信じているけれど。
心配なものはどうにも心配で。
――食欲が落ちているみたいです。
相棒の報告に、たった一言に胸がざわざわした。彼女が続けて何か言ったはずなのに、聞いたはずなのに頭が記憶しなかった。いても立ってもいられなくなって、その場で踵を返して。
――クリフ!?
話はまだ終わっていませんよと言われたような気がするけれど、それさえよく覚えていない。
「マリア!」
踏み込んで、瞬時に空いた扉の向こう。備え付けのモニタにまっすぐ向いていた小さな頭が、ゆるりと振り返った。
「え、クリフ? なに??」
いつ見ても細い身体、小さな頭。赤いリボンでまとめた青い髪がゆるやかに動きを追って、一瞬その顔をかくして。現れた彼女の顔はいつもと同じ、今朝合ったときと同じように見えたけれど、話のあとだからなんだか一気にやつれたようにも見える。
とりあえず、顔色が悪いのは拾ったときからずっとそうだったような。
「どうしたの?」
きょとんと瞬く翠の瞳に、ふと、何も考えずに部屋に飛び込んだ自分に気が付いて。クリフはあははと微妙に笑いながら金髪に手を突っ込んでがりがりとかきむしった。
――何と言うべきか、何を言うべきか。
ここではじめて、それを考えはじめる。
この少女を、マリアを拾って十日ほどが過ぎていた。漂っていたポッドの中、衰弱していた彼女はしばらく医務室のベッドにいたけれど、数日前から自室として割り振ったこの部屋に落ち着いている。
周囲は大人ばかりの中、クラウストロ人という地球人の彼女にとっては確実に異性人たちの中。けれど元からそうなのか、いかにも利発な彼女はもうすっかり艦内を探検しつくして、その最中に大体のクルーと挨拶を交わして。どうやら会ったメンバーの顔と名前はほぼ確実に覚えたらしい。
見た目が愛らしく、頭の回転が早く、決して仕事の邪魔をしない割に懐いてくる少女は今ではすっかりクルーたちのアイドルで。探検が一区切りついたとかで今日はこうして部屋にいるけれど、一歩部屋の外に出たなら誰かしらがチヤホヤと世話を焼いている、らしい。
すべて相棒からの受け売りだけれど。
「ええと……な。いや、特に用事があるってわけじゃねえんだが」
「……走ってきたのに?」
無邪気に訊き返されて、何も言い返すことができなくて言葉に詰まった。あー、とかうー、とかうめきながら、クリフはまたちらちら彼女を盗み見る。
モニタはいいのか、そのまま放り出して。やや遅い足でちまちま近寄ってきた彼女は笑顔をまっすぐ彼に向けていた。まだまだのびざかりの少女の身長は、基本的にガタイの良いクラウストロ人の中でも長身のクリフの、胸より下あたりまでしかない。この身長差では見上げるのも見下ろすのも、どちらも首が痛い。
迷ったクリフはとりあえず、
「……座ってもいいか?」
目が指したのはベッド、少女はそれを目で追ってからいいよとこっくりうなずいた。家主の許可にそこへと腰を下ろして、本人はてててっと駆け寄ると彼の横にちょこんと座った。ぶらぶら脚を揺らして、そのたびにほんの少しベッドのスプリングがきしむ、気がする。
「あー……なんだ、不自由なとこはないか?」
「ない……うん、ないわよ。みんな良くしてくれるし、足りないものも特にないし」
訊ねれば、こくりとうなずく小さな頭。つられてさらりと流れる髪。
「ここは立ち入り禁止って怒られることもないし、みんなやさしい」
「そうか……」
会話が続かなくて困るクリフに、彼女はくすくすと華やかに笑う。
「ミラージュがね、子供だからって特別扱いするのもなんですからって、いろいろ教えてくれるの。今この艦はクラウストロに帰還途中で、その予定はキャンセルできないから私もクラウストロに行けるんでしょう? すごいね、クラウストロに行った地球人の子供って私が最初じゃないかしら」
「あー、どうだろうなあ。そうかもしれねえなあ。……嬉しいか?」
「うん」
うなずく少女。普通なら自分のカラに閉じこもって出てこなくなるのではと思うのに、どうやらその心配とは無用らしい。それはそれで良いことだと思う、……いや、空元気なのかもしれないけれど。
けれどクリフには分からないから、そうかとほっとすることにして。
「……しかしやっぱり細いなあ。マリア、お前ちゃんと食ってるか?」
「食べてるわよ」
からかっていると思われたのか、むっとむくれる。悪い悪いと中途半端に笑いながら、けれど、
「けどお前、クラウストロって地球よか重力きついぜ? 動けなくなったりしないでくれよ」
「そんなの行ってみなきゃ分からないじゃない。……わたし、これでも発信時の耐Gにはけっこう強いわよ?」
「それと重力は違うからなあ……いや、食ってるならいいんだけどよ。あと、寝てるなら。
……お前さんどーにも顔色良くねえから、心配でよ」
「大丈夫、平気」
からかいではなく真剣に心配しているのだと伝わったのか、こちらも真面目な顔になってこっくりうなずいて。それに安心して小さな頭に手を乗せれば、何だかくすぐったそうに首をすくめられた。
その仕草が、今まで数回目にしたそれとぴったり重なって。
言葉ではいまいち納得できていなかったのに、そのしぐさだけでなんだか安心して。
現金なものだなと自嘲する。あるいはオレってバカだなあ、なんて。
信じている。強がってばかりではなく、限界の手前でちゃんと弱音を吐くだろうマリアを。自分の手におえないと判断したなら、きっとためらわずにちゃんと助けを求めるだろうマリアを。
信じている、ちゃんと信じている。
信じているけれど。
心配なものはどうにも心配で。
「……無理はするなよ?」
「みんなそう言うね。大丈夫。……ありがとう」
もう一度青い髪に手をのせる。さらりと逃げるそれは手触りが良くて、やっぱり手触りが良くて。ずっと髪をなでていたい欲求さえわくほどに、見事に手触りが良くて。
「……それだけだ。邪魔したな」
「ううん、いいよ。……心配してくれて嬉しい」
素直な礼の言葉が、心にやんわりしみ込む、広がる。
部屋を出たなら、相棒が腕までくんで待ちかまえていた。
――クリフ、人の話は最後までちゃんと聞いてください。
はじまった文句に肩をすくませて。
そっと手を見下ろしたなら、先ほどの青い髪の感触が甦って。
クリフはほっと息を吐いた。
――相棒の眉がぴくりと上がったのには、気付かないことにしようと思う。
