いつだっていつだっていつだって。彼女は常識人だった。
彼女はそっと、自分の額に手を当てた。ゆっくりとそこをなでる。最近とみに取れなくなってきた、額の縦じわを。
何が悲しくて二十三の若さでこんなもの気にしなければならないのか。
原因は目の前に転がっている。
何やらつぶやきながらテーブルに突っ伏して、しかしグラスはしっかりと握りしめたままの青い髪の青年と。喧嘩を売ってきたちんぴらを逆に片手でつるし上げている金髪の大男。
――あたしはあんたらに、もめごとを起こすなと釘を刺さなかったかい……?
つぶやきは、声にすらならなかった。……脱力のあまり。
金髪の大男が、背後から殴りかかったちんぴらその二を実に楽しそうに蹴り倒した。
「……で、何か言いたいことはあるかい?」
にっこりと、神々しさすらあふれる極上の笑顔を彼女は浮かべた。純朴な少年あたりなら一発で昇天しそうなその笑顔で、しかしこめかみだけがものすごい速さで引きつっている。
怖い。
「いや、その、あの……」
「あ、あれはだなあ!」
「ん?」
上げた声に小首をかしげれば、片方はうつむき、片方は明後日の方角を向いて口笛などを吹きはじめた。一応、罪悪感はあるらしい。
腰に手を当てた黒衣に赤毛の女、その前になぜか正座して縮こまっている青髪の青年、同じく正座している金髪の大男。ハタから見れば、けっこう面白い見世物かもしれない。
ネルはため息を吐いた。
現在地、交易都市ペターニ。彼女、ネル・ゼルファーは指定の要人二名を聖王都シランドまで送り届ける途中だった。
要人二名、彼女の目の前にいる人物。青髪の青年がフェイト・ラインゴッド、金髪の大男がクリフ・フィッター。グリーテンの技術者で、行方不明になったフェイトの父親を探すために、このゲート大陸までやって来たらしい。
嘘だ。
名前および父親探しというその二点はともかく。グリーテンの技術者うんぬんは大嘘もいいところだ。いい加減、ネルにバレていないと思っているのだろうか。
技術系の専門的知識に関しては異常なまでに詳しいくせに、肝心なところで常識がごっそり抜けている二人組。いくらグリーテン大陸とゲート大陸間に交流がほとんどないとはいえ、情報がまったくないわけではないのに。目的は人探しのくせに、飛び出していった先の世界情勢を調べなかったとでも言うつもりか。地理関係や歴史関係も把握していないし。さらにそれは出身地であるはずの、グリーテンに関することにまで及んでいて。おかげでこちらの説明に納得するのに、数拍を必要とする。
クリフの方がさすが年長者だけあって、ボロが出る回数は少ないが。
――とてつもなく怪しい。
それでもその技術力は確かなもので、背に腹をかえられない現在は、そんな怪しさにツッコミを入れている場合ではなかった。
たとえ釘を刺しておいてもなお酒場に出かけていって、呑み倒したあげく喧嘩騒ぎを起こすほどの間抜けぶりを発揮しても。現在のシーハーツには、戦争に勝つためには、この二人の持つ技術が必要なのだ。
付き合ってみれば、けっこうさっくりした二人だし。男二人で女一人の旅にもかかわらず、そういった危機に陥ったこともないし。晴れ晴れしいほどに技術者らしくなく、戦闘では頼りになるし。常識はなくても聞く耳はあるし理解も早い。行動力もあるし、こちらの言うことに疑問すらはさまずに行動する無気力な馬鹿でもない。
……能天気な馬鹿ではあるかもしれない。
「とにかく今は、一刻も早くあんたらを陛下の元まで送り届けたいんだ」
言いたいことは多々あるけれど。
「酒を呑みたいなら、買ってきて部屋で呑むんだね」
「ちょっと待て、ネル……」
「情報収集はあたしの仕事だよ」
ぴしゃりと言い放つとさすがのクリフも沈黙する。
――実際のところ、酒に逃げたいのはネルの方だった。
翌日。
さっさと出発したいにもかかわらず、昨日フェイトがナンパした(本人は否定しているが)女の子が山で倒れたとあって、彼女の捜索をすることになった。することになったはずなのに「まずは装備を整えましょう!」というフェイトの無駄に熱意あふれる主張によってやはり現在地はペターニ。
とりあえず痛む頭を抱えながらも、男二人を工房に残してネルは報告その他に走り回った。色々大変なのだ。国のトップに近い場所にいると。
そして夜。宿に戻って彼女は倒れそうになる。
――また呑んでやがる。
昨日さんざん脅しただけあって、素直に酒を買いこんで呑んでいるあたりはまあ可愛気があるかもしれないが。人が必死こいて走りまわっている間中酒盛りをしていたのかと思うと、たとえそれで殺意が芽生えてもネルのせいではないだろう。
――落ち着け、ネル。まだマシじゃないか。少なくともこちらの言うことを聞く耳はあるんだ。以前の、どこぞのお貴族サマなヒヒ親父の護衛に比べりゃたいしたことないだろう。
沸き上がる殺意を懸命におさえるネルに向かって、今日はまだ意識があるフェイトが無意味にほがらかな声をかけた。
「ねるさーん、そーゆーわけでかけつけいっぱいどーぞ!」
どういうわけだ。つーか台詞が全部ひらがなだ。
「あたしは任務中は呑まないことにしているんだ」
「そんなこといわないで。おいしいですよーほらほら」
「いらないったら」
「ぼくのおさけがのめないってゆーんですかっ!?」
「ああ、呑めないね」
あっさりきっぱり言い切って、我関せずと杯を傾けるクリフに詰め寄るネル。
「クリフ、あんたね。そんなに強くないガキに酒なんてすすめるんじゃないよまったく」
「逆だ逆。思い込みだって」
「はぁ?」
「クリエイションで酒ができてさ、今日に限ってはフェイトがオレにすすめてきたんだ。あの調子で誰彼かまわず呑ませたがるんだよな。女性にはなおさら」
「……ひょっとしてこの酒全部……」
「そ。今日の成果。あ、もちろん特許申請できるのは全部してあるぜ」
ネルはぐるりと室内を見渡した。
黒竜・ひいらずに八重垣・無、さんぞうしゅにリシュプール、コルトンシャルルマーニ、ロマネコンチDRC、アルベールマンに裏霞・禅、サンライズ・カベルネ、アンリ・サンセール。久保多、サンライズ・シャルドネ、シェーファーに香炉に一の蔵・無鑑査、十四岱、ガロ・ラグナランチ。酔迎、張鹿ひやおろし、ペスケラ、モンラッシェDRCに戦中八朔に南部美神。
――現段階では入手不可能なはずのものも混じっていないか?
いっそ目眩までしてくる。……現在の残金はいくらなのか。訊ねるのが恐ろしい。
眉間のしわをゆっくりとほぐしていると、ゆでダコ状態のフェイトにとうとうグラスを握らされた。
「やろーとサシでのんでもつまらないんですよ。ね? ささぐいーっと」
なみなみと注がれたのは香炉。ネルは半眼で見下ろす。
「ほらいっき、いっき♪」
「……あのね、フェイト」
「やっぱりのむならびじんとですよねー。ねるさんびじんー。ひゅーひゅー」
「ああ、ありがとう。けどあたしはまだ呑むとは言ってないよ」
「「まだ」ってことはおっけーってことですね!? やったー」
……だめだ。酔っ払いには逆らっても無駄だ。あきらめろと肩を叩いてくるクリフを殴り飛ばしておいて、その耳元で彼女はぼそっとつぶやいた。
「――あたし、酒癖悪いんだけど。後悔しても知らないよ?」
「そりゃフェイトに言えっての」
「今すぐつぶれそうな人間に言ってもフォローなんかアテにできるか」
そりゃそうだ、とうなずいたクリフがちらりとネルを見る。
「――で、具体的にはどんな」
「知らない」
「?」
「クレアに言われてるんだ。「ネルは酒癖が悪いからよそでは呑まないでね」って」
「……はあ」
「ま、あんたなら最悪、あたしが暴れ出しても何とかできるだろ」
言うが早いかネルはグラスを一気に開けた。いやその酒はもっとちびちびいくもんだぞとクリフがツッコみかけ、わーねるさんいいのみっぷりーとフェイトがはしゃぐ。
くいっとそらした白い喉を、元の場所に戻して。勢い前髪で表情の見えなくなったネルが、ゆっくりと顔を上げた。――紫の目が、完全に据わっている。
次の瞬間、男二人に地獄が襲いかかった。
翌朝。
ネルは久々にすっきりさわやかに目を覚ました。多少頭にアルコールが残っているような気はするが、気分はすこぶるつきでとても良い。
「今日こそアミーナを見付けてシランドへ出発するよ!」
なんとなく朝日に向かって誓ってみたりする。
ふと足元を見ればフェイトとクリフがぐったりとマグロになっていた。
……まったくだらしがない。
「ネルさんやめて下さいもう無理ですごめんなさい僕が悪かったです許してください……」
「――よ、酔っ払いフルコース……」
「?」
ぶつぶつと呪文のようにうめいているが、ネルにはなにがなんだか分からない。というよりそもそも聞き取れない。酒を呑んだ翌日恒例、彼女からはすっぱり記憶が消えていたが。
ひょっとしてやはり暴れたのだろうか。
「……あんたたち?」
「はい! 大丈夫です動けますすぐ出発ですね!!」
「まずはアミーナの救出だな!」
二日酔い真っ最中の真っ青な顔ながら、てきぱきと動きはじめた二人に小首をかしげる。
――一体何があったのだろう。
もう何があってもネルには酒を呑ませないぞと誓う二人と、任務中でもたまにはハメを外しても罰は当たらないかもしれないと思うネルと。
とりあえず、外は冒険日和の良い天気だった。
