遠く、遠雷を聞いたような気がした。
それとも先ほどのそれは、誰かの呟きだっただろうか。
ぼーっとしていて、ゆっくりまたたいて。間近な気配が大きく息を吐きながら、そんな彼の腕をぐいと取って。
乱暴な動きに走った痛み、ぴくりと眉を跳ね上げればさらにため息がかぶる。
「……クリフ」
「んあ?」
「私だって好きで小言を言っているわけではないんですよ?」
「あー……まあ、そうだよなあ」
彼女の言いたいことは分かる。言われなくてもよく分かる。相棒をしてきた長年は伊達ではなくて、彼女の言いたいことがクリフには大体分かるし、彼の考えていることは大部分彼女に筒抜けだ。
それは分かる。
だから、呆れながらもしっかり怒っているミラージュも分かっているし、その原因だって先ほどの小言の中身だって、分かっている。聞いていなかったけれど。
先ほど持って行かれた手には、血の滴る大きな傷が走っている。なんということはない、いつもの戦闘でいつものように力で突っ込んでいって、いつものように怪我をしただけだ。
どこまでも彼にとっては「いつも」だけれど、ミラージュはそれを怒っている。
怪我を負ったことではなくて、怪我を負うことが「いつも」になっている、彼の認識を怒っている。
――あなたは、無茶をしすぎです。
怖い顔でそう言われて、そのあとくどくどと細かいことを言われて、
……けどなあ、
クリフは思う。
……オレが、いや、別にオレじゃなくてもいいけどよ。
……けど、誰かが盾になんないと、全員が怪我をすることになるだろう。
……そういうの、他のやつには押し付けたくねえんだよ。
言うとさらに怒られるから、言わないけれど。きっとそんなクリフを、ミラージュはちゃんと分かっている。
そうして彼がぼんやりしている間に、確かに手付きは雑だったけれど、確実に彼女の手は動いて。的確な処置で、痛みがずいぶん遠くなった。自覚はなかったけれど詰めていたらしい息を、クリフはほっと吐く。
「……いつも悪いな、ミラージュ」
「まだ手当ては終わっていません、動かないでください」
硬い声に、ああ本当に怒らせたかと一気に居心地が悪くなった。もぞもぞと落ち着きのない彼に、動かないでくださいといっているでしょう、と、さらに冷たく言われてしまう。
「いやなら、そもそも怪我をしなければいいんですよ」
「けどよおミラージュ」
「偉そうに他人を守りたいなら、まず自分を守ってください。いい加減な止血で誤魔化して、何をやっているんですか」
「……」
ぐうの音も出ない。止血の包帯が間に合わなくて、こそこそとそれを取りかえようとしてミラージュにばれた手前、言われた言葉が正しいと分かっているから何も反論できない。
――自分をいじめて、何が楽しいんですか。
ぴしゃりと先ほどいわれた言葉、
――私やマリアや、他のみなさんにも心配かけている自覚、ないんですか。
ぎりっとにらみつけてきた鋭い青。
――誰もあなたのかわりはいないんですよ。誰だって誰かにはなれないんです。
怒っているだけならまだしも、その声はかすかにふるえていて、
――それに、いつまで若いつもりなんですか。
その目が確かに揺れていた。
遠く、遠雷を聞いたような気がした。
それとも先ほどのそれは、誰かの呟きだっただろうか。
窓の向こうに目をやって、ミラージュから目をそらして。どんより暗い空に、遠く遠く目をやった。
「……嵐になるか」
「いい機会です、ゆっくり休んでください」
ちゃんと癒えるまで無茶しちゃダメですよ、いざとなったら麻痺毒盛りますからね。
包帯の最後を止めて、そしてミラージュが立ち上がった。救急箱を抱えてさっさといなくなりかけるのを、思わず手が追っていた。
――なんですか、
青い目がふり返るのに、触れることのできなかった手を見つめるクリフがあははと笑って、
「いつも悪いな、ミラージュ」
「自覚があるなら、改めてください」
硬い声、冷たい言葉。わななく唇、揺れる瞳。
イエスと答えない限り、許してくれない雰囲気。
「……善処する」
「言いましたね。確かに聞きましたよ」
誓ったならじわりと彼女の顔に笑みが戻る。
遠く、遠雷を聞いたような気がした。
それとも先ほどのそれは、誰かの呟きだっただろうか。
――窓ガラスを、雨の最初の一粒が、叩く。
