あのひとは、まるで霧のようだ。
いつもはあんなに暖かな太陽のようなのに、ときおりとてもそう思う。
水のにおいと身体の芯まで冷えるような寒気に目を醒まして、ぼんやり身を起こしたソフィアはふるりと身を震わせた。寒かったのかもしれなかったし、別の理由だったのかもしれない。分からなかったけれどいつもは起きるとすぐにきちんとたたむ毛布を、その日は手放すことができなくて。
マントのようにはおると、合わせ目をぎゅっと握りしめる。
それがいつものことなのか、それとも珍しいことなのか。サンマイト平原は薄くけぶった白を、その朝静かにまとっていた。
彼女の視界の先は、薄くけぶった白。視界をまるきり隠してしまう乳白色の濃い霧、ではなくて。近くははっきり見えるけれど、薄ぼんやり視界を狭めている。遠くを見れば霧が発生していると分かるのに、近くばかり見ていたらそれに気付かない。
そんな、白に包まれている。
――これは、何かを、誰かを連想させる。
何となく動く気になれなくてぼんやり身を起こしたまま、ソフィアはふとそんなことを思って……早朝の冷たい空気にほんの少しだけ、むせた。
「……嬢ちゃん?」
ほんの小さなはずの音に、ずいぶん遠くから足早に近付いてくる人影。最初はただ長身で体格がいい誰か、としか分からなくて――このパーティメンバーから考えればそれが誰かはそれだけで分かったけれど、とりあえずは最初はそれしか分からなくて、
そしてゆっくり分かってくる顔立ちの服装の細かいところ。心配して駆け寄ってきた、というわけでもないけれど、それでも大雑把に見えて些細な物音にちゃんと反応してくれる。
「クリフさん……おはようございます。見張り当番でしたっけ?」
「いや、ちっとばかし早く目が醒めちまってよ、散歩がてらそこいらうろついてただけだ」
つぶやきに応えてにかっと笑う、大人の男の人なのにその笑顔の幼さに。くすり、ソフィアの口元もゆっくりとほころんだ。
「心配してくれて、ありがとうございます。なんだか、ちょっと……冷たい空気に、むせたみたいで」
「なるほどなあ」
納得したのか大袈裟にうなずかれて、その大袈裟さが面白いと同時になんだか微妙な感じがする。それとは別に、何だか心のもやもやがぐぐっと膨らんで、なんだろうと途惑ったソフィアがクリフを周囲をぐるっと見渡して、
――ふと、思った。
――思っていたことに、気付いた。
「……クリフさんは、ときどきまるで霧みたいですね」
「詩人だねえ。……つか、どこが?」
さらりとうなずかれてあれっと思った瞬間、訊ねられて。本人にはからかうつもりはないだろうけれど、なんだか十分からかわれているような気がしてくる。
「えと。いつもは、太陽みたいだなあって思うんですけど」
明るくて、あたたかくて。ときどき熱すぎて近寄ることができなくて、けれどとにかく存在感が大きくて。良いも悪いも普段のクリフは太陽みたいだと、ソフィアは思う――けれど。
「ああ、そりゃよく言われるな。自分じゃよく分からねえんだが」
「……でも、ふっとした瞬間のクリフさんは霧みたいだなって、」
「?」
こうしてきょとんとした顔、それは太陽のときのクリフだ。仲間と親類家族がごっちゃになったような、とにかく身近なもの相手のこのやわらかい雰囲気は太陽のときのものだ。
このクリフが大部分なのだと思う、そう見せているだけにしてもそう思う、けれど。
けれどときどき太陽ではないクリフがいて、それはたとえば月のようで、そして、――そしてたとえばこの霧のようで。
広がって包み込む、くっきり見せかけておいて実は誤魔化してしまう。やわらかな印象で、けれど着実に体温を奪い取って。ときには方向を見失わせるかもしれない、そうしてじわじわ死においやるのかもしれない。
曖昧なようで、――たぶん決して仲間には向けられることのない、冷たくて厳しい一面。
「どっちもクリフさんだし、もっと違う面があるのかもしれないし、どちらにしろ良い悪いじゃないんですけど。
――正反対なものを持っているなあって、クリフさんはそんなひとだなあって」
「? そうか??」
――よく分からねえ、嬢ちゃんはやっぱり詩人だな。
そんな風に、今度は少し苦笑の混じった笑顔。
きっと他意はなく誉められているのだと思って、ソフィアの口元も少しだけゆるむ。
別に、だからどうということのない会話。
何となくソフィアの胸のもやもやがすとんと落ち着いたようで、少しだけすっきりした、ような気がする。
「もう、起きますね……あさごはん、作らなきゃ」
「おお、嬢ちゃんのメシはうまいからな! 期待してるぜ」
「そんな、誉めても何も出ないですよ」
言葉を交わして、そしてクリフはくるりと背中を向いて。太陽のようなクリフはそのまま特に何ごともなく歩き出して。
――あのひとは、まるで霧のようだ。
いつもはあんなに暖かな太陽のようなのに、ときおりとてもそう思う。
――あのひとは、まるで霧のようだ。
――見えるのに触れない、触れさせずに逃げていく。
――そうしてひっそり冷たい面も、暖かで苛烈な太陽の下に確かにあって。
――どちらが本質かといわれればきっと太陽の方だろうと答えるけれど、けれど霧の面だって確かにあって、
その、霧の面をこれから先向けられることはないだろうけれど。
その、霧の面をこれから先向けられることがないように祈りたい。
――あのひとは、まるで霧のようだ。
――だってほら、こんなに曖昧で……とりとめが、ない。
