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鉱山の街カルサア。
一行は公爵級ドラゴン・クロセルに協力を仰ぐ前に、としばらくここに滞在していた。一応名目は、準備を整える、ということになっていたが。
「――おはようございます、アルベル様。今日も良い天気ですよ」
「あー……」
ウォルターの屋敷、一室。メイドの声にアルベルはぼーっと目を醒ました。容赦なくカーテンが開けられ、眩しい陽の光が入ってくる。
「フェイト様方から、宿屋で一緒に朝食を、との伝言でございます」
「ああ……」
フェイトたち四人は宿屋「アイアン・メイデン」に、アルベルだけはウォルターの屋敷に、それぞれ宿泊していた。宿屋の安ベッドより屋敷の方が寝心地が良かったし、だからといって今まで敵だった人間を気安く泊められるほどアルベルは心が広くない。――館の持ち主は、頼めば快諾しそうだったが。
それはともかく。アルベルは一つ頭を振る。
昨夜飲んだ睡眠薬のせいだろうか。悪夢も見ずにぐっすり眠れたが、おかげで頭が全然働かない。やけに気だるい。
元々低血圧気味で、任務のときなど気を張っていればともかく、そうでもなければ朝には弱い。自覚はあったから、それほど気には止めないことにする。
「――着替える。出て行け」
「はい」
寝酒の空瓶を抱えたメイドが退出し、脱ごうと服に手をかけたところで。アルベルはようやく「それ」に気が付いた。
思考が停止する。
「……なっっんじゃこりゃあぁぁぁああぁっ!!??」
さわやかな早朝。道ゆく人々が思わず周囲を見渡し、戯れていた小鳥たちがいっせいに飛び立った。
「フェイト、貴様……なに盛りやがった!?」
ものすごい勢いで宿屋に駆け込んできたアルベルが、紅茶などを楽しんでいたフェイトにそのままの勢いで詰め寄った。胸元を掴み、引きずり上げる。
「やあ、アルベル。おはよう」
「……ほぉ、そーくるか」
不気味な笑みを浮かべると、左手の鉤爪をその喉元に突き付ける。手入れの行き届いたそれが、窓から入った光を反射してぎらりと凶悪に光った。
が、フェイトは相変わらず薄い笑みを浮かべたまま。何を考えているのか分からない。
「おいおいおい、保護者の目がないのをいいことに――」
一触即発の空気を遮断したのは、階段の上からのクリフの声だった。が、みなまで言う前に途切れる。
何だか激しく間違ったものを見たような気がした。
そういえば、こういう時真っ先に止めに入るはずのネルが、フェイトと一緒のテーブルについているにもかかわらず何も言っていない。――いや、何かを言うどころか、驚愕の表情で凍り付いている。マリアは……そういえばまだ二階にいたような。
クリフは頭を一つ振った。少し混乱しているらしい。とりあえず顔を上げる。
まずは、いまだ鉤爪を突き付けられているフェイト。こちらはいつもどおりで別に何の問題もない。平和に熟睡できたらしく、顔色も良いし。口元に浮かべている、一見人畜無害な――しかし意味を知っている人間には不吉な悪寒を呼ぶ、その爽やかな笑顔が気になるところだが。
覚悟を決めるとクリフは問題の人物を見やる。
――アルベルだ。アルベルだろう。多分アルベルに違いない。いや、外見はアルベルそのままだし。触手の二本生えたプリン頭だとか、赤い目だとか。長身の割に細身なところだとか。フェイトに突き付けたまま微動だにしない左腕の鉤爪だとか。腰に佩いたカタナだとか。野郎がそういう色気を振りまいてどうすると、つねづねツッコミたくてしょうがない腹出し脚出しの服とか。
うん、アルベルだ。間違いない。
ひとつ静かにうなずくクリフの背中を、部屋から出てきたマリアが軽く叩いた。
でかい図体でこんなところに立ち止まってないでよ、邪魔じゃない、などとけっこうひどいことをぼやきながら階下を見やって、ちょっと首をかしげる。
「おはよう……アルベルって、女だったの?」
「あああああああああ」
気付かなかったわ、などとのんびりとつぶやく養女に、クリフは思わず頭を抱えた。
ぱっと見はそんなに変わったわけではない。嫌そうな顔をしてにらみ付けてくるのに思わず愛想笑いなどを返して、クリフは唸った。
美人だ。
野郎の顔などそうまじまじと見る趣味はなかったが、そこそこ整った顔立ちだとは思っていた。思っていたが、何だかこう、女性特有の柔らかさが加わった途端イメージがずいぶん変わったような気がする。
丸みを帯びた頬のラインだとか。切れ長の瞳だとか、つやめいた唇だとか。いい加減怒りそうだったので視線を少し下げる。――胸はさほど大きくはないが、全体的に引き締まっていてスレンダーなのでまったく気にならない。というか、細いなりに複雑な曲線を描くその身体は、魅惑の一言に尽きる。いつもの服装も、性別が違っただけでこうも違って見えるのか。眼福というか目の保養というか。水着などの露出度の高い格好も良いが、こうした格好の、スリットからこぼれ落ちる太股などがまたなんともいえない色香を纏っていて、なんだかものすごくそそられるものがある。
――マリアもネルも十分以上に美人だが……妖艶さで言ったらこいつが一番だな……。
はっきり言って好みど真ん中だ。元が男だと知らなければ、多分見た瞬間本気で口説いている。
「――いい加減にしろ、クソ虫が」
低めの声も、落ち着きがあってそのくせ色っぽい。口が悪くても罵倒されていると分かっていても、自分に向かって言っている、その事実にちょっとときめいてしまう。
骨抜きになったクリフにあきれて、マリアがフェイトに顔を向けた。
「……それで? 一体どういうことなのかしら」
表情も声も普段通りだが、底にごりっとした恐い何かを含んでいる。マリアの問いにちょっと考えて、にっこりとフェイトが笑った。
「……昨日クリエイションで睡眠薬作って。どうも効果が怪しくて特許申請しなかったんだけど、もったいないからってアルベルにあげたんだ。
いや、まさかこんな副作用があるなんて思ってもみなかったよ」
「それで、ゴッサムは次は何を作るって? また女性の敵な薬かしら」
「いや、ある意味味方じゃないかな。性転換薬の成功に気を良くしてさ、飲んで効く豊胸薬も夢じゃないとか何とか、例によって鼻血出しなが……ら……」
さすがに笑顔が引きつった。淡々とした表情でカマをかけたマリアが、銃口を瞬時にフェイトの頭に突き付けている。
「――なんでそういう面倒引き起こしてくれるのか、説明してくれるわよね?」
「いやあのその――……基本だし」
「なにがだ!?」
触れれば斬れそうな鋭すぎる視線で二人の会話を見守っていたアルベル(女)が、悲鳴のような声を上げた。
「結局は……興味本位、だったわけね?」
「うんまあそんなとこ。実際できるかどうか効くかどうか、自分で作ってても半信半疑だったし」
しれっと答えたフェイトの頬のすぐ横を、空を灼く白い光が行き過ぎた。髪の焦げる臭いが漂い、宿屋の主人の青い顔がさらに青くなる。彼の背後の壁はもう穴だらけで、ネルはいまだ呆然としながら、修理費はいくら請求されるのだろうか、などと現実逃避に考えていた。
「――で、なんでアルベルなの?」
「消去法」
「?」
「ほら、女性を男にするのなんかハナから問題外だろ。筋肉ダルマが女になってもあんまり嬉しくないし。そうなったら残りはアルベルだけじゃないか」
――それともパーティ以外の人で試した方が良かったかな?
慣れたのか、頬すら引きつらせなくなったフェイトの脳天を今度こそかすめて、光が走った。凶悪な笑顔を浮かべるマリアが今度は銃口を心臓に向けたのを見て、アルベル(女)の姿に骨抜きになっていたクリフが、ここでようやく復活する。
「ま、待てマリア、落ち着け!!」
「……他人を実験台にするなクソ虫……そんな理由なら、自分が飲め……!」
「おい、お前もっ、狭いところで刃物振り回すな……って、うぉ、あぶねっ」
「こんなところで暴れるんじゃないよあんたたち! フェイト、あんたも無闇に煽るようなこと言ってないで!!」
クリフがマリアを羽交い締めにし、いい加減宿屋の主人の目に耐えられなくなった常識人ネルが、悲鳴のような制止の声を上げた。クリフに押さえ付けられながらもマリアが引き金を引いて、ネルに邪魔されながらもアルベル(女)が刀を振り回し、しかしフェイトは涼しい顔をしてすべての攻撃をよけている。
もう何が何やら。
しばらく後。
「……修練場まで……行ってくる……」
肩で息をするアルベル(女)が吐き捨てるようにつぶやいた。厳しい顔をした、やはりバテているマリアが口を開くのを見て、そっぽを向きながら付け加える。
「憂さ晴らしだ……往復でモンスター潰せば、多少は気が晴れるだろ……」
「なるほど。んじゃ、オレも行くぜ」
「あぁ!?」
眉が跳ね上がったのを見て、落ち着けと手をぱたぱたさせるクリフ。
「お前が逃げるとか、んなこた考えてねぇ。だが、身体が本調子じゃないっつーか、いつもと勝手が違うわけだろ。万が一ってことがあったらまずいじゃねえか」
本音を言えば、アルベル(女)が気に入ったので――もちろん普通の女相手のように手を出すわけにはいかないのは承知の上で――くっついていたい、といったところだが。
もっともらしく言われて一瞬アルベルが黙った隙に、そうね、とマリアがうなずく。
「じゃあ、ネル、あなたも一緒に行ってくれるかしら。どこかの馬鹿が暴走しないように見張っていてほしいの。私は、こっちの……元凶に、解毒剤作らせておくから」
「――分かったよ」
正直なところ、本心では一人で静かに気を落ち着かせていたかったネルだが、理路整然と頼まれてしまえば断れない。これも任務だと涙を飲んであきらめる。
――いや、ここで逃げたら本気で後味が悪いことになりかねないし。
「さあ、キミは調合よ! ……変なマネしたら指一本ずつ消していくから覚悟するのね」
「分かったよ……恐いこと言うなあ。美人が台なしじゃないか」
やれやれと肩をすくめ、みんなワガママなんだから、と続けたフェイトに、それはお前だという全員の全力ツッコミが突き刺さった。
結局。
解毒剤は製作不可能だと思い知るのに半日かかったり、ならばと同じ性転換薬を作るのにさらに半日かかったり、なぜかその途中に豊胸薬ができ上がったり、それをこっそりマリアがちょろまかそうとしていたり、フェイトがそれに気付いて思わずからかった結果ファクトリーが半壊したり、しかしどうやらアルベルに飲ませた方の薬は効果時間が決まっていたらしくようやく薬が出来上がるころにはアルベルは男に戻っていたり。
とりあえず余ってしまった性転換の薬を前に、特許申請しようかそれとも今後のために廃棄処分にするべきか、頭を悩ませた一同(一名のぞく)だった。
