――どうか、
――どうか……、
ひどく痛そうな顔で、彼が言った。
「……あれ、フェイト?」
確か、宿について特にすることもなくてぼーっとしていて、そう、確か荷物の、アイテムの整理か何かをしているときだったと思う。ふっと何かの気配を感じて、振り向いたら先ごろやっと合流できた幼馴染の姿があった。
なんだかとてもとても真剣な表情で、彼女を、ソフィアを見つめていた。
「……? どうしたの??」
訊ねたけれど何も答えてくれなくて、まるで彼女の言葉が届いていないようで。しばらく経ってやっと、いや、なんでもないよと言ってくれるまで。なんだか――なんだか無機質な目でじっと彼女を見つめていて。
――それは、とてもとても、
――それは、なんという感覚だったのだろう。
嬉しくないのは確かだったけれど、それ以上にしっくりくる言葉が見つからない。知っているはずなのに喉元まで出てきているのに、どうしても最後の一息に詰まる。
それを向けてきたのが幼馴染だったから、だからなおさらそうなのかもしれない。
決してプラスの印象のないその単語を、だから思い出したくないのかもしれない。
「……でもそもそも、ほら、勘違いなのかもしれないしっ!」
それまでは持ち回りだったというけれど、自分ができるのはそのくらいだから、と。今日は野宿で、火を起こしたり薪を拾いに行ったり寝床の準備をしたり周囲を見回ったりするメンバーから離れて。ひとり食事の支度をするソフィアは、ぼそりとつぶやいてみた。
たとえ自分の言葉でも、耳から聞けばそれはなんだか不思議と自分の声ではないようで。自分ひとりしかいないのにまるで誰かが同意してくれたような気がして。
とたんに気分が明るくなって、そんな気がして、うん、と彼女はうなずいてみる。
「そうだよ、きっと。
……大丈夫、フェイトは、フェイトは――、」
――そのあとに、続けようとした言葉は?
ふつり、声が切れて音の波が消えていって、ただそれでも動く手だけが賑やかな音を奏でる。頭の中がめまぐるしく回りすぎて把握できないような、それとも逆に遅すぎてあっという間に置いていってしまいそうな、そんな感じがする。
――この感覚は、なに……?
――どうしよう、なんでだろう。
――世界が、遠くて。
――まるで薄い紗の向こうに全部を持っていかれたような、薄い紗の中に閉じ込められたような、そんな変な感じがする。
――ダメ、これはだめ。
――これは、この感覚は、……
「あ……、」
よく分からないぐるぐるで頭がいっぱいになっていて、なんだか視界がにじんでいる。にじむけれど潤むまではいかなくて、だったらこれは煙が目に入ったからかもしれない。声が、今こんなにものどが詰まった感じがするのは、だったらなぜなのだろう。
ソフィアは瞬いた。機械的に動く手が料理を次々仕上げていって、心が置き去りにされている。瞬いてそんなことを思って、相変わらず胸は頭は何かよく分からないモノでいっぱいになっていて、
――苦しい。
――なぜだろう、とても苦しい……っ、
「ソフィア!」
「……え……?」
それから、何があったのかまるで分からなくて、時間が経ったのかさえ分からなくて、ただ気が付いたときにはフェイトに肩をつかまれていた。なんだかすごい剣幕で、すごく必死な顔で、ああ、そういえばロキシおじさんがなくなったときもこんな顔をしていたような気がする。
なくなっていくものを必死につなぎとめるような、こんな顔をしていたような気がする。
――でも、なぜそんな顔をわたしに向けるのだろう?
「ふぇい、と……?」
「……ソフィア……」
瞬きをひとつ、ふたつ。気が付けば食事の支度は全部すんでいて散らかしていた道具類もすっかり片付いていた。これを全部、半ば以上無意識にやっていたなら自分をすごいと思う。ソフィアはそんなことをぼんやり思う。
思ってから、なんだか一気に脱力した幼馴染に改めて顔を向けて、
「どう、したの……? そんなにおなかすいた??」
勝手に口が言葉を紡いで、顔がきっと笑っている。ソフィアの心を置き去りにして、顔が声が勝手に、
――けれどそれは、がばっと顔を上げたフェイトの、その、怖いくらいに真剣な顔で凍り付いて、
「……ソフィア」
――そして、なぜだろう、いきなり抱きしめられた。
――がばっと、まるで音がしそうな勢いで。
――けれどどこまでも優しい腕に。
そして、まるで耳に口付けるような至近距離でぽつぽつささやかれる単語たち。
――ごめん、とか。
――気付いてあげられなくてごめん、とか。
――ずっと監禁されていて、そのつらさを察してやれなくてごめん、とか。
――ほったらかしにしていてごめん、とか。
――何か違うってじっと眺めてて、気味悪い真似してごめん、とか。
何を言われているのかソフィアはうまく理解できなくて、そんな彼女にフェイトが、まるでこの抱きしめる腕のような包み込むような笑顔を見せて、
けれどそれは今にも泣きそうな、そんな笑顔を見せて、
――わけが分からないなりに、ソフィアの胸がぎゅうっと痛んで、
――なあソフィア、お前気付いてるか?
――僕と合流してから、あいつらから自由になってからずっと、
――お前、本当の意味で泣いたり笑ったりしてないよ。
――僕を馬鹿にするなよ、幼馴染を馬鹿にしてんじゃないぞ。
――ことお前のことに関しては、僕はお前自身よりお前を見てるんだから。
ソフィアの理解できない、けれどソフィアだけを見つめたフェイトがそんなことを言って、
泣きそうな、包み込むような優しい笑顔はさらに深くなって、
胸の痛みはそのままでソフィアの身体はまるで動けなくて、
そして、
――どうか、
――どうか、心から笑って、そして泣いてくれ。
――お願い、だから。
ひどく痛そうな顔で、彼が言った。
その瞬間。
フェイトの言葉がまるで魔法の呪文のようだった。奇跡を呼ぶ呪文のようだった。
……なぜだろう、遠かった、まるで遠かった世界のすべてが一気にソフィアに重なる。
「フェイト、」
――ああ、声が。自分の声がこんなにも近い。
抱きしめられてどきどきいう心臓も、フェイトのにおいも熱もしっかりした身体の感覚も。先ほどまでまるで感じることができなかったのに、今はこんなにもそれが近い。
「……頼むから」
ソフィアにかかった魔法が解けたことを知らないフェイトが、そううめいて。ぐっと彼女を抱きしめる腕に力が入って、
「フェイト……っ」
声が、言葉が出てこない。胸がいっぱいで、あたたかいもので胸がいっぱいで声がまるで出てきてくれない。
――でも、伝えたい。
――言いたい、言って微笑みかけて、
――そして、
「フェイト、あの、あのね、」
心のままに、心を伝えたくて。あふれそうな想いをまず伝えたくて。
彼女はただ、静かに口を開いた。
ささやくその声にびくんとフェイトの身体が跳ねて、
ソフィアはそう、久しぶりに、
――心から、笑ってみる。
