ただ何の気なしに思ったことを口にしただけだと。
何より雄弁に、その目が語っていたから。
「きゃっは~☆ 見てよ見てよティア! キレイだねっ!!」
大はしゃぎにはしゃぐアニスに腕をとられ、何ごとだとティアが見下ろした先には。宝石の原石らしき大きな石や、それを美しくカットしたもの、細工をされた宝飾品までが様々に並べられていた。露店には似つかわしくない豪華な品揃えを、むしろティアは不審に思うものの。いまだ彼女の腕をとったままあれやこれや矢継ぎ早に店主に話しかけるアニスに、その腕を解かせる隙はなんだか見当たらない。
「お嬢ちゃんみたいな可愛い娘に買ってもらえるならこの宝石は幸せもんだな」
「やだもーおじさんたら!」
――高く売れそうな時に全部景気よく売っ払いますよ!
聞こえたような気がした声は、多分彼女の本音だろう。
「ええと……アニス?」
隙がないのだから言葉で手をはなしてもらいたいのに、にこにこの笑顔ながらどこかごりっとこわい真剣な目をしたアニスはどうやらティアの声が聞こえないらしく、だったら最初からつかまえないでくれればいいのにと――まあ特に用事があるわけではないからと自分を納得させて、いつの間にか露店の前にしゃがみこんだアニスにつられてティアもその場に腰を落とす。
ケセドニアのバザールの一角。直接の陽光はぎりぎり当たらないここは、ひょっとしたらそれなりに過ごしやすいかもしれない。――この流通拠点に来てはじめて実感したけれど、ぎらぎらした太陽の光さえ避けたなら湿気のほとんどない砂漠は意外と快適だ。
アニスと店主の表面だけ笑顔のやり取りはまだ続いている。
ティアはそっと息を吐いた。
あぢーあぢー、と何かの泣き声のように同じことばかりくり返す声、まあまあルークとりあえず宿屋で休もうやその途中になんか飲みものあったら買ってくるからさ、などとなだめすかす声。
いいかげん聞き覚えのありすぎる二人の声が背後から近づいてきて、ティアがなんだか頭痛まで覚えていると、声がふとぴたりと止まって当然のように気配が寄ってきた。
「――なにやってんだおまえら」
無遠慮にかかる声、とたんにぶつっと途切れたのはアニスと店主の会話で、そのアニスがものすごい勢いで顔を背後にねじって上げる。ティアの位置からは見えないけれど、きっと満面の笑み――目だけがこわいほど真剣な、極上の笑みでも浮かべているのだろう。
「あ、ルーク様☆ ……ちょうどいいとこにいらっしゃいました! アニスちゃんいまこの宝石がものすっごくほしいんですけど!!」
「……なんでオレが買ってやらなきゃならないんだよそんなもん」
「ルークルーク、そんなもんなんて言うなよ売りものに対して」
ばっさり切ってから、そのルークも露店にしゃがみ込んでその宝石たちをしげしげと眺めはじめた。新しい客が来たとどうやら思ったらしい店主が、にこにこ笑いながらいろいろ説明している。たった今そっけなくふられたもののなにしろ公爵子息、ひょっとして気が向いたら何か買ってもらえるかもと期待しているらしいアニスが、店主とぴったり息の合った合いの手を入れる。
ティアの右腕はいまだアニスに取られたままで、貴族の気品がどこかにすっ飛んだやくざ座りのルークは彼女の隣りにいて、助けを求めて仰いだ金髪細身の長身、ガイは、やれやれと声に出さないままどうやら呆れて見守っている。
「……なあアニス」
「はいはいなんですかルーク様っ?」
「女ってさあ、こんなもんが好きなわけ?」
「それはもちろんですとも旦那様! 花と宝石が嫌いな女性は、」
ぞわりと、ティアの二の腕がなんだか粟立った。根拠も何もない――ひょっとしたらここしばらく一緒に行動していたのが根拠なのかもしれない――ともあれ悪寒が、背筋を這った。なんだか決定的にまずいことを、この世間知らずの公爵子息が口走りそうだと思って、冷静沈着を旨とする彼女には珍しく直感に従ってあわてて彼の口を塞ごうとして、
けれどそれより先に、
「ふーん。でかくてそれなりにカットしてあれば、ガラス玉でも喜ぶのか」
やる気のない声が――揶揄の気概さえない声が、
その場の空気をぴしりと凍りつかせる。
「お……お客さん、」
「ルーク様!? えと、なに言ってんの?」
「だって見りゃわかるじゃん。んー、一応ホンモノもあるか。それとこれとあれ。アメジストとオパールだよな。クズ石だけど。……つか全部カット粗くねえ?」
なんでもないことのように、声をひそめることさえしないで、無造作な左手がいくつかを指差す。止めることのできなかった惨事に自己嫌悪に陥って、虚脱感にぼんやりつられたティアが見てみれば、アニスと店主のけたたましい先ほどのやり取りで散々けなされていた、申しわけ程度の宝石がついた安物ばかりがいくつか。
彼の言葉が事実なのかそうでないのか、ティアには分からないものの。
正面で店主の怒気が膨れ上がり、背後でガイがあわてふためく。その場の視線を一身に集めるルークは、多分そのどちらにも気付かない。
「オレはいらないや。……ガイ行こうぜ、のどかわいた」
「る、ルークおいおまえ頼むから、」
「あ、ちょ……ルーク様!!」
「ちょっとルーク、あなた……」
「待ちやがれ、この――!」
「……やあ、こんなところにみなさん勢ぞろいでしたか。おっと、ちょうどいい。
そこの店主。アスターが呼んでいましたよ。この兵士をエスコートにつけるので、ちょっと話をしに行ってあげてください。――ところでこの街では詐欺はかなりの重罪でしたね?」
まるで狙っていたようなタイミングで軍服姿のジェイドが姿を現さなかったならどうなっていたものか。――多分この公爵子息は絶対に気付かない。
「……ルーク! ちょっと待って」
「――つか、今のなんだったんだ?」
ざわざわと集まってきた人ごみから抜け出て、ようやく彼の赤毛が見えてきた。待ちなさいと声をかけて最初に彼にたどり着いたのはティアで、どうやらアニスやガイはまだ人波にもまれている。
「偽者を本物と言って売っていた店主がいちばん悪いけど! ルーク、あなたもそんなこと大声で言わないで」
「……だからなんだったんだよ今の騒ぎは? ニセモノってなんだよ?? ちょっと見ればガラスだってわかんだろ」
……ティアはふと話がかみ合っていないことに気が付いた。よってたかって批難されてどうやら気が立っているルークは、仏頂面でなぜか仁王立ちに胸を張っている。
「――わたしには宝石に見えたわ。ダイヤモンドとか」
「なんだそりゃ、目が腐ってんじゃねえの? なんでアレがダイヤなんだよ」
「多分アニスにも、大粒の、高価な宝飾品に見えていたんでしょうね」
「……そんなのひとつもなかったじゃねえか」
「ガイが何も言わなかったところを見ると、多分彼も同じように思っていたんでしょう。まあ、彼はもしかしたらちゃんと見ていなかったのかもしれないけど」
「…………?」
そういえば、以前そのガイが言っていたような気がする。理屈で考えればティアにも納得できる。
多分ルークは、本人が自覚している以上に高価なものに対して目が肥えている。
彼は一度も、あれらをニセモノとは呼んでいない。ガラス玉、としか。貨幣価値がしっかりしていないルークのことだから、そのガラス玉に対してつけられた法外な値段を気にもせず、ただ気に入らないからいらないと、それしか言わなかった。
勝手に騒ぎ出したのは周囲で、ルーク本人はただ事実を事実と見ていただけで、多分あの場でいちばん正しかったのはそのルークだ。――結果起きてしまった騒ぎに、責任がないとは言わないけれど。
「……ルーク」
「な、なんだよ」
「あなたの価値観が間違っているとは言わないけど、……これからはガラス玉とかそういうこと、大きな声で言わないで」
「……なんで?」
「今みたいな騒ぎになるかもしれないから」
「ワケわかんねえ」
「そうね、あとで大佐からちゃんと説明してもらえばいいわ。……ああ、それと、今みたいなことがあったら仲間の誰かにこっそり言ってくれると助かるわね。わたしとか大佐とか。アニスだと、ちょっとまた別の騒ぎになるかもしれないからやめてほしいけど」
「……ふーん……?」
「あと、」
ただ何の気なしに思ったことを口にしただけだと。
何より雄弁に、その目が語っていたから。
それに、助けられたことは事実だったから。
その時ばたばたと足音が近づいてきて、ぎゃー、頼むから抱きつかないでくれよーアニス! しょーがないでしょガイ、あたし身長低いから埋もれるとこだったんだからね人ごみに!! なんてやり取りが近づいてきて、それらにかき消されないようにと一歩近づいて、ティアはルークの耳元にささやいた。
「ありがとう」
「っ、ばっ……な、なんてとこでささくんだよおまえは!」
「え? ちゃんと聞こえてほしいなって思っただけなんだけど」
「……もういい!」
なぜか耳まで髪に負けないくらい鮮やかに染めたルークがふいっとそっぽを向いた。わけが分からないティアが小首をかしげて、そんな二人に気付いて近寄ってくるアニスとガイが、何が起きたのかわけがわからなくてティアの真似をするように首を傾ける。
「だー! もういいからとっとと宿屋行こうぜ!! なんか疲れた!」
叫ぶようなルークの声を、砂漠の乾いた風がさらっていく。
たとえばそんな、旅の一コマ。
