それはどうしても仕方のないことだから。
ひとつひとつ、一歩一歩、確実に、着実に――、
「うっひょー、今日のメシもまたうまそうだなあ」
「行儀悪いぞクリフ。……うん、でも本当においしそうだ」
「誉めすぎだよ、材料も腕も大したことないからさ。いつも言ってるけど、大袈裟に騒ぐもんじゃないよ」
男二人の言葉にネルは苦笑した。作ったものはありあわせの食料を刻んで少し味付けをしただけのスープ、腹もちはするけれど彼女自身は大して美味しいとは思わない。
それでも、作って喜ばれるのは嬉しい。椀によそって差し出して、喜々として受け取ってもらえるのは嬉しい。うれしいから苦笑が少しだけやわらいで、そんな自分が少しだけ面白く思えて。
アーリグリフの牢屋から「グリーテンの技術者」二人を助け出して、シーハーツに向けて一緒に旅をはじめて数日経っていた。そういう文化の違いなのか、青髪の方はまるで料理をするつもりがないらしいし、金髪の方は普段の言動からとんでもなく豪快なシロモノを作りそうで。
だからネルが食事を作ることが、経た数日分回数分、くり返されていた。
そして。
「ごっそーさん! いやあうまかったぜネル!! やっぱお前さんの料理は絶品だな!」
いつものように出されたすべてがぺろりと平らげられてものすごい破顔が向けられて、ずっと心の底に沈んでいた疑問に彼女は眉を寄せる。野宿だけあってどんなときも完全に気を抜くわけにもいかなくて、だから早めに食事を切り上げた青髪の青年が周囲の見回りを買って出てその場にいなかった、それもあったかもしれない。
自分ではかすかなつもりのその表情の変化に気が付いたか、大袈裟な賛辞を贈った金髪の男がふと首をかしげる。
「――どうかしたか? 今になって、何か食べれんモン入れちまったことに気付いたとか」
「そんなわけないだろう。……もしもそうだとして、同じ席で同じもの食べてるんだ。いくらなんでも途中で気付くさ」
豪快で粗暴でどこか無責任で、そのくせ狡猾で理詰めでものを考えていらないものは容赦なく斬り捨てる、それなのにどこか憎めない男をネルはじっと見つめる。きょとんとした顔が変にかわいらしい男を見上げて、なんだかどうしても申しわけない気持ちになって、
「……足りなかったかい?」
心の底にずっとたまっていた疑問を、そうしてぼそりと吐き出した。
――それは、本当に疑問だったのだけれど。
――間違いなく純粋な、単なる疑問だったのだけれど。
「…………へ??」
ぱちぱち、大の男がしても決してかわいらしいはずもないのに、大袈裟に男が瞬いた。ぽかーん、間抜けに口を開けてかっきり三秒、今度は顎に手を当ててうーんと考え込む。
「無い袖は振れないし、手持ちの食料も限りがあるし。だから今日のはどうにもできないけどさ。次のは水か何かでもっとうめて、せめて印象だけでもどうにかした方がいい……んだろうね?」
「いや、別に……あるなら食べるが、そんな少ないってほど少なかないぜ? つか、お前ここ数日自分の分減らしてるだろ。むしろちゃんと食べろってオレが言いたいんだが」
今度はネルが眉を寄せる、疑問にどうしても眉を寄せる。
「……だって、全部平らげるじゃないか」
この男も、今はこの場にいない青年も。身体の大きさやら成長期やらが影響して、どうしても大食らいなのだろう。今までの数日間、出した食事はすべてきれいに食べつくされたから。
間違いがないそれを振り返って、ネルはさらに眉を寄せる。顎に手を当てた男も同じく考え込んでいる。
「そりゃ、出されたもんは食べるのが礼儀だろ?」
「そうじゃなくてさ」
「……ん?」
「え?」
二人して疑問を顔に出して、そしてふと上がった声にネルが顔を向けて。きっとまだ寄っていたのだろう眉間を、男の太い指が軽くつついた。
「……ああ、なるほどな」
「何がだい?」
小突かれてむっとした心は事実なのに、うんうんと勝手に納得してうなずいている姿に好奇心がくすぐられた。訊ねれば男はにやりと笑って、空になった鍋に顔が向く。
「別に、なんてことないんだよな」
「何が」
「気付いちまえば、本当にどーってことねえんだよな」
「だから何が」
今度とぼけたら殴りつけてやろう、そう思ったネルを知ってか知らずかなんだか大袈裟に肩をすくめて、
「常識の違いってやつだよ」
「……は……?」
まるでわけの分からない言葉にネルがまた眉を寄せたら、そこを再び指先につつかれた。
いい加減怒鳴りつけようとした矢先、遮るようなタイミングでちっちっちと指が振られて、
「あれだ、ネル、お前さんの常識だろあれだろ。満腹になったなら一口分残すんもんなんだろ?」
「? ……何言ってんだ、い、」
言いかけて、そこでネルははっと気が付いた。何を当然のことを、言おうとして気が付いた。
ネルはシーハーツの隠密で。シーハーツ王家に代々仕える、王のそばに直接控える一族の、つまりは貴族の人間で。
だから彼女の「常識」は、少なくともここ、偵察先のアーリグリフのそれとは、ここの民の常識とは少しズレがある。
隣の国の、何代か前までは同じ国に暮らしていた、遠く血をさかのぼるなら祖先を同じとするアーリグリフでさえそうなのだ。
大陸さえへだたりがあるグリーテンの人間相手なら、それはさらに広がらないはずがない。
豊かなシーハーツなら当然のことが、ここアーリグリフ領内では違うのかもしれない。グリーテンではまるで違うのかもしれない。
うっかりしていた、
当然のことだった。
……むしろ、なぜ失念していたのだろう。
「オレはさ、お前さんの作るスープが本当にうまいと思うんだ。だから残すなんてもっての他、全部きれいに、できるなら皿まで舐めたいんだよ。さすがにやらねえけどな。
……たぶん、フェイトも同じなんじゃねえのか」
笑う男がなんだかとてつもなく恥ずかしくて直視できなくて、けれど逃げるようにその場を去るには彼女のプライドが許さなくて。
考えてみれば当たり前のことを、真剣に悩んでいた時間が恥ずかしくてやるせなくて。
うつむくネルの頭を、またあの手が軽く小突いた。けれどやはりどうしても上げられない顔を、大きなごっつい手がそっと包むように触れる。
信じられないほど暖かい手に、触れられる。
「今回のはあれだ、野宿中で普通とは違うし、何しろ知り合って間がねえからよ。
仕方がねえんじゃねえのか。……別に他の誰に知られたってわけでもねえし」
「だ、……その、」
「今恥ずかしいなら、その分次には忘れねえだろ? いろいろ思っただけででっかく何かをやったわけでもねえし、大体、お前さんが間違っていたってわけでもねえじゃねえか。
気になるなら、次から気を付ければすむ、……違うか?」
「そう、……かも、しれないけど、さ……」
ぽつりぽつりつぶやいて、
――なんだか先ほどとは違う感じに頬が顔が熱くなってきて、
それはどうしても仕方のないことだから。
ひとつひとつ、一歩一歩、確実に、着実に――、
そう笑う男が、なんだかとても頼りがいがあるように思えて。
そう笑って許してくれる男が、ネルには気付けなかったことにすぐに気付いた男が、なんだかとてつもなく頼れるように思えて。
そんな男に触れられている、その事実がなんだか恥ずかしくて。
その事実を、恥ずかしく思えて。
「あー!! お前、クリフ! 何ネルさんに触れてんだよ!?」
「……ちっ、見付かったか。
そんなわけだ、ネル。気にすんなよ。オレが変なことしてんなら、一言いってくれりゃ直すしな」
――そうして、ゆっくり分かり合っていこうぜ?
上げた顔に、クリフが茶目っ気たっぷりに片目をつぶってみせた。
たったそれだけさえなんだか恥ずかしいネルを彼から引き離して、駆け寄った青年がなんだか噛み付いている。それをぼんやり右から左に流しながら。
ネルの頭が、言われた言葉をゆっくりゆっくり噛みしめている。
