それは、たとえば見事なほどに。
それは、たとえば哀しいほどに。
ティアが障気に冒されていることを知った。知ってから思い返したなら気付くきっかけはいくらでもあったのに、結局気付かないまま医者から絶望の言葉を聞かされた。
一足先にそれを聞いていたはずの彼女は、顔色こそ青を通り越してまるで紙のように白かったけれど、それでもたしかに微笑んでいた。
――それは、たとえば見事なほどに。
――それは、たとえば哀しいほどに。
どのみち障気のことを知っても、ユリアの血脈に反応するらしいあの封咒を解除することができるのは、現在この世界にたった二人しかいなくて。片方は敵として世界の崩落を狙っている以上、それを阻止するためにはそのもう片方、ティアの手を借りるしかなくて。
それをするたびにますます彼女の身体に障気が注ぎ込まれると知ってしまっても。
他に方法はなくて、他の方法をさぐる時間はなくて。
「……ティア、疲れたか?」
「大丈夫よ、ルーク。平気。元から兵士として鍛えているのだもの、心配しなくてもいいわ。みんなに迷惑はかけない」
道を行きながら、多分知られてなお気を張っていたのに、それでもふらついた彼女の足取りに気付いたルークは、思わず声をかけていた。けれど即座に返されてぐっと息を飲み込む。
多分荒い息を殺している、それが分かるくらいには付き合いは長くなった。それだけの息が必要な運動に、以前ならきっとほほがかすかに高潮していたのに、けれどこんな青白い顔のままになったのはいつからなのだろう。
彼女がこんなにも儚く映るようになったのは。
自分でも気付かなかったのよ、と医者で言われたあとティアはいいわけのようにつぶやいていた。
気付いても、気のせいだろうと思った。そんな風に、つぶやいていた。
けれど原因があの時点で分からないにしても、体調が悪かったのは事実なのに。隠していた彼女に、けれど隠しきれてはいなくて、ヒントはあったのになぜ今まで自分は見過ごしていたのだろう、なんて後悔がルークの胸のうちを黒くどろどろと染め上げて。
「……ルーク?」
「え? あ……」
どうやら思考のぐるぐるは彼女本人の顔を見ながらだったようで、多分思考につられて百面相な顔も彼女にばっちり見られていたわけで、自分のうかつさになんだか地核にまで届く深い深い穴を掘って埋まってしまいたい。
そもそも、今自分がティアを気遣っているはずなのに、逆にティアに自分を気遣われてどうする。
がっくり肩を落としたルークにティアがくすりとほほをゆるめて、ああ、そうだいつからか知っている。普段無表情でいようとしているティアを知っている。そんなティアがこうして微笑むときは二つ、うっかり無表情に隠しきれない微笑みがこぼれるのと。気遣うようなその実踏み込むことを拒絶するような、そんな意味でわざと浮かべた笑み。
――この笑みは、どちらだろう。
「疲れたなら、本当に言ってくれよ? 体調が万全じゃないってみんなに知られたんだ。無理して無茶して気を張って。結局一番大事なときにぶち倒れる、なんてかっこ悪いだろ」
「……分かっているわ」
――今度のは、仮面の方の笑みかな。
それは、そんなことはなんとなく分かるようになったのに。肝心なことは相変わらず分からないままの自分が悔しい。
「……師匠の気持ちが、分かるような気がするよ」
「え……」
「ユリアシティで、安全な場所でじっとしていてほしかったって言ってたあの気持ち、今はなんだか身に染みて分かる。
他に方法がなくたって、分かってたってそれでもまだ迷うんだ。決めたつもりで、それでもすぐに気持ちはぐらつく。
ティアを絶対に安全な場所に残して、……帰りを待っていてほしい。本当にそう、思う」
ずっと青白かったティアの顔に、ゆっくりうっすら血の色が広がっていく。その理由もその意味も考えないで、ただなんとなくのびたルークの手が、そんな彼女のほほに触れる。
ほんのり、色だけはかすかにあたたかそうになったティアの、けれど触れてみたならぞっとするほど冷たいほほを。触れることで自分の体温を与えられるなら、そんな祈るような気持ちで。
かなわないと、知っているけれど。
「おれはおれにできることからはじめようって、そう思って、ティアもきっとそうなんだろうって、勝手に思ってる。したいこととできることは違うって思い知って、……うん、そういうのちゃんと分かってるのに、
今はティアのために何かをしたいって思ってて、本当に思ってて、でもできることが何もみつからない」
――それが、悔しい。
したいこと、できること、しなくてはならないこと。いくつも無数にあるそれらのうち、優先させたらいいのか。分かっているはずなのに迷う自分はどうしようもなく情けなくて、そんなことを思っているうち果たしてどんな顔をしていたものか、ティアがきっと本心の笑みをこぼれさせた。
「ばかね。何もできなくなんて、ないわ。……心配、してくれてるじゃない。それにこうして一緒にいてくれる。
わたしのために、ちゃんと何かをしてくれてるじゃない。ルーク。
――本当は、本当に、嬉しいのよ?」
――それは、たとえば見事なほどに。
――それは、たとえば哀しいほどに。
微笑むティアは、それでもやはり儚くて。
……抱き止めたいと、祈るようなすがるような気持ちがルークの中にわき起こる。
