「……あのさ、フェイト。今ちょっといいかい?」
ある日。ディプロのフェイトの元へネルが訪ねてきた。
これが微笑を浮かべていたり、あるいはいつも通りの無表情だったなら、フェイトも嬉しかったのだが。いつでも生真面目な彼女は、なぜか血の気の引いた白い顔で。
「何か……あったんですか?」
「あったと言うか……」
言い淀んで、しばし。ひとつ息を吸うといっそ悲痛な目でフェイトを見つめる。
「……正直に、答えてもらいたいんだけど」
「はあ……」
「あたし、最近そんなに……太ったかい?」
「…………は?」
まったく予想していなかったネルの言葉に、フェイトの目は点になった。
「何だかここしばらく、さ……妙に身体が重くて……」
「そ、そうですか?」
「気のせいかと思っていたんだけど。ほら、何しろ星の船なんかに乗ったのはじめてだからさ、それで疲れとかが出たのかなとか」
「……それは、あるかもしれませんね」
「それが……」
ネルが懐からごそごそと取り出したのは、先日渡しておいたばかりの真新しいコミュニケーター。
「……さっき体重計に乗ってみたら、これに信じられないような数字が出てて……」
それを持つ手が震えていて、ふと見れば目まで潤んでいて。普段見慣れない気丈な彼女のうろたえように、フェイトは心底途惑う。
「べ、別に……体重増えてるだけならともかく……いまいち思うように動けなくて、こんなんでこの先戦えるかどうかって考えたら、……不安で……っ」
「いやあのネルさん、落ち着いて……」
「な、何で……っ、ここ数年、ずっと同じ体型キープしてきたのに……っ」
「た……ええと、体重以外に測ってみたんですか? 見た目、変わった風には見えないんですけど!」
必死になって言えば、鼻の頭を赤くしたネルが、ふっと考え込んでゆるく首を横に振った。
――そこでふと、フェイトの頭にひらめいたことがある。
「ネルさん。アルベルは何か言ってました?」
「……? いや。なんかいつにも増して無愛想だったけど、特に何も……」
「ふーん。……一つ説明し忘れてたことがあるんです。あいつ連れてトレーニングルームまで来てください」
「え、あの……フェイト?」
先行って用意してますから、と言うとフェイトは走り去った。
取り残されたネルはひたすら困惑する。
「さて」
「……もったいぶるな阿呆。一体何の用だ」
「あたしとこいつに何を言い忘れてたって言うんだい?」
数分後。
ディプロの一角、エンジンルームにほど近いところの、たとえるならシミュレータルームのようなその場所に。にこやかなフェイト、怪訝そうな顔のネル、見るからに不機嫌なアルベルが集まっていた。
「ええと……まあ、口で説明するよりも実際体験する方が早いと思ってさ」
「だから、何を……」
言いながら壁のパネルを何か操作するフェイト。文句を言いかけたアルベルがふと動きを止め、ネルもきょとんと目を瞬く。
「……分かった?」
「身体が……軽くなったような気がする」
「一体何しやがったんだ」
「ええとね……どう説明したらいいのかな。この船の重力は1Gに設定してあるんだ」
「じゅーりょくはいちじー?」
「地球……僕とソフィア、あとはマリアの生まれた星の重力が1G。これは銀河連邦の標準重力になってる。で、ネルさんやアルベルの生まれたエリクールは、0.9Gなんだ」
「……あの、フェイト……よく分からないんだけどさ」
「もっと簡単に説明しろ阿呆」
未開惑星出身の二人には、かみ砕いているつもりの説明すら理解してもらえないらしい。フェイトは少し考えて説明の仕方を変えてみる。
「ええと……つまり、今はエリクール……シーハーツとかアーリグリフとかにいた時に比べて、体重の一割分、見えない重りを付けてるって考えればいいのかな」
「重り?」
「そう。確かにあまり違いはないから、なんとなく身体がだるいとか動きが鈍いような気がするとか、その程度しか影響が出ないから、逆に気付きにくいんだと思うけど」
言いながらフェイトはパネルをさらに操作する。にまり、人の悪い笑みにネルが身構えた直後、天井が落ちてきたのではないかというような、ものすごい圧力がかかった。
「……これくらい違えば誰だって気付くけどね」
「……ふぇ、いと……っ、なん、だい、これは……っ」
「ふざけるの、も、大概、に、しろ、阿呆……っ」
どうやらパネル周辺はこの圧力がかからないらしい。比較的フェイトの近くにいたネルは肩で息をする程度だったが、奥にまで進んでいたアルベルは半ばつぶれかけていた。今はとりあえず意地だけで仁王立ちになっている。
「これは2.4G。クラウストロ……クリフやミラージュさんはこんな中で生活してたんだ。日常生活すべてがトレーニングみたいなもんだからね。あーゆー風になるのも当然だろ」
言いながらゆっくりと減Gして、1Gにまで戻す。
「……トレーニング?」
荒い息を付きながらネルが首をかしげた。よほどつらかったのか、アルベルはうつむいたまま顔を上げない。全身に汗がにじんでいる。
「自分の体重はじめ、すべてのものが――エリクールと比較すれば……2.5倍くらいの重さになるんだ。さっきの圧力の中で日常生活を送るのって、ものすごい筋力トレーニングだろ?」
「……まあ……それはそうだね」
「結局は慣れの問題だけどね。マリアだってしばらくクラウストロで暮らしてたらしいし」
「……てめえ……んなもん予告もなしに……殺す!!」
「やだなあ、殺気立つなよアルベル。
つまり。ちょっとつらいかもしれないけど、この船の重力に慣れるだけで筋力トレーニングになるんだよ。ここでエリクール並みの力が出せたとして、エリクールに帰れば単純に筋力が一割アップってこと」
「……っ、そんな理屈でさっきのあれをうやむやにするつもりか……!?」
言うなり抜刀したアルベルから、ひょいひょいと逃げ出しながらフェイトが薄く笑う。
「てわけで。別に体調不良でも体重増加でもないですからネルさん」
「あ、ああ……まあ、なんとなく分かったよ」
うなずいた彼女がパネルのそばに来たのを見て。アルベルの刀から隙を見て距離を取ったフェイトが、再びGを操作した。設定はまたもやクラウストロ本星。
いきなり増したGに、今度こそアルベルは床につぶれる。
「じゃあアルベル。このパネルの、赤く点滅してるスイッチ押せば1Gに戻るから」
「てめ……っ!?」
「修行ガンバレ」
じたばたともがくことすらできない男を見て、ネルは微妙な顔をする。
「……いいのかい、あれ」
「大丈夫ですよ。筋力と体力アップにもってこいですからね。まさかこんなんでへたばるほどこいつ弱くないでしょう」
「……っ!!」
文句を牽制されて歯ぎしりするアルベル。どこまでもにこやかなフェイト。
「じゃあ、行きましょうかネルさん。さっきソフィアがおやつ作るって張り切ってましたから、一緒にお茶でも」
「……そうだね」
「てめえら……覚えてろ、いつか殺す……!! クソ虫がぁ……っ!」
アルベルの精一杯の声すら、クラウストロ並みの重力に引かれて床に落ちた。
後日。今度は本人の感覚では軽すぎる重力に、やけに落ち着きのなくなった男の姿がディプロで目撃されるようになったとか。
―― End ――