ある日、彼らは酒場でクダを巻いていた。――昼間から。
世界を救うなどという、胡散臭さ爆発だがとりあえずご立派な看板を背負っているくせに。良識ある人間から眉をしかめられることが大好きな連中だ、とシーハーツのクリムゾンブレイドの片割れ、ネル・ゼルファーは息を吐いた。
現在地、軍事国家アーリグリフ首都アーリグリフ。酒場「ドラゴン・ブレス」。
自分が部下から報告を受けに行っている間に、フェイト、クリフ、マリア、アルベルの四人は連れ立って酒場に入り、そして遠慮なく呑みはじめたらしい。
とりあえず、ネルがやっとのことで彼らの居場所を突き止めた時には。
フェイトは少しだけジョッキに残ったエールをテーブルにぶちまけて、その中に真っ赤な顔で突っ伏していて。マリアは別のテーブルで、中身が空のカクテルグラスを握り締めてやはり赤い顔で寝入っていて。クリフは意味もなく豪快に笑いながら酒樽を干す余興の真っ最中で。アルベルは、一見素面のようでいて実は酔眼で、ブランデーなどをゆっくりと舐めていた。
平たく言えば、――全員酔いつぶれているか出来上がっているかの状態だった。
「まったく……」
腰に手を当てて深く深く深く息を吐いていると、その一見素面っぽい酔眼がそんな彼女を発見する。
「おい」
「人を呼ぶ時は名前で呼びな。ものや犬猫じゃないんだから」
言いながらまた息を吐いて、ネルはアルベルの座っているテーブルに付く。
腰を落ち着けるなり、いきなりグラスを握らされた。呆ける暇もなく、アルベルがそのグラスに彼の手にあったブランデーを注ぎ入れる。
「呑め」
「な、なんだいいきなり!?」
「酒場で酒呑む以外にどうするってんだ阿呆。いいから呑め」
ネルのてのひらに温められて、頭のくらくらするアルコールのにおいがほのかに周囲に広がった。酒には詳しくないネルにも、どうやらこれは極上品なのだと分かる。
が。
「……せっかくだけど、駄目だね。仮にも今は任務中だ、酒にうつつを抜かすわけにはいかないよ」
「は? 阿呆なこと抜かすな。呑まずにいたら凍死するような場所だ、なにもんな酔いつぶれるまで呑めと言ってるわけじゃねえだろうが」
背後でクリフを乗せるヤジの声が大きくなる。どうやら本気で酒樽を空にする勢いらしい。
それを聞き流しながら、ネルはすっと目を細めてアルベルを見た。アルベルは酔眼ではあるものの、最初からまっすぐに彼女を見つめている。というよりも、むしろ睨み付けている。
「同じことさ。残念だけど、あたしは酒に強い方じゃないんだ。こんなの呑んだらあっという間につぶれちまうよ」
「……シーハーツの隠密ってのは、酒に弱くてやっていけるのか」
「何とでも言いな。酒には弱くても、薬物には強いタチなのさ、あたしはね」
言っている間にもちびりちびりと呑んでいたアルベルの、そのグラスが空になったのを見たネルは、自分のグラスを満たしているブランデーをそれに注ぎ入れてやった。
「あたし自身はよく覚えてないんだけどね。クレアからことあるごとに「あなたは酒癖悪いんだから、よそでは絶対に呑まないでね」って言われてるんだ。だから、呑まない。
……特に呑みたいとも酔いたいとも思わないし」
「くれあ?」
「いい加減覚えな。クリムゾンブレイドの片割れ、あたしの幼なじみで親友の、クレア・ラーズバードだよ」
つまみもなしに、同じペースで呑み続けるアルベルをネルがぼんやりと眺めている。
たまにはと思ってせっかく酒をすすめてやったのに、つれなく断った女はすることがないらしい。一挙手一投足をどうでもいいような目で見られて、短気なアルベルはすぐに臨界点に達した。
――だいぶ酔いが回っていたせいもあるかもしれない。
「呑め。とにかく呑め。うっとおしいんだよ、これ呑んでとっととつぶれてろ」
言うなり手にあったグラスを彼女の口元に突き付けた。
……ちなみに、この時下心がまったくなかったといったら多分嘘になる。けれどあいにくアルベルの趣味からすると、酔いつぶれて反応のない女に手を出しても面白くない。
「でも……」
「呑めっつってんだよ。つぶれたなら俺が宿屋まで運んでく、とっとと呑め。それが嫌ならそこの青髪でも引っ張って宿に戻ってろ」
「……いきなりの二者択一だね」
「てめえが悪い。呑まないなら酒場になんて来るな」
ここまで言えば頬の一つも張られるだろうと、そして怒りながら出ていくだろうと思っていたアルベルだが。意外なことに、彼女は目の前のグラスを真剣に見つめていた。
思惑の外れた彼は少し途惑う。
「……もしあたしが暴れても、あんたが止めてくれるのかい?」
「暴れるのか」
「知らない」
きっぱりと言われて頬が引きつる。
「けど、翌朝一緒に呑んでたやつらが揃って視線を逸らすから、そうなんじゃないかと思う。――それでも呑めって言うのかい?」
むしろ逆に脅された。酔いのせいでいまいち回らない頭でアルベルは考えた。
にやりと笑う。
「――呑め」
――この言葉を、すぐに彼は後悔することになる。
ぷはぁ~、とクリフが樽から顔を上げた。おおおおおおおっ、といつの間にかできていたギャラリーの壁が感嘆の声を上げる。
いくらアーリグリフでも、さすがに酒樽丸々一つを空けてやろうという人間はいないらしい。というか、たとえ思い付いてもさすがにそんな無茶なことを実行に移す馬鹿はそうそういない。クラウストロ人の鉄の胃袋および肝臓がなかったら、普通、半分干す前にアペリスの御許へ逝くことができる。
基本的に底なしのクリフだが、さすがに一気に呑んだせいでくらりと来た。あー、やべえかもなー、などとこめかみに手を当てた時、
ばきぃ!!
――などという、物騒な音が彼の耳に届く。
「……?」
喧嘩なら参加してえなあ、けどあんましハメ外すとネルがうるせえんだよなあ、そういや報告受けに行くとか言ってたっけ今なにしてんのかなこんなとこ見られたらやっぱうるせえだろうなあ、……などと思いながら首を巡らせた先には。
当のネルがいた。握りこぶしを作っていた。赤く腫れてきた頬を押さえる、呆然とした顔のアルベルにずいと詰め寄ったところだった。
「……まさか」
――呑ませたのか。ネルに。
小さくうめいたのはクリフ。ギャラリーは顔を輝かせてそちらを見たところで、いろいろな意味で有名な「歪のアルベル」の姿を発見して、むしろとばっちりを食う前にと大半が避難をはじめた。
実に賢明な判断だ。
現実逃避をしたがるクリフの脳がそうつぶやいて、ネルがアルベルの首元の鎖をひっつかみ、いまだ呆然としている彼に第二撃を食らわせるところをばっちり見てしまった。
聞くだけで気を失いたくなる、ものすごく痛そうな音が響く。
「……いつもおもってたんだけどさぁ」
――ネルさん、呂律が回っていません。そしてなぜそんな極上の笑みを浮かべているのですか。極上のくせに、なぜそんなに恐ろしい笑みを浮かべることができるのですか。
「なんだかんだいって、あんたってがんじょうだよねぇ……いったいどれくらいなぐったら、さいきふのうになるのかねぇ……?」
――そういう物騒なことはせめて思うだけで口にしないでもらいたいです。
「ふんっ!」
「ぐはっ……!!」
立ち上がりざまの体重の乗った拳が、アルベルの鳩尾に突き刺さった。
酔いと予想外の展開に呆気に取られていたせいで、アルベルは逃げることも避けることも反撃することもできないらしい。身体をくの字に折り曲げて苦しい息を悲鳴と一緒に吐きながら、しかし意地だけで崩れ落ちることだけは我慢している。
――ああ、バカ。変な意地張ってると地獄見んだよ演技でもいいからとっとと倒れとけよ。
経験者のクリフは内心つぶやくと、げっそりとして周囲を見渡した。店内にいた客はあらかたいなくなっていて、店主がおろおろしていて、物好きがこっそりと展開を見守っている。酔いつぶれたフェイトとマリアは変わらずテーブルに突っ伏していて、彼はとにかくその二人を肩に担ぎ上げると、財布を取り出し店主に向けて軽く放った。
「とりあえず先に支払っとく。しばらくほっといてくれ、すぐ戻る」
「あ、あんた!!」
反射的に受け止めたそれを手に、店主が騒ぐのを無視して悠々と入口に向かう男。店を出る間際ちらりと見れば、ネルの放った右フックをこれは何とかいなしたアルベルが、しかしスキをついた左の回し蹴りを喰らっているところだった。
「……」
――すまん、アルベル。いや……そもそもネルに呑ませたお前が悪ぃんだ。
宿屋のベッドに二人を下ろし、ひとつ息を吐いたクリフが覚悟を決めて酒場に戻ると。
ぼろぞーきんのようになった「歪のアルベル」がいた。驚嘆に値することに意識だけはなんとか保っていて、ぼこぼこになった顔でネルをにらみ付けていた。ネルは薄ら笑いを浮かべてそんなアルベルに膝枕してやって、どうやらヒーリングをかけようとしている。
店内は、とりあえずテーブルと椅子二脚が木っ端微塵になった程度で、クリフの目からすれば「奇跡的な軽損害」とでも言いたい状態だった。店主はもうカウンターの一番奥で青い顔で自棄酒を呷っていて、残った客は半分に減っていてその客たちも青褪めた顔で口元を押さえたりしている。
なぜかアルベルのガントレットが入口脇の壁にめり込んでいて、ああこれの被害も弁償しなきゃなー、などと現実逃避をしたいクリフの脳がささやいたりした。
「ヒーリング」
ぴろりん♪
ネルの声と気の抜ける平和な音。アルベルの身体の青痣が薄くなりこぶの腫れが引く。一気に顔色の良くなった彼が勢い身を起こし、何かを喚きかけたところで。
ネルの裏拳がその顎にめり込んだ。
その後。
延々楽しそうに体術を披露しては、ずたぼろになったアルベルをヒーリングで癒し、そして再び拳を脚を飛ばすネルと。彼女のサンドバッグになって瀕死状態にまで追い込まれては、そのたびに当のネルのヒーリングによってなんとか生還し、しかし反撃する余裕も逃げる暇もないまま再びぼこぼこにされるアルベルと。なんとかネルを止めようとしてはそのたびに断念し、せめて被害を最小限に抑えるために色々こまごまと気を回したり、むしろ惨状を見ているだけでもう死にそうになっているクリフと。
ついでにどんどん自棄酒のペースが上がってもう気の毒としか言えない店主や、なぜあの時他のやつらと一緒に逃げなかったのかと自分を責める、今は赤毛の美女の視界に映らないように柱の影に物陰にこっそり潜み続ける客たち。
関わった者たちすべてが地獄に叩き落されたようなそんな夜が過ぎ去って。
翌朝ネルがぱっちりと目を醒ますと、酒を呑んだ日の翌日恒例、きれいさっぱり消えている記憶。一緒に呑んでいたはずのアルベル及びクリフの怯えきったまなざし。でもなぜなんだか、やけに気分爽快な自分がいた。
余談だが。
――他者を恐怖のどん底に突き落とすネルの酒癖は、実のところ固定していないらしい。
