決して大輪ではないけれど、色とりどりのみずみずしい花々が。今を盛りに咲き誇っていた、風に揺れていた。
その日、一行は何の用だったかシーハーツの王都シランドにいて。特にすることもなくて、アルベルはぼーっと街を散策していた。
なにごとかぎゃーぎゃー騒いでいたメンバーとは違って、クリエイションをする気分ではなかったし、今さら彼に作ることができるものが必要なわけでもない。武器屋をのぞこうともかんがえたけれど、並んでいるのは大して興味もないよわっちいものばかりで、それにいうならこの街の武器屋はなんだか明るく清潔すぎる。
酒場に出入りしようにも今は真昼間、というかそもそもこの街に酒場が存在しないのは、パーティ内の自称保護者、実際はどんなもんだかの金髪大男が嘆きまくっていたので知っていた。
戦闘以外に興味のないアルベルには、そうするとすることもなくて。
ただ時間をつぶすため、面白いものがあればめっけもの、その程度しか考えていなかった。
「……あの、すみませんちょっといいですか?」
「あ?」
声が聞こえて、反射的に周囲の気配を探ってみたなら自分と多分問いかけてきた男の気配以外なかった。そうすると、さっきの平和そのものの声は自分にかけられたのだろうかと、暇人アルベルは脚を止める。
振り向けば、なまっちろい線の細い見るからに頼りない男。青髪のパーティリーダーよりは年上、アルベルと同年代くらいだろうか。少なくともアーリグリフでは十分高級品扱いの眼鏡をかけて、なんだか気の弱そうな曖昧な笑みを浮かべて、文官服をそれでもそれなりに着こなしている。――いや、文官服を着ているものの、文官ではなくて。雰囲気からするに、たぶん何かの研究者だろうと思った。
そうしてアタリをつけてから、もう一度、今度はわざとらしく周囲を探ってみたけれど。やはりここいら近辺には自分と男以外誰もいなくて、そうするとやはり呼び止められたのは自分らしい。
「何か用か」
ふと訊ねたのは単に暇だったからで、そうでなかったなら完全に無視していたはずだ。アルベルが興味があるのは「強くなること」ただ一点で、それ以外は心底どうでもいい。どうでもいいことに巻き込まれたくはないから、だからきっと、これほど暇でなかったならそもそも最初の声さえ黙殺していたかもしれない。
じっと、「見つめる」というよりは「にらみ付ける」アルベルに、男は居心地の悪そうに肩をすくめると、
「ええと……そこにあるドアを、開けてほしいんです」
目で指された先、右手に続いていた塀の切れ端に、たぶんこれだろうドアがあった。言われなければ見落とすだろう、事実今までアルベルにその存在を知らせなかった粗末な木製の扉。
これか、と目で指せば、そうです、と目が答える。
自分でどうにかしろよと思ったけれど、それを口に出す前に、
「この間の、アリアスの件でちょっと……」
そんな風に牽制される。
――アリアスの件。
アレだろう、ヴォックスが死んだ原因の、ナントカが攻撃をしかけてきたという、
別に嘘をつくメリットはないはずだから、そうすると。こうして見る分には分からないけれど、たとえば袖の中身は包帯でぐるぐる巻き、とか。神経が変にやられて、腕そのものが動かせないとか、握力がゼロだとか。
多分同情されたいわけではないだろうから、そこで思考を止めて。
アルベルはドアノブに手をのばした。男の顔が明るくなる。
普通のドアは普通に開いて、その向こうにあったのは、
――単なる花畑、に見える。
決して大輪ではないけれど、色とりどりのみずみずしい花々が。今を盛りに咲き誇っていた、風に揺れていた。どうやら街中をうろついているうちにアルベルは王城あたりに出ていて、それを考えれば、……けれど。
――女王のための花にしては、なんだかやけに庶民的な、
「ああ、しばらく来てなかったけど良かった、枯れてない。
――花はお好きですか?」
「……興味ねえよ」
「そうですか――武人さんだとそうかもしれませんね」
のんびりした会話、静かに動いた気配。花畑のふちで嬉しそうに笑っている男。
「僕もね、あんまり花には興味ないんですよ」
嬉しそうに花を見下ろして、なんだか矛盾した言葉を吐いて。
「きれいだなとは思いますから、嫌いでもないんですけど。でも花には興味なくて。
ただ幼馴染の女の子がいて、彼女が花を好きなんです」
――惚気か?
「ずっと会っていなくて、アーリグリフにいるって聞いていたから、もう二度と会うことはないかもしれないって思って、でも、彼女は僕にとって大切な人なんです」
ドアをくぐったその場で腕組みしてつっ立っているアルベルを、振り仰いで笑いかけてくる男。男のくせに変に線が細くて、なんだか、――なんだかやけに存在感が薄くて、
「子供のころに別れたきり、ずっと会っていなくて。でもやっぱり大切な人だから、どこかで彼女とつながりを持ちたくて。
彼女が花が好きだったから、ここに花を育てはじめたんです」
通りすがりにすぎないアルベルにそんなことを話して、この男は何を考えているのだろう。まるで話を右から左に流している彼に気付いているのかいないのか、男は花に目を移す。
「もう二度と会えないかもしれないけど、いつか会えたときのために。花が好きな彼女に、プレゼントしたくて。いつの季節でも、何か花をプレゼントしたくて。だからここで花を育てはじめて。
最初はね、枯らしてばかりだったんです。陛下に献上するわけじゃないから、手間暇のかかるきれいな花よりも生命力が強い花を選んだのに、それでも何度も枯らして」
いかにも荒事と無縁な、整った指先が花に触れる。
「――でも、何度もくり返しているうちにどうにかコツをつかんで。仕事が忙しくてあまり手入れできなかったけど、ずっと手入れできなかったけど、……咲いていてくれたんだ」
嬉しそうに静かに、笑う。
「ああ、そうだ。この間彼女とね、再会できたんですよ」
「……そうか」
なぜ今自分はここにいるのだろう。なぜこんな惚気? を聞いているのだろう。
思うアルベルに男は笑って、
「それでね、彼女と会ったからってわけじゃないんですけど、もう、ここにはいられなくなってしまって。だから、最後に見ておきたくなって」
花畑を振り返って、決して広くはないけれど、元気にみずみずしく咲く花々を嬉しそうに見渡して、
「きっかけは彼女だったけれど、最初はそんなでもなかったけど。
育てているうちに愛着がわいて、あまり手はかけられなかったけど、でもそんな僕の手でもちゃんと咲いてくれた花を、最後に見ておきたかった。
――ありがとうございます」
言う男の姿が、不意に薄れた。元から希薄な存在感が、さらに薄くなっていく。
「?」
「ありがとう、あなたの時間を割いてくれて。僕の話を聞いてくれて。
――この花は、」
声も薄れていって、もう何を言っているのか分からない。口の動きから読み取ろうにも、その姿ももはや、
向こうの花畑を透かした男は、そんな自分に気付いていないように何かを言って、
何かを言い続けて、微笑んで、――聞こえない声の最後は、ただ「ありがとう」、それだけはアルベルに見えた。
「……おい……?」
戸惑ったアルベルの声だけが花畑の中に響く。
花はただ、風に揺れている。
探しても、気配を探っても。気配はなくて、男の存在は消えうせていて。
――しばらく経ってから、アルベルはあきらめることにした。工房にでも顔を出そうか、すっかり夕闇に染まる空にぼんやり考えながらドアを戻ると、見回りの兵士と話をしていた見覚えのある赤毛がいきなりぎょっと振り返る。
「――あんた、今どこから、」
「……よく分からん」
説明しようにも、何をどう説明したらいいのか。というか、あっという間に面倒になった。
肩をすくめるアルベルに、女は、
「だって、ここは……ディオンの、
彼が亡くなってから、ここのドアが開かなくなって、誰も、」
「――知るか。俺はなんだかなまっちろい男に、
……死んだ?」
――男のくせに変に線が細くて、風に溶けそうな笑みを浮かべた穏やかな知的な男。
彼は、
「アリアスの、襲撃に巻き込まれてね。幼馴染の女の子とやっと再会できたのに、あれが原因で……彼女もほとんど同時に亡くなったよ。こっちはもともと病気だったんだけどさ」
淋しい顔が、花畑で見た男の笑顔と重なった。
透明な、風に溶けそうな笑みは、――ああ、
――花を、ほったらかしたのが心残りだったのだろうか。
なぜそれがアルベルだったのか分からないけれど、王城にほど近いここには人通りがほとんどないせいかもしれない。たまに通るといえば見回りの兵士くらいで、
「視る」ことができる人間は、アルベルが最初だったのかもしれない。
偶然、かもしれないけれど。
「阿呆」
赤毛の女が何かを言っている、それをまるで聞かないでアルベルは唸った。よく分からない怒りに腹を立てて、静かにうめいた。
たかが花のためにこの世界に縛られていた男にか、何も気付かなかった自分の間抜けにか、主がいようがいまいが勝手に咲き続けた花にか、主を死に追いやったあの件の犯人にか。
よく分からない怒りに歯噛みして、アルベルはたった今出てきたばかりのドアを振り返る。
決して大輪ではないけれど、色とりどりのみずみずしい花々が。今を盛りに咲き誇っていた、風に揺れていた。
閉ざされた扉の向こうの花々が、腹立たしくて――なぜこんなにも淋しいのだろう。
