自分にないものを憧れるのが人のサガなら、それでも良いとその時思った。
その時きっと生まれてはじめて、思った。
この娘に、このどこまでも純粋な娘に憧れることができるなら。
こんな人のサガさえかまわないと、心底思った。
それは、確か本人にとって最初の戦闘が終わったとき。
「……何をいつまでつっ立っているの。回復はすんだんでしょう? 血のにおいをかぎつけてほかのモンスターが寄ってくる前に、早くここから移動するわよ」
自分でもきつい言い方に、ぼうっと立ち尽くしていた少女が顔を上げて。はじめてまっすぐ、彼女を見据えてきた。
一行に彼女が同行するようになってしばらく経っていて、けれど同行当初の周囲の敵といえばかなりの強さで、そんな中に素人の彼女を放り込むわけにはいかないと。当人の幼馴染で一行のリーダーの青年が激しく主張したから。足手まといの危なっかしい少女を確かに放っておくわけにもいかないと、誰もが納得したから。
だからそれまで彼女が戦闘の場に出ることはなくて。
それは、――どこだっただろう。
養父が青年を保護した星、まだアイテムが残っているはずだからとほとんど一人のワガママで立ち寄った星、だっただろうか。
「……マリア、さん……」
「きついかしら? けど、本来の敵に比べればこのへんのモンスターなんてザコも良いところよ。酷かもしれないけど、慣れてちょうだい」
つぶやくように名前を呼ばれたのに答えるように、やはりきつい言葉をわざと選ぶ。甘えを許さないと鋭くにらみつけて、うっとおしく流れてくる髪を背後に追いやった。
正直に白状するなら。
当時のマリアはこの少女が嫌いだった。
おとなげないのは自分でも承知していたけれど、どうにもこの少女が嫌いだった。
いつも誰かしらに守られて、安全な場所にいてやさしげな雰囲気の少女が。きっとひがみも入っているのだろう、大嫌いだった。
だからわざとそんな言い方をして、用はそれだけだと少女に背を向けた。反発の言葉は全部無視しようと、そのつもりで背を向けた。
――当の本人だって、そう、少なくとも好かれていないことはそのころには分かりきっていたのだろう。よほどのことがなければ話しかけてこなかったし、そもそも近寄ってさえこなくなっていた。
だから、そんな風に言えばおどおどとマリアには見えないところでうなずいて、ふらふらあとを追って来る、そう思っていた。
そうに決まっていると思いこんで、決め付けていた。
しかしそんな彼女の肩におろおろと触れる、触れてマリアを止めようとする小さな白い、――手。
「……何?」
「マリアさん、あの……わたし、」
「時間がないのよ、言いたいことがあるならとっととはっきり言いなさい。いえ、歩きながらでも話ならできるでしょう。時間を無駄にしないで」
邪魔をする手を振り払って、追いすがってくる彼女に目も向けない。彼女がどんな顔をしているのか知りたいとは思わなかった、知ろうと思うことができなかった。
……ただ。
きつい言い方をする、それで少女が多少なりとも傷付くものなら清々すると思って。思うと同時にそんな自分が醜くて何よりも嫌いで、自分にそんな態度を取らせる少女を身勝手にまたひとつ、嫌って。
自分勝手に嫌っているマリアを知っているのかいないのか。きっと、誰よりそういうことに敏感な少女だからきっと気付いていたのだろう。
けれど、身をすくませてまた立ち尽くした彼女を無視して歩き出したマリアに、次の瞬間にはまたおいすがって、
それはまるで、叫ぶように。
「マリアさん! わたし、この世界が守りたいです……!!」
「……?」
立ち止まって、彼女に背を向けたままマリアは眉を寄せた。背後の少女はそれ以上追いすがってくることなく、けれどどこかに行く気配もなくて。
呆然と立ち尽くしている気配でもない。
……つまり、マリアの反応を待っているのだろうか。
――わけが、分からない。
――なぜ、そんなことを言い出したのか。
――なぜそれがマリアなのか。
――FD界も、作られた自分たちという事実も知った今。
――何を思ってそんなことを言い出したのか、マリアにはまるでわけが分からない。
「……何、を、」
ゆるりと振り返る。三歩ほど離れた場所に彼女は立っていて、小さな手が祈るように組み合わされている。
「この世界を、守りたいです。
みんなが仲良く暮らせるように。関わったなら必ずけんかになるのなら、ちょうどいい距離を保っていられるように。いがみあって憎みあって、そんな哀しい世界じゃなくて、」
そしてまるで泣き笑いのように、組まれていた手がほどかれた。
なぜ汚れを落とさなかったのか、先ほどの戦闘の名残なのだろう、今はだいぶべったりと酸化した手が白い肌についたままで、
その手をまるで見せるように、きっと見せるように。――あるいは何か、天上から降り注ぐ雫でも受け止めるように。
「ご飯のためじゃなくて、こんな風に誰かの手が汚れたりしないように。
わたしに、わたしたちにそれだけの能力が授けられているなら。そのために能力が授けられているなら、それでいいです。それが、良かったって思いたい。……今は、能力と求められているものにつぶされそうでも、いつか思いたい。誇りに、思いたい。
だから――FD界だって全部全部含めて、……守りたいです」
「何、を……、」
掠れた声を上げて、上げながら、マリアは思う。
先ほど躊躇していたのは、ぴりぴり雰囲気の怖いマリアを怖がっていたわけではなくて。血に濡れた手で触れて、マリアの肩を汚すことを躊躇したのではないか。
そんなことを思っていられるほど、この娘は心やさしい、気配りのできる人間なのではないか。
――くだらないことにすねていた自分と違って、もしも実際そうだったなら、この娘は、
「今までみんなが戦うのをただ見ていて、ずっと思っていたんです。今日、さっき戦って。心底思ったんです。
戦うことを嬉しいなんて思う人はいないんじゃないのか、それなのに戦わなくちゃならない世界は、なんて、……なんて、淋しいんだろう、って」
「……、甘いわね。まず自分たちが滅ぶかもしれないくせに、何を甘いことを言っているのよ」
――もしもそうなら、
愕然と思うのに、思ったことを確かめる前に醒めた声が口から漏れる。自分でも思っていない言葉に、けれど少女はうなずいている。
うなずいて、まっすぐな目がやはりまっすぐにマリアに向けられて、
「わたしは、甘いです。自分でも分かっています。分かっている以上にきっと甘いんだって、思います。
――だから、マリアさんに伝えたかった。
わたしが思っていることを、知ってもらいたかった。ごめんなさい、ただそれだけだったんです。口に出して宣言したならきっとこの誓い、守ることができるんじゃないか、って。マリアさんに、いつもちゃんと現実を見ることができるマリアさんに、自分で尊敬するひとに誓うことができたなら。
優柔不断なわたしでも、約束を守れるんじゃないか、って」
「……っ、」
マリアの目に、その時。少女が背に負った純白の翼が見えたような気がした。
何も知らずにただ守られているわけではなく、醜いところも汚いところも全部見た目で、そういうものをちゃんと理解して。それなのにまだ純粋な目で明日を祈っていられる少女の目に、まぶしいほど純白な翼が見えたような気がした。
自分の甘さも弱さも、脆いところも弱いところもちゃんと認めて。誰かに守られないとロクに戦えない弱い自分をちゃんと見つめて。
それなのに未来を祈ることができる少女は。
――なんて、強いのだろう。
――何も知らずにそんな彼女を嫌っていたマリアは。なんて、なんて。小さいのだろう。
自分にないものを憧れるのが人のサガなら、それでも良いとその時思った。
その時きっと生まれてはじめて、思った。
この娘に、このどこまでも純粋な娘に憧れることができるなら。
この人のサガもかまわないと、心底思った。
「……勝手にすればいいわ」
「はい。……ありがとうございます、マリアさん」
――お礼の言葉なんて、向けられるほどの価値はないのに。
――そんな笑顔、向けられるだけの価値なんてないのに。
――この娘は、どこまで、
数分前とはまったく逆の意味で顔を背けたマリアに。
きっとこれはさすがに分かっていないのだろう、ソフィアが。ただ嬉しそうに笑いかける。
もうそれはいいからその手をどうにかしなさい、と水差しと布を投げ付けられて。きょとんと瞬いた目が、次の瞬間には。
それこそ嬉しそうに、どこまでも無邪気に。
――純粋に好意の笑顔が、マリアだけに向けられる。
