幼馴染」はある意味では「特別」だけれど、きっとフェイトはずっとずっとソフィアにやさしいだろうけれど、でもその「特別」はソフィアのほしい「特別」と違う。偶然手に入れたそれは大切なモノではあるけれど、決して誰にも誇ることができないと思う。
それより何より、自分で自分が納得できない。「幼馴染」に胡坐をかくことが。偶然手に入れた、事実を誇ることが。それが到底納得できない。
そして。これ以上、誰にもやさしいフェイトをただ見ているのは耐えられないと思ったから。
そう思ったから、ソフィアはがんばることにした。
生まれたときから一緒にいる、一緒に育ってきたも同然のフェイトの性格は分かっている。少し前までしばらく離れていて、その空白の間に信じられないくらいいろいろ成長した彼だけれど、本質はまるで変わっていないはずだ。
だから、彼の好きそうなものずくしでおびき出し――もとい呼び出して、決死の覚悟で詰め寄った。
――フェイトが好きだよ。だからわたし。フェイトの恋人になりたい。
ありったけの勇気で願った。幼馴染とは違う「特別」になりたいのだと、変なところで鈍いフェイトが誤解しないように、ただただストレートに願った。
彼女の告白に少し驚いた顔をした彼は、けれどすぐに嬉しそうに微笑んで、
――ソフィアに先を越されちゃったな。僕も、好きだよ。ソフィアが好きだ。
ふわりと身体に回った腕がたくましかった。強くはない、けれど身体に絡み付いて離れない抱擁に心が騒いだ。心臓が一生分の血を送り出すようにすごい勢いで動いていて、
そして、
ベッドの中のソフィアの顔がぼふっとさらに赤くなる。
頭までシーツにくるまった彼女の指が、同じくシーツ下の彼女の唇に触れる。そのままそこをなぞりかけてすぐに硬直して、ぐっとこぶしを作ると口元に当てる。
身悶える。
――フェイトの手がゆっくり彼女の後頭部をなでて。その手に急にぐっと引き寄せられて、びっくりしたソフィアが顔を上げると予想外に間近にフェイトの顔があって、
「き、」
シーツのカタマリが変な音を立てた。もぞもぞして丸かったカタマリがさらに丸くなって、きゅうっと小さくなって、
「きあああああああっ!!」
か細いけれどほにゃりとした鋭い悲鳴が漏れる。
一体何がどうなっているのかカタマリがもぞもぞもぞと動いて、動き続けて、そして。
――力尽きたようにいきなりぴたっと動かなくなった。
あまりのことに、気持ちが追いつかないままに。驚いたソフィアの心を置き去りに、身体は彼を突き飛ばしていた。顔が熱くて頭が熱くて何も考えられなくて全力でその場を走り去った。
あとに残されたフェイトが何かを言っていたかもしれないけれど、分からない。
あとに残されたフェイトがどんな顔をしていたのかも、知らない。
もぞり、起き上がってシーツを振り捨てたソフィアが、しゅんとうなだれる。あのときの自分の態度を思い出したら悔しくて哀しくて、涙が出てきた。
びっくりした、きっとただそれだけなのに。
フェイトを振り払った自分が信じられない。一目散に逃げ出して、そのくせ一人浮かれていた自分が情けない。フェイトはあのとき、何を思っただろうか。呆然としただろうか、怒っただろうか、哀しんだだろうか。
ソフィアが告白をして、フェイトが応えてくれたのに。やさしい抱擁をくれた、とろけるような、……
再びどきどきしはじめた薄情な心臓、胸元を押さえつけてソフィアはふるふると首を振る。
――違う、そうじゃない。こんなところで、ひとり部屋に閉じこもってもだえている場合じゃない。
ばさばさになった髪を手櫛で整えながら、そうやって自分に時間稼ぎをしながら先ほどから煮えっぱなしの脳で懸命に考える。
――いきなりでびっくりして突き飛ばして、ごめんなさい。
――そうやって謝ろう、謝るなら早いうちがいい。時間が経てば経つだけ身動きできなくなる。
――何より、あの時自分に決めたじゃない。
――ああすればよかったこうすればよかった、なんて後悔するくらいなら、思い立ったが吉日、ちゃんとすぐさま想いを伝えよう、って。
髪を整えてまだ熱い顔をさますために顔を洗って、姿見の前で変なところがないか何度も何度も確認して、そうしている間もソフィアの心はぐずぐずと困っていて、けれど早くしろと自分にカツを入れる。
フェイトを哀しませたくない、フェイトに嫌われたくない。フェイトが何より大切だから。
「ごめんね、フェイト。さっきは、ちょっとびっくりしたの……」
鏡の前の自分に言ってみる。
……うん、これでいこう。
びくびくしながら、先ほど猛烈な勢いで走った廊下を戻ってみれば。
フェイトは同じ部屋にいた。日向に出て陽だまりの中、なんだか気持ちよさそうに寝ていた。あまりに気持ちよさそうに寝ているので、そんな彼を見下ろして、
ソフィアの中には、拍子抜けした気持ちとすねたような心とそれだけ疲れているんだねいつもご苦労さま、といったねぎらいと。いろいろな気持ちがぐるぐる回る、間近な距離に先ほどのことを思い出して、さらにさらに混乱する。
ソフィアは周囲をきょときょとと眺めると、きゅっと決意した顔になって、寝ているフェイトの元にしゃがみこんだ。影に気を付けて彼の頭の横に手を付いて、なぜだろう、何も考えられないままゆっくりと距離を詰めて、
フェイトの吐息を唇に感じた瞬間動きが止まる。反射的に息を止めて、どんな理由からかやっと落ち着きかけていた頬にかあああっと血が上る。
「……ね、寝ている人相手に、」
「ここまできておあずけはなしだよ、ソフィア?」
「っ!?」
起きていたのか起きてしまったのか、見開いた目にいたずらっぽい碧。反射的に身をすくませるソフィアの腰に優しく回った力強い腕。ゆっくり引き寄せられれば、元から至近距離にあった彼に触れる。
先ほどと同じく、ただし今度は彼女から触れる。
――唇、に。
「……良かった、嫌われたかと思ったよ」
「あ、な……!?」
ソフィアの顔が真っ赤に染まった。頬や耳どころか、首筋その下まで見事にゆで上がった。
そうして真っ赤になったまま、
ぱたぱたぱたと大急ぎでその場を走り去った。
再び取り残されたフェイトが苦笑して、今度はこっちからだよな、などとぼやきながらゆっくり起き上がる。
どちらがどれだけ相手に惚れているかはともかく。
恋の魔法からは、きっと誰も逃れられない。
