知らなかった、知りたくなかった。
自分がこれほどワガママだったなんて。
知らなかった、知ってよかった。
あなたがどれほど大切だったのか。
――なに、よ……!
瞬間的に湧き上がった悔しい気持ちはあふれるほどで、かみしめた奥歯がぎしりと不穏な音を立てた。
――急がなくちゃきっと困ってるって、取るものもとりあえず急いできたのに!!
しばらくは影から様子をうかがっているつもりだったはずなのに、気付いたらずかずか大股で歩き出していた。
――でれでれしまりのない顔してないでよ!
これだけ怒り狂っているのに、ドアを前にそれを開けるとなれば条件反射で思わずノックをしてしまう、礼儀作法の染み付いた自分が妙に哀しくて悔しくて、些細なことに苛立つ自分が情けなくてやるせなくて、
――わたし以外に、そんなやさしいような嬉しいような困ったような、その笑顔向けないで!!
どろどろでぐるぐるでぐちゃぐちゃの思考が溶岩のように沸き立って嵐のように渦巻いて、ワガママいっぱいのあれこれを機関銃の勢いで頭の中に叫んでいる。自分も周囲もすべてに腹を立てて、そんな感情任せに力任せにそのちいさなドアを開いた。
ばん!
一気に開いたドアは、勢い反対がわの壁にぶつかってかなり派手な音を立てた。いきなり開かれたそれに驚いたのだろう二対の目のうち、音にすくめられたのがそのうちの片方。
すくめられなかったもうひとつの目の主にそのままつかつかと詰め寄って、すっと息を吸い込んで――、
けれど彼女はそこでぴたりと動きを止める。
「……ま、マリア……?」
ぱちくりと瞬いてから、ぽつりとつぶやいた声の主。呆れたような驚いたような、とにかく間抜けなその顔を。何も言うことのできないままにぎろりとにらみつける。
髪こそ金髪で服装もいつもとは違うけれど、それはフェイトだった。ただの平凡な大学生のはずだったのにハイダでのんびりバカンスが一転してからこっち、想像もしていなかったあれこれが判明した、それでも「ソフィア」の幼馴染という事実だけは変わらない彼だった。
まぎれもないフェイトを、だから力いっぱいにらみつける。
「あ、あの……」
自分の立ち位置ではその彼の向こうがわ、銀髪に黒服の――「ソフィア」がそんな自分におずおず声をあげて。ちらりと見てしまってすぐに目をそらして、何ごともなかったふりをして再びフェイトをにらみつける。
「知り合い。……話があるから、ちょっと席をはずして」
かたい声は、怒りだけではなくていろいろな理由を含んでいたから。それを絶対に分かるはずのない声が、救いを求めるようにフェイトに向く。
「は、はい。フェイトさん……?」
「うん、そうなんだ。夕食楽しみにしてるから」
「分かりました……あの、お茶か何か……」
「いらない」
「だ、そうだ。ごめんな、いやな気持ちにさせて」
「いいえ! じ、じゃあわたし……向こうで夕飯の準備してますから!!」
――こんなの違う、わたしはこんな反応しない。
――こんなのわたしじゃない。
――わたしは、わたしは……!
思うのに言葉にできなくて、悔しくてやるせなくて唇をかむ。目の前のフェイトはただぱたぱたと身をひるがえした「ソフィア」だけを見ていて、いつもなら大好きなあの微笑を、自分ではない「ソフィア」だけに向けている。
――気付いてよ、フェイト!!
思うのに、言葉にはできなくて。
激情が、醜いだけのこころをこんなにも掻き乱して。
……ああ、視界が揺れる。それさえもなんて悔しい。
ぱたん、と小さな音でドアが閉じられた。心底名残惜しそうにそれを見送ったフェイトが、けれどふと何か小首をかしげている。この隙に言うこと言わないことを分けておこう分けておかなくちゃと思うのに、頭の中のほんの少しの冷静な部分はすることを追うのに精一杯で、肝心のその内容はまるでまとまらない。
いっぱいいっぱいで、ただ表面的にはずっときびしい目で彼をにらみつけている彼女に。
いかにも悩みながら、フェイトがちらりと顔を向ける。
「ええと、マリアだよな?」
「――そう見えるでしょう」
いっそ人形めいた硬質の美貌、誰にも引けを取らず誰にさえ誇ることのできる鋭利な頭脳。髪の色や格好こそいつもとは違うものの、反銀河連邦組織「クォーク」リーダー、マリア・トレイター以外にありえない。それ以外の人間に見えるはずがない。
フェイトが「フェイト」なのと、それはまったく同じように。
「うん……そうだよな。髪と服が違うけど、マリアなんだよな??」
しつこい質問に、ひたすら彼をにらみつけた。きっとその視線に彼は困ったように視線をはずしてぽりぽりと頬を軽く掻いて、けれど、
けれど不意に――顔を視線を真正面、今度こそまっすぐに彼女に向き直った。
「ソフィア」
「っ、」
「……だろう?」
息を呑んだ「マリア」にふっと笑う。それから、つい、と視線を先ほど「ソフィア」が出て行った小さなドアに向ける。
「さっきのはソフィアだけどソフィアじゃなくて、おまえはマリアだけどソフィアで。
……そうだろう?」
いくら勢い任せでも、それほど詰め寄っていたつもりはないのに。疑問形でのびてきた彼の手が、目尻に軽く届いてしまった。身を引こうとして、けれど身体が動かなかった。
先ほどの激情にころりとこぼれた涙のあとを、あまりに小さくて自分以外の誰にも絶対に気付かれないと思っていた涙のあとを、そして彼の手がやさしくぬぐっていく。
「ど、して……」
ふるえるかすれた声に、けれど手はどこまでもやさしい。
……あてずっぽうかもしれない、
……からかっているだけかもしれない。
思うのに、声のわななきはわななきのまま。無理に吐き出したささやきよりも小さな自分の声を、それでも彼の耳は拾い上げる。
「だって、ソフィアなんだろ?」
「うそ。……何も、覚えてないでしょう」
「……てことは、僕は何かを忘れてるんだ? 忘れてることにも気付かなかったけど、……そうだよな」
――どうして。
「何かあって、それも覚えてなくて、僕もソフィアもマリアも髪が変わるわ格好が変わるわ、……変だけど、まあそれって変で当然だよな」
――どうして、分かるの。
「何言ってるか、分からない」
――どうして、怒らないの。
「うん、変でもいいよ」
――感情に任せて、勝手な嫉妬に任せて。
――どろどろでぐちゃぐちゃの醜いこころを、見せ付けてしまったのに。
「――フェイト」
――どうして、そんなに。
――嬉しそうに、やさしい笑顔を、
……くれるの……?
まるでわけの分からないことをぶつぶつつぶやいて、勝手に納得したフェイトが笑っている。それはら。ソフィアが好きな、やさしくて少しだけいたずらっぽい子供みたいな、ソフィアだけの笑みを彼女に向けてくれる。
ソフィアだけの特別なフェイトを、ソフィアだけにくれる。
――どうして……?
「ソフィアが無事だったから、ソフィアが分かったから。もう全部どうでもいや。
……ごめんな? 見た目がマリアだから、ちょっと分からなかったけど」
――説明を、しなくちゃ。
――だめ、流されてる場合じゃない。
――説明して納得してもらって、連れて帰らなきゃなのに。
――そのためにマリアさんの姿を借りて、ここに来たのに。
――それなのに。
頭は、その欠片は、しなくてはいけないことを冷静なふりでどうにかつぶやいていた。けれど大部分は、先ほどまで怒り狂っていた大部分は、すべてすべて「嬉しい」に変換されてしまっていた。
フェイトのやさしい笑みが、
残酷なくらいにやさしい笑みが、
「嬉しい」をさらに押し上げて。
こみ上げる安心に安堵にいとおしさに幸福感に、ぽろぽろほろほろ、こころからあふれた感情が頬をこぼれる。
「マリアの顔でソフィア泣きされると、どうしたらいいのか分からないよ」
分からないことを言うフェイトがそれでもやっぱりやさしい笑みで、少しうろついた手がやがてやさしく髪を梳いてくれる。
――私のアルティネイションとあなたのコネクションでね、
――ちょっとおもしろいこと思いついたの。
――で、その前に確認なんだけど、
硬質の美貌がふわりとほころんで、それはとてもきれいだった。思わず目を奪われるソフィアに気付いていないのだろう、青い髪を揺らして華やかに微笑む彼女が、
――フェイトってゲームが好きなんでしょう?
――ええと、はい。
――この騒ぎに巻き込まれる前は、暇があればゲームばっかりでした、けど……。
――ならやっぱり最初のモニターは彼に決まりね。
話が見えないソフィアが思わず素直に答えたなら、きれいな笑顔がふと違う笑みに変わる。それは多分、フェイトが時おり見せるいたずらめいた微笑とまったく同じ種類のもので。普段が大人っぽい彼女が幼く見えて、そのギャップがなんだか不思議な感じがして、
――マリアさん?
――ええと、何を……。
とまどうソフィアに、まるで内緒話のように教えてくれた、それは。
――ちょっとね、ゲームのシステムを組み上げたのよ。
――ハードはプレイヤー自身の脳、ソフトはプログラムがいくつか。
――プログラムで意識および無意識の認識をつつくことで、「もしも」をそのままゲームに反映させて……、
いきなりはじまった説明に追いつくことができない。ただ目を白黒させるソフィアに、なんて説明したらいいかしらと笑顔が少し困ったものになる。
――そうね……?
――単純な話、夢を舞台に物語を進めるの。
――上手くすれば、メインのひとりの「夢」に、別のプレイヤーもアクセスできるわ。
なにせアルティネイションとコネクションの能力が必要不可欠だから、市場に流すなんてとてもできないけど。する気もないけど。でもこれって、まさに究極の「役割を演じる」ゲームじゃない。
――ねえ、なかなかおもしろいでしょう?
――ええと……確かにおもしろそう、かも……ですけど。
――プリグラムでたとえば「倒れていたプレイヤーを介抱する親切な地元民」を「やさしいひと」に設定すれば、メインプレイヤーの脳が勝手にそれに該当する知り合いをピックアップするわ。
――「自分」がその人にどういう人間として見られているか、分かっちゃうわね。
混乱するから、作中でキャラクタの使いまわしはしないつもりだし。プレイヤーの立場なら、参加の前に選んでおくことで、自分以外の誰かに「なる」ことも可能よ?
畳みかけるようにそこまで一気に説明して、ソフィアにはもう相槌を打つ暇もなくて。
――で、まずは「世界征服を企む悪い魔法使いを倒す」みたいな短い王道な話でも作ってみたの。
彼女にしてみればだいぶ噛み砕いてくれたその説明でも、結局ソフィアにはうまく理解ができなかった。理解できないまま、彼女はそのゲームを本当にフェイトにモニターさせて。
――ちょっと、困ったわね。
――え……?
――思った以上にハマり込んだらしくて、フェイトがなかなか戻ってこないのよ。
――え、……えええっ!!??
――ゲーム楽しむために、システム関係の記憶はクリアするまで封印しておくことにしたんだけど。
――多分、そこが問題だったのよね。
――「夢」の認識が足りないなら、それが「現実」なんだから。
――現実なのに、そこから「目醒める」なんて、……考えてみたなら、まあ確かに無茶よね。
――ま、まままマリアさんんっ……!?
その後もちょっとばたばたして、そんなこんなで出遅れているうちにすでに「ソフィア」は登場していて。「ソフィア」として出ることができなくなったから、「マリア」としてゲームに参加することになったのだけれど。
――ああ、でも。
――フェイトに気付いてもらえたから、そんなのもう全部どうでもいいや。
やさしい手が自分のもので、やさしいフェイトが自分のもので。それに安堵して目を閉じて、ぽろりとすなおに利己的に、そんなことを思った。
――フェイトがフェイトだから、他はもう関係ない。
――わたしがわたしでなくても、フェイトがわたしに気付いてくれるなら、もう。
――もう、……何だって、いい。
それはたとえば、無理に今すぐフェイトを連れて帰らなくたって。
そして。
「――ふはははは。勇者よ、よくぞここまでたどり着いた!」
……中ボスがクリフさん、なんだ……。
なんだか棒読みのいかにもな悪役台詞が、右から左に流れていく。呆れた視線を思わずフェイトに向けたけれど、いいのか悪いのか、彼はそれに気付かない。
――これが、フェイトの無意識なの……?
登場キャラクタの人選はプレイヤーの無意識だと、マリアは確かに言っていた。
――でも、仲間だよね? クリフさん……。
思っても、どうやらアンチョコ片手に悪役台詞をしゃべる中ボス・クリフは止まらない。長い台詞を真面目に聞いているフェイトも動かない。
――しかも、中ボスなんだ……ラスボスとかじゃ、なくて。
システムはじめ話の展開など全部をひとり知っている「マリア(中身ソフィア)」が、分かっているからこそいろいろぐだぐだ考えているうちに中ボスの長口上は終わって。結局説明ができなかった結果ほとんど分かっていないフェイトと、その立場上それらが分かるはずのない「ソフィア(ゲームNPC)」がなんだか勢い込んで一歩踏み出していた。
びしりと、なぜか鉄パイプをその中ボス・クリフに突きつけながら、
「そりゃがんばりもするさ! 外見ソフィアのお願いだからな!!」
「……え!?」
あんまりなフェイトの言葉に「ソフィア」がきょとんとする。
「さあおまえの特殊技能発動で「ソフィア」と「マリア」の人格を交換してもらおうか!!」
確かにそういう特殊攻撃があるのが、中ボスだけれど。そういう設定だけれど。
話の展開上の事前情報でいくらそれを知ったからといって、その目論見は確かに分からないでもないものの。
「……えっと、あの、フェイトさん……??」
「なんだかフェイトの方が悪役っぽいよそれ……」
「つか、いいのかよ一応オレの精神攻撃だぜ?」
「ソフィア」「マリア」に続いて敵のはずのクリフにまで素でツッコミをくらって、けれどフェイトはまるでくじけない。突きつけた鉄パイプは微動だにしない。
「外見ソフィア口説こうものなら中身ソフィアがものすごいし、かといって中身ソフィアは外見マリアだから手を出せないだろ!
ある意味ソフィアハーレムなはずなのにこの情況はあんまりじゃないか! いい加減我慢も限界なんだよ!!」
血の涙さえ流しそうな勢いに、とりあえずその場の全員の脳みそは瞬間的に強制全デリートをくらった。
ある意味、中ボスの特殊精神攻撃よりも。
確実にダメージがあった。
……ちなみにラスボスだけは製作者ご指名でミラージュが設定されていたとか。
そりゃ誰にも勝てないわと、結局話途中でクリアを断念しただとか。
そういう細かいことはまあ、別の話。
