ただ黙ってそばにいる。
それだけで救われることだってある。
歩き出そうと足を踏み出しかけた瞬間、くらりと視界が回ってティアは思わず唇を噛んだ。
自分でもこんなことに慣れてどうすると思わないでもないものの、立ちくらみを起こすことは最近すっかり日常だったから。少しだけ立ち止まって、引いた血がゆっくり戻ってくるのを待つ。ゆっくり息を吸い込んでみる。
みんなの足手まといになりたくなかったから、そうしてあとは何ごともなかったように少しだけ遅れた歩みを早足で取り返すつもりだったのに。やっと黒から回復した視力に、真っ先に飛び込んできたのはいかにも心配そうな赤毛の青年の姿だった。
「……ティア?」
「何でもないわ、行きましょう」
それは決して嘘ではなくて、そのころには立ちくらみも回復していて。どうせ先ほどのあれは一時的なものだし、だから本当に気にしなくても良かったのに。
それなのに青年はいよいよ心配そうに眉を寄せて。
「おい、ちょっとやすもーぜ」
「ルーク!」
「足だりーんだよ、なあいいだろ?」
そんな不器用な気遣いいらないのに、いかにも自分のわがままだと仲間たちに声をかけた。
「ルーク、わたしは別に、」
「なんだよティア、聞いてなかったのか? おれが疲れたんだよ。だから休もうって言ってんじゃねぇか」
ユリアの封印を解くたびに、体内にたまっていく障気の毒素。それでもたとえそうと分かっていても、血筋に反応するらしいあの封印は今のところ一行中ティアにしか解くことができない。
痛みは薬で誤魔化せる、苦しいのにはもう慣れた。
自分にしかできないことなら多少の不便は無視するべきだと思ったし、覚悟さえ決まってしまえば原因が分かった分むしろすっきりした部分もある。兵士を目指した以上そもそも長生きをしたいなんて考えてはいなかったし、だから問題なんてどこにもなかったはずなのに。
そんな自分を気遣ってくれる仲間たちが、心に痛かった。特に、不器用にその分新鮮に気遣ってくれる青年の姿が胸に痛かった。薬でおさえている痛みよりも、胸を突くその痛みの方が深くて激しくて。
「なんてーか、ほら、せっかく良い天気だし」
「……のんびりしている暇なんてないでしょう」
「服は汚れるけど、草の上って気持ちいいよな意外と」
「ルーク」
「おれが休憩言い出して、他のみんなもうなずいただろ? ティアだけ先を急ぐのって、団体行動にならねぇじゃん」
「……っ、」
何を言ってものらりくらりと、誰だ彼にこんないいわけを覚えさせたのは。
言いがかりにも似た感じに腹を立てて、ぐるりと周囲を見やったなら首をすくめたのがひとつふたつみっつよっつ。――心配されているというよりも、この視線はむしろ。
いよいよ腹を立てるティアの手を、座り込んだルークが引っ張った。
いいから座れよ、なんて言いながら強引に引きずり下ろされる。
こんなところでのんびりしている暇なんてないのに。こうしている間にも、あの男は、ヴァンは、兄は。着実に計画を進めて、自分たちはただでさえ出遅れているのにこんなことをしていたらますます間が空いてしまう。
焦るのに、間近い碧の目は先を急がせてくれない。仲間たちもそんな彼の味方をする。
他の誰のためでもない、それは全部ティアのためで。
「……のんびりしてる暇なんて、」
「ティアはそればっかだなー。いいじゃねーか、天気は良いし……ってまぁ、障気のせいでいまいち良いんだか悪いんだか分からないけど。少なくとも雨降るような天気じゃなさそうだし。風もあるしみんなもいるし、おれもいるし。
焦らなくてもなんとかなるよ」
「ならなかったらどうするのよ」
「何とかするさ。絶対、どうにかする。……だからさ、ティア、」
中途半端なところで言葉が切れて、なんだろうと顔を上げたならふいっとそっぽを向いた彼の耳がなんだか赤くて。意味が分からなくて首をかしげたなら、がしがしと彼は乱暴に自分の髪をかきむしって、
――少しは信用しろよ、頼むから。
――おれはちゃんと、ティアのこと信用してるから。
とてつもなく聞き取りにくい、それはまるでひとりごとのようにぼそぼそと。何を言われたのか耳に届くころには、彼はますますそっぽを向いて耳の赤味はさらに濃くなっていて。
意味が分かった瞬間、ティアの頬もなんだか熱を帯びて。
ありがとう、とつぶやいた声は先ほどの彼と同じく口の中のもごもごで終わってしまった。照れくさいのか居心地が悪いのか、よく分からないけれどうつむいてしまったならもう顔が上げることができない。
先ほど彼女の手首を捕えた彼の手がなんだかすぐ近くに落ちていて、今さらながらたかがそんなことに気が付いて、なぜだかますます照れくさくなる。
――ただ黙ってそばにいる。
――それだけで救われることだってある。
――言葉がない、その方がいたたまれないことだってある。
そんなことをきっとはじめて知って、思い知って、そろりと顔を上げたなら同じタイミングで顔を上げた彼の目と目が合った。
もう、どうしたら良いのかまるでカケラも思い浮かばない。
どうしようもなく頭が混乱しているのに、けれど。
彼の言葉は、胸にくすぐったい。それなのにどこまでも心地良い。
