ジェミティの端末の使用にも、つまりは自分たちが単なる「データ」であることにもどうにか慣れはじめたある日。ディプロの一室で、
「ね、マリアさんとネルさんも塗りませんか?」
やけに浮かれたソフィアが、荷物をあさるなりそう声をかけてきた。

―― Sich schmucken

「……何を?」
銃の分解整備をしていたマリアが、とりあえず視線も手もそのまま声だけを返した。そんなマリアと他愛もない話をしながら、ベッド脇の床に座り込んでやはり短剣の手入れをしていたネルは、立ち上がってソフィアの手元を覗き込んでいる。
「なんだい、これは?」
ソフィアの小さな手にすっぽりと収まるガラス製の瓶。瓶自体は無色透明で、中に入っているのはピンクベージュのどろりとした液体のようだ。ソフィアは嬉しそうに笑うと、特に意味もなく両手でそれを掲げてみせた。
「マニキュアです。可愛い色でしょ? さっきジェミティで買ってきたんですよっ」
「……まにきあ?」
聞き慣れない単語はもうおなじみになって、ネルはいつものように首をかしげる。これは話が長くなりそうだ、と思ったマリアは整備もそこそこに分解したばかりの銃をとりあえず組み立てた。
「爪に塗る装飾品よ。言ってみれば指先の化粧ってところかしら。……ソフィア、でもそんなに時間ないわよ?」
「え、でも十五分もあれば十分じゃないですか」
きょとんとするソフィアに椅子ごと振り返り、今度はマリアが眉を寄せる。
「乾かすだけでずいぶん時間かかるじゃない。……そりゃ、塗る時間だけならトータル十五分くらいかもしれないけど」
「え……?」
マリアはパーソナルブースをあさって、そこにあるものを取り出してみせる。
「まず爪にやすりを五種類くらいかけて表面を平らにしておいてから、下地を塗って、乾かせてから二、三回マニキュアを塗り重ねて、最後にコーティング。……仕上げのやすりも入れたら、大体二時間くらいは……」
次から次へと出てくる小瓶にネルが目を丸くしている。ソフィアは呆然としていたが、やがて我に返るとぶんぶんと首を横に振ってみせた。
「そ、そこまで本格的になんて、わたし、やったことないですよ! せいぜいやすりをかけてマニキュア塗って乾かすだけなら、ってことです!!」
「……そうなの?」
「ええ!」
「そこまで省略していいものなの……」
話の見えないネルがマリアとソフィアを交互に見ている。それを感じながら、マリアはふうん、とつぶやいた。簡単な店くらいなら開けそうな量の爪の手入れ道具に、恐る恐る手を伸ばしたソフィアが愛想笑いのようなものを浮かべている。
「……誰なんですか? 教えてくれたのって」
「リーベルよ。爪の手入れはそれくらい時間をかけるべきだって、いつか力説していて。よく分からないって言ったら一式買ってきてくれたの。その後も定期的に」
眉をひそめて自分の爪を眺めるマリアに、同じように目を落としたソフィアが少し驚いた顔をした。
「わぁ……マリアさんって、指、きれいですね」
「そうかしら」
「へぇ、どれどれ」

◇◆◇◆◇◆

二人に手を持っていかれて、純粋に誉められていると分かっていても少し戸惑う。そんなマリアをよそに、ソフィアとネルは盛り上がっていた。
「爪の形もきれいだし、色も透き通ってるみたい」
「指が長いね……肌もすべすべだし。全体的なバランスも取れてる」
「あ、ありがとう……でも、怠け者みたいじゃない? 使わないからこうなんだっていう感じがするし……それに最近、まともに手入れしてないし」
「えええええええっっ!?」
突然の素っ頓狂な声に二人が唖然としてソフィアを見ると、なぜかぷくっとふくれている。
「手入れしてないって、こんな手をして言うんですかっ!? このまま手タレにでもなれそうな、こんなきれいな手で!!」
ものすごい剣幕。丁寧語を使ってはいても迫力に負けて、マリアの頬を冷たい汗が流れる。
「そ、ソフィア……?」
「それに怠け者の手なんかじゃないですよ! 本当にそうなら銃なんか扱えないじゃないですか!! せっかくのきれいなモノを、自慢するどころか卑屈になっててどうするんですか!」
怖い。しかし逃げようにも手を取られていて逃げられない。マリアが救いを求める目でネルを見ると、さすがの姐御もこういう剣幕には慣れていないらしくかなり腰が引けている。
「お手入れ、しましょう」
お嬢さん、目が据わっているんですが。
「手タレよりもきれいな指先、見たいです」
「……あの、ソフィア。じ、時間が……」
「そんなものどうにでもなりますよ! 目の前で滅亡のカウントダウンが続いているわけでなし、そんなに気にしてどうするんですか!!」
某螺旋の搭で「そんなもの」扱いされた某社の社長がくしゃみをしていたが、それこそ「そんなもの」知ったこっちゃないソフィアが、きらきらしていながらぎらぎらした目でマリアに迫る。どうやら、こうしている今もエクスキューショナー・プログラムによる攻撃が続いている、つまりは滅亡へのカウントダウンが続いている、といった事態は忘却の彼方にあるらしい。
そりゃまあ「目の前」では、確かにないのだが。
「――まずはクリフさんとアルベルさんを唸らせるところからです」
「はぁ?」
間の抜けた声を上げたのはネル。先ほどから「てたれ」とかいうものが何なのか首をかしげていたのが、思わず声を上げたことでソフィアの目が彼女を射抜いて、凍り付いた。
「クリフさんと、アルベルさんです。うちのパーティの朴念仁二人組です」
「言うわね、あなたも」
視線が逸れて、少しだけ我に返ったマリアがうめいたが、ソフィアはまったく聞いていない。取られたままのマリアの手にさらに力が込められる。壮絶な笑みが口元に浮かぶ。
「あとは、ランカーさんあたりですね。指先ひとつにどこまで力があるか、試してやりましょう」
「……あの、」
「頑張りましょうね!!」
――暴走する少女の手綱を引ける者は、少なくともこの場にはいなかった。

◇◆◇◆◇◆

「……で、散々待たされた結果がそれか」
何かに疲れ切ったような、何かをこらえているような、何かすがるものを探しているような。そんな声でクリフがうめいた。思わず同情しないではいられないそんながっくりしているクリフに、しかし元気いっぱい力いっぱい、溌剌とソフィアがうなずいている。
「頑張ったんですよ! フェイトとリーベルさんなんかにも協力してもらって!!」
生粋のクラウストロ人も、暴走する現役女子高生には勝てないらしい。もはや何も言えなくなったクリフが情けない目でフェイトを見たが、彼は苦笑して明後日の方向を見ている。
ソフィアの暴走開始から半日が過ぎていた。
崩壊した惑星ストリームを出発したディプロがエリクール二号星の上空、高度一万二千メートルに着いたのはそれこそ半日前。目的地の目の前まで来ていながら、特に機械のトラブルがあるわけでもないのにひたすら待機命令を出されていたクリフやアルベルは。その理由を知らされて、なんというか――不機嫌を隠せないというか唖然としているというか。
「マリアさんって元々きれいだから、すごくいじりがいがあるんです!」
そうですか。
最初は爪の手入れだけのはずだったのになんやかんやと騒ぎ出して、結果今クリフの前にげんなりした顔で立っているマリアは、一見いつもと同じ格好でありながら、しかし色々手が加えられているらしい。
しかし正直、そう言われても具体的にどこをどういじったのかクリフには分からない。

「阿呆。先を急ぐんじゃなかったのか!?」
同じくまったく分かっていない様子でそう吐き捨てたアルベルに、内心誰もが深く同意していたのだが、いまだ暴走中のソフィアだけは違っていた。いつもは彼の纏う殺気にびくびくしているのに、言われて逆に目を吊り上げると、杖を構えてずいっと詰め寄っていたりする。
「アルベルさん! 女の子がおしゃれしたってのに褒め言葉の一つも出てこないんですか!?」
「外見なんかどうだっていいだろ今は! だいた――」
「どーでもいいことじゃないです!! 変な格好で人の目集めて悦に入ってる人には分からないかもしれませんけど! すっごく重要なことなんですからね!!!!」
どさくさにまぎれてものすごくひどいことを言っている。気付けば逆上間違いなしのアルベルだが、しかしあまりの剣幕に押される一方だった。
とりあえずそんな様子を見るとはなしに眺めながら、どうしたものかとマリアがフェイトに目をやった。
「――まあ、もうエリクールも夜だし。明日改めて降りることにして、今日のところはあきらめて自由時間にしようか」
そんなんで良いんですかリーダー。
あっさり言うときびすを返した彼は、じっと見つめる視線に気付いたかふと振り返る。
「マリア。幼なじみの僕が言うのもなんだけどさ、」
小犬のようにきゃんきゃん噛み付いているソフィアと、今までこういった人種と付き合いがなくて、何を言ったらいいのか分からないし当然ながら手を上げるわけにもいかなくて、一見いつもの仏頂面ながら困り果てているアルベルを目で指して、
「ああなったソフィアは正直手に負えないから、離れといた方がいいよ」
今回なんて犠牲者は決定してるしね。
にっこり爽やかに笑って今度はさっさと行ってしまい、ふとマリアが気が付けばなんだかんだと集まっていたディプロクルーの暇人たちもいなくなっている。
とりあえず――女子高生は無敵らしい。マリアは新たな知識を身に付けた。

◇◆◇◆◇◆

アルベルが解放されたのは、それから約二時間後だったらしい。
そして、クリフもアルベルもついでにランカーも、ソフィアがマリアをどう磨いたのか結局分からずじまいだったとか。

なお。コトの発端になったピンクベージュのマニキュアは、今もパーティ共有の道具袋の中で眠っている。

―― End ――
2003/11/24執筆 2004/05/24UP
パーティ
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Sich schmucken
[最終修正 - 2024/06/26-14:43]