怒ったように困ったように、けれどやさしく細くなった目が。
薄明るくなりはじめた空を背景に確かに見えたから。
息が苦しかった。身体中が熱っぽいようでそれでいてとても寒くて、頭がぐるぐるして考えがまとまらない。そもそも現在の自分がどんな状態なのか分からない、起きているのか、それともこれが夢なのかさえ。
苦しい息を吸って吐いて、そしていきなり額に何かが触れる。驚いて目を見開いて、では自分は寝ていたのだと知って悟って、そして。
けれど見開いた目に、明確な像は映らない。
「……?」
「悪い、ティア、……起こしたか?」
声で分かる、これはルークだ。何度もまたたく目にけれど視界が暗くて、すっかり見慣れたいつもの赤毛が、赤ではなくもっと暗い色に見える。わけが分からなくて眉を寄せたなら、きっとそれを別の意味に取ったのだろう。彼女が目を開いた先ほどの瞬間にはっと引いたらしい彼の手が、すごすごと視界からいなくなる。
「……るー……く?」
つぶやいて、今度こそティアはむっと口をつぐんだ。
――なんて声だろう、自分は詠い手なのに。
――こんなひび割れて水気をなくした声、寝起きにしてもひどすぎる。
思って、思った瞬間むせるように喉の奥から空気がせりあがってきて、けふりとそれを吐き出した。断続的にこみ上げるそれにけふけふと咳き込んで、あわてたルークが丸くなった彼女の背をやさしくなでてくれる。
――なんだか既視感、これは、
――そういえば、記憶が途切れている……いつから?
「無理するな、ティア、おまえ……」
「――倒れたの、わたし」
「ああ、うん。……過労が原因だろうって」
息苦しさも熱っぽさも悪寒も頭痛も、思い当たったなら当然だ。典型的な風邪の症状……あるいは、典型的な障気障害の初期症状。
息を吐いてぐるりと周囲を見渡して、何がどうなったの、と吐息のような声を上げる。
「……どこまで覚えてる?」
「もうすぐ街だ、街についたらって、アニスが言っていたあたり、かしら……遠くに街並みが見えたような気がして、ほっとして……?」
「うん、多分そのまま倒れた。気がゆるんだんだろ。で……街が見えてたしな、あわててかつぎ込んで宿とって寝かせて、医者を呼んだ。あ、着がえさせたのはアニスだぜ。
ホントは今もおまえの看病してるのアニスのはずだったんだけど」
言われて見下ろしたなら、確かに宿備え付けらしい寝巻きに着がえている自分が見えた。視界が暗いのはどうやら夜――もしくは朝方だから、らしい。高熱で目がやられた、というわけでもなさそうだと分かって内心胸をなでおろす。
「? だけど……??」
そうしながら言葉尻をくり返したなら、意識したからだろうか、声はだいぶいつもに近くて。そんなティアにルークはいかにも情けない顔を見せて、
「このパーティ、女っておまえとナタリアとアニスだろ? で、ナタリアは王女だし。看病あたしひとりに押し付けるつもりかって、アニスがキレてさ」
「……彼女らしいわね」
「単なる過労なら、そこからきた風邪なら看病にシロートもクロートも関係ないってんで、おれもローテーションに組み込まれた」
言いながら彼の手がのびてきて、横になったままの彼女の額に触れる。一瞬というには少し長い間のあとにゆっくりと引いていく。
それは、先ほど彼女が目を覚ましたきっかけと同じもので。ああ、では、
「……よくわっかんねーんだよな。多分……そんなには高くねーはずだけど」
たった今彼女に触れた手のひらをじっと見つめながらのつぶやき。格好だけ真似てみて、けれどもよく分からないらしい。
やる意味があるのかないのか、といった彼にくすりと笑いがこみ上げて、けれどティアはそのかわりに深く息を吐いた。そしてまたむせて、またもあわてて背をさすってくれた彼を、どうにか落ち着いてから涙のにじむ目で見上げて、
「わたし、」
「待てよ!」
言いかけた言葉をぶちきられて、腹を立ててもいいと思うのにそうしないで彼の真面目な顔を見つめる。暗さに目が慣れてきたのか空が白みはじめてきたからか、色こそよく分からないもののその表情はちゃんと分かる。
「軍人なのに情けない、とか、ごめんなさいとか、それはいらないからな。言ったら怒るからな」
いつもとはなんだか微妙に違う言い方にひとつ瞬けば、まっすぐ見ていた目がついとそらされて、
「……って言っとけって、ガイが」
「ガイが」
「いやおれもそうだって思うから言ったんだけど。
……ほんとに、謝るなよ? おまえが障気障害なのはみんな知ってるし、それでも無理させてるのはみんな知ってるし、謝らなきゃいけないのはほんとは、」
「――謝っては、いけないんでしょう?」
「あ、うん……うん」
そうだったとうなずく彼に、その言葉がやさしくて。彼だけではない、体調管理もできずに倒れた自分に対して、仲間たちみんながやさしくて。
体調が悪くて、だから気弱になっているのだろうか。こぼれそうになる涙を瞬くことで追い払う。
「ルーク」
「ん?」
「謝ってはいけないなら、こう、言うわ。
――ありがとう」
言った瞬間、いや、ひとつ瞬いて次の瞬間。暗い中、それでもかあっと彼の顔に上がる色が見えたような気がした。
「ばっ! ばっかおまえ、……いいから寝てろっ!! 無理してた分ちゃんと休んで治せよな!?」
どうやらいまだに礼の言葉に慣れていないらしい。
ほほえましくてふっと笑ったなら、視界をかくすように彼の手が降ってきて、――熱があるためだろう、彼の手がなんだか気持ちいい。
その、一瞬。目をかくされる一瞬前に。
怒ったように困ったように、けれどやさしく細くなった目が。
薄明るくなりはじめた空を背景に確かに見えたから。
それになんだか安心して、彼に隠された視界の中目を伏せる。
意識はきっと、すぐに眠りに引きずり込まれていく。
