敵の攻撃を回避した先に、別の敵が待ちかまえていた。着地したばかりでバランスを崩しかけていて、これは避けられないと思った。
思ったけれど、衝撃に身をすくめて思わず目を閉じたけれど。
衝撃は大したことがなくて痛みはいつまでもやってこなくて、閉じていた目を恐々開いたなら。
「……クリフ」
「何だマリア? 何か用でも見つけたか??」
大陸中を、宇宙を、次元さえ超えて。「神」に挑む一行は、今日はエリクールのペターニに宿を取った。
そして部屋を取って直後。
ノックとともに部屋ににゅっと顔を出したマリアに、養父はいつものあの笑みを向けてくる。野太くてやんちゃで包み込むような壁を張り巡らせるような、けれど魅力的ないつもの笑みを向けてくる。
それを見て、ただ――マリアは息を吐いた。
何気なく部屋に入るとクリフの背後へ回り込もうとしてみる。そんな彼女を阻止しようとさりげなくうろつき回るクリフに、そのせせこましい抵抗にやがてぷちっと堪忍袋の緒が限界を迎える。
「……クリフ」
「お、おう?」
低く地を舐めるような声に対して、どこか変に上ずりかけた声。ばしっと仁王立ちに腕組みをするマリアに冷ややかに見つめられて、えへらえへらと緊張感のない笑みが誤魔化そうとして、それが彼女には激しく気に食わない。
「……バレてるのよ」
「何が?」
「バレてるのよ分かってるのよ勘付いているのよ! 分かっているくせに苦しい知らないフリなんか止めなさいはっきりしないわね!!」
噛み付くように吠えれば、どこまで本気なのか全部からかっているのか、こええこええ、などと大袈裟に飛び退くのも気に食わない。そんなことでマリアが引き下がるわけがないと知っているはずなのに。わざわざ彼女を怒らせるクリフの言動の、その意図が分からない。
深く深く、自分を落ち着かせるためも含めてマリアはまた息を吐いた。
「…………クリフ?」
「………………はい」
蚊の鳴くように細く細く、今度こそ素直に返事をしたクリフががっくり肩を落とす。めんどくさそうにたらたら歩いてくるのに、素早く背後へ回り込んで。
マリアは息を止めた。
「……馬鹿ね」
肺が空になる超特大のため息に乗せるように、心底吐き出してみる。
広くて厚い大きな背、そこに走る一見地味な筋がいくつか。ぱっと見ただけでは布地が毛羽立っているだけにしか見えないけれど、クリフもマリアも、着ているのは頑強一点張りの特別素材でできた服だ。
この布地にこんな痕が残るような攻撃を受けて、その下にあった布地よりもやわらかい肉体が、何事もないはずもない。
「……本当に、馬鹿ね……」
「まあ、そう言うなよ」
ぼやきにどこまでも軽い声が返って。まるで何事もなかったような軽薄な声に、マリアさため息が止まらない。
か細い気配とかすかな足音が近付いて扉に顔を向けたら、タイミングよくそれが開いた。今ひとつ気配も足音も消しきっていない養女が、細い手に提げた箱を見せてくる。
「救急箱借りてきたわよ」
「おお、サンキュ。……と、」
なんだか荷が勝っているように見えたのでそれを受け取ろうとしたら、いいから服を脱げと顎で命じられた。はいはい、と肩をすくめて言われたとおり上半身はだければ、一瞬息を呑む気配、まったくなんだってこうなるまで放っておくんだか、というすぐに気を取り直したぼやき。
「別にほっといてくれて良いんだぜ? どうせ寝れば治る、」
「そういうわけにもいかないでしょう。私に勘付かれたのが運の尽きだとでも思って、あきらめるのね」
あきれ返った、をまるで隠そうとしない声が遠慮がちに傷口に響いた。一度ばれた以上今さら誤魔化す必要もないのに、クリフは走る痛みを噛み砕いてなにごとも無いように振舞う。
自分でも馬鹿なことをと思ったけれど、思うけれど、男の意地と沽券にかけて、誤魔化しきってやるぜと思う。
あの瞬間、戦闘でマリアが一撃くらいそうになった瞬間。たったそれだけで彼女がどうにかなるとは思わなかったけれど、いや、そんなことを思う間もなく。
月並みな言葉ながら――考える前に身体が動いていた。
そして、
――ああ、ヤベえと思ったのは脳髄を伝った痛みと同時だった。
これだけの痛みを、これだけのダメージをもしマリアに知られたなら。マリアを庇ってそれだけの怪我をしたことを知られたなら。
親に庇われ助かった、そんな過去のトラウマがある。冷たいふり、ドライな仮面をつけていても心の優しい彼女を知っている。
そんな彼女にもしも知られたなら、絶対に気をやむと思った。気にする必要はないとどれだけ言っても、その言葉にまるで効果がないことは知っていた。どうしてここまで、とあきれるほどに自分を責めるマリアに、考えなくても思い当たった。
それは、激しく嬉しくないと思ったから。
だから、あの一瞬にダメージに備えてだろう、ぐっと目を閉じているマリアをいいことに、クリフはすぐさまその場を離れた。じっと見られてばれないようにと、敵へと突っ込んでいった。戦闘が終わってからも、気付かれないように、マリアに気付かれないようにとそんなことに気を配って。
こんなことにかまけている余裕などないくせに、そう公言しているくせに。実際これを見つけたならかまけようとするマリアが分かっていたから。義務感と優しさに勝手にがんじがらめになって、苦しむマリアが分かっていたから。
そんなマリアをクリフは見たくなかったから。
だから、何事もないふりをしていたのに。
「……痛くない?」
「痛くねえっつったらウソだな。ま、無理してるわけじゃなくて大丈夫だって言える程度だしな」
「分かりにくいわよ」
「わざとだしなあ」
どこまでも軽い口調のクリフが、本当はかなり痛がっていることは治療をはじめてすぐに分かった。
本当はマリアが手を出すつもりだったけれど、クリフが許してくれなかった。口で止められたわけではないけれど、アナログな医療措置は専門外で、マリアには何もすることができなくて。実際にふれて確かめることはできなくて。
けれど。
痛いくせに、我慢していることは見ているだけで何となく分かった。全身筋肉が緊張しかけて、それを無理やり押さえつけているのが分かった。筋肉は思うように動かすことができても、浮く汗はどうにもならないから。ゆるく浮いた脂汗を見れば、どれだけクリフが無理をしているかなど、マリアにはすぐに分かった。
分かって、なんだか息が苦しくなって、
てきぱきと手を動かすクリフに、マリアは息を吐く。
「――そんなに無茶して庇ってくれなくても、いいんだけど」
「分かってるさ、お前を信用してるんだけどよ。
なんでか身体が動くんだよな」
見えない背後のくせに、クリフの手には迷いがない。それもすべてお得意の勘なのか、てきぱきと薬を塗ってガーゼを当てて包帯で固定していく。
「庇われるの、私、好きじゃないわ」
「……知ってるんだけどなあ」
怪我人が、背面に傷を負った人間が身をよじれば痛いだろうと思うのに、マリアが手を出すよりも早く包帯はそれなりにきれいに巻かれていく。そうして隠れていく傷口に、安堵の息を吐く自分を発見してそれがなんだか許せない。
むっと一人、勝手に雰囲気を固くしたマリアに降ってくる苦笑。
「オレがお前を庇って怪我して、その怪我を気付かれたら、嫌がるってのは分かってた」
「……分かっていて、」
「ああ、分かっていて、でもオレはお前をかばいたかった。オレが盾になってお前が怪我するのを防げるなら、それが良いと思ったんだ」
「嬉しくないわよ、それ」
「分かってたんだがなあ」
クリフが苦笑する。
気が付けば治療は終わっていた。やることがなくなって、結局救急箱を持ってくるくらいしかできなくて、そんなマリアはただ黙って部屋を出ようとする。帰りついでに返すつもりで、救急箱を片手に提げている。
「もう庇うなって言っても、やるのよね?」
「勝手に動くもんは仕方ねえだろ。実際、オレが無傷でお前が怪我するってのは嬉しくねえ」
「……勝手ね」
「まったくだな。……まあ、お前は切り札だからよ、今は、この旅では黙って庇われててくれよ」
「…………ずるいこと言うじゃない」
――アルティネイションの特殊能力を持ち出すなんて。
――私自身にどうでもできないことで私を牽制しようだなんて。
むっと、これまで以上に表情を険しくしたマリアが口を開いたところで、それを封じるように苦笑するクリフ。硬い雰囲気がこの笑み一つでなんだかやわらかくなって、それが気に食わない、――そう思ってしまう自分が悔しい。
結局は、笑みの雰囲気に呑まれている自分が悔しい。
「クリフ、あなたね、」
「……そうやって、怒るからこそ、なんだよ。守られることを嫌がって、守るがわに立ちたがるお前だからこそなんだよ」
「……?」
怒りを削ぐ絶好のタイミングで、出されたよく分からないなぞなぞに。おもわずひねるマリアの頭を、クリフの大きな手が撫でる。先ほどまで傷口に塗っていた軟膏独特のにおいが一瞬かすかに漂って、それになんだかはっと顔を上げたマリアに、
「その心が、オレの、オレたちの……切り札なんだよ」
分からないマリアがきょとんと目を瞬いて。
クリフがにかっと笑った。
