それは確かに「知って」いたはずだった。
けれど、ああ、けれど。
「分かって」はいなかったのだ、きっと。

―― pour differentes raisons

ガードは間に合っていたはずだった。魔物がぶっとい腕を振り上げたその瞬間、彼女は確かに防御の姿勢をとっていた。
だからダメージはないはずだけれど、きっと腕力差か体重差かなにかで、
「きゃあ!?」
「ティア!!??」
敵が振り上げた腕を見た一瞬前、ガードに動いたのを見たから心のどこかで安堵していたのだと思う。耳に届いた、苦痛からというよりは驚きの悲鳴にルークははじかれたように声の主を振り返っていた。
亜麻色の髪の少女が、一直線、彼の元――というには微妙に距離のずれた地点へ弾き飛ばされかけている。
「おい!」
思うよりも先に、手が出ていた。左手一本で今まで切り結んでいた魔物を押しのけて、わずかに生まれた時間の空白を利用してバックステップ。たぶん身体で受け止めたほうが良かったのかもしれないけれど、何より余裕がなくて右手を――剣を持っていない利き腕とは逆の手を伸ばす。
ぎりぎり間に合った。
彼の手はティアの肩に届いて、勢いを逃がすために半円を描くようにくるりと回って――、
そこでルークは、間抜け面で数拍、凍りついた。

◇◆◇◆◇◆

「それ」は見知っていたはずだった。
七年間軟禁されていた屋敷には母がいたし、警護の白光騎士団の数と同じくらいたくさんのメイドたちがいた。たまに来る行商人のうち――まあ主人は男が圧倒的に多かったけれど、それでも数少ない女主人やらその手伝いやらで女の姿もあった。
いくら自分が世間知らずだとしても、だから、少なくとも知っていたはずだ。
「女」という存在、くらい。

「……ルーク! ぼーっとしてないで、危ない!!」
悲鳴のような叫びにはっと我に返ったとき、彼が先ほど押しのけた魔物と、それとは別にティアを吹き飛ばした魔物、二体が合わせて地を蹴ったところだった。どちらも鋭く重い攻撃を、なんとなく彼女を抱えたままその場を飛びのくことで何とか避ける。
赤い髪が数本、犠牲になって宙に舞ったのが見えて、
「助かったわ、ありがとう。……はなして」
「あ、ああ……」
たぶん多少暴れたなら外れるはずなのに、力の抜けた彼の手をどけなかったらしいティアがかたい声を出して、ルークはがくがくうなずきながら手を引いた。切れ長の、そういえば師匠と同じ色の蒼い目が鋭く魔物との距離を測って、それでようやく彼も完全に我に返った。
剣を握り直しながら、もうだいぶダメージを負わせたはずの魔物に向き直る。
たまたま二体が固まっていたので、きっとたぶんあまり深い意味もなく、その中に突っ込んでいった。

◇◆◇◆◇◆

見知っていたはずだ、触れたことも触れられたことも確かにあったはずだ。
母の白い、まるで貴族の見本のようなよく手入れされたもろい手も。年齢容姿さまざまなメイドたちの、たとえば稽古で作った擦り傷を手当てしてくるあの手も。
そうだ、確かに知っていた。
それなのに。

「…………」
ルークは適当な木陰にへたり込みながら、あの時彼女を受け止めた右手をただじっと見下ろしていた。
戦闘は昼前、今は夕刻――というよりは宵の口。今日も野宿で、やわらかいベッドが心底懐かしい……ではなくて。向こうの方で夕食の調理をしているほっそりした背中を見るとはなしに見てから、もう一度てのひらに目を落とす。
時間はもうだいぶ経ったのに、その後別のものにも触れたくせに、いまだに手に残って消えない感触。つかんだのは肩で、関節部分で、……それをちゃんと分かっている。
なのに、

――細かった。
――やわらかかった。
――動きに一拍遅れた髪がなびくたび、なんだかいいにおいがした。
――……どきどき、した。

――それは、こうして思い返している今も。

◇◆◇◆◇◆

「……くそっ、何なんだよ」
頭に手を突っ込んで、がしがしと乱暴にかき混ぜる。心臓は微妙な速さで高鳴りっぱなしで、目を閉じたなら蒼い目が脳裏によみがえって、肌がなんだかざわめいて、どこまでも落ち着かない。
――なんだ、なんでだ!?
自問しても答えは見当たらずに、
「――ルーク? 夕食、できたわよ」
「あ、おう……分かった」
そしてゆっくり歩み寄ってきたティアと、なぜだかまともに顔を合わせることができない。

それは確かに「知って」いたはずだった。
けれど、ああ、けれど。
「分かって」はいなかったのだ、きっと。

――それに、その意味に。
彼が気付くのは、たぶんもう少し先の話。

―― End ――
2006/07/26UP
ルーク×ティア
OFP
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pour differentes raisons
[最終修正 - 2024/06/27-09:54]