手当てをするのは、好きだった。
――その理由はとても口に出せたものではなかったけれど。
「る……アッシュ! あの、今の戦闘で腕に、」
「ちっ……かすり傷だ、このままで問題ねぇよ」
「……そう、ですか……」
赤いカエルのような魔物との戦闘が終わって、剣についた血をはらいながらなめらかな動きで鞘におさめる青年に声をかけて。
けれど返ってきた舌打ちにナタリアは肩を落とした。
まさかたったそれだけで、自分でも思った以上にしょんぼりしたこんな姿を彼に見せるわけにもいかなくてくるりと踵を返す。やはり今の戦闘に参加して、怪我を負った他のメンバーに治癒の術が必要かどうか訊ねることにする。
背中に突き刺さるような視線、彼は――今どんな思いで自分のことを見ているのだろう。
知りたいのに知るのが怖くてきゅっと唇を噛んで、視線に気付かないふりをする。自分が彼を気にするのと同じように、自分のことを気にかけてもらいたいけれど――離ればなれの七年は、いろいろな意味で二人の間に横たわっている。
今は、ただそれが怖い。
それに現実として、実戦経験がきっと豊富に違いない彼に対して、その点自分はその足元にも及ばない。本人が問題ないと言うならきっとその通りで、我を通すのは間違いだろうと思う。
蜘蛛の糸にすがるように期待し続けた七年、それがまったくの見当違いだったと知ったのが先日。うすうす気付いていながらまさかと否定し続けた、ずっと抱いていた違和感の正体を知ったのが先日。――けれど、彼にとっての七年はまったく違うものだろう。
心揺れる自分のことをきっと、調子のいいことを、と苦々しく思っているに違いない。
それに今、彼にとって必要なのは「キムラスカ王女」ではなく「ナタリア」でももちろんなくて、「脚となる軍艦を操作するに足る人員」でしかない。
その事実がただ哀しい。
黙って歩けば鬱々と思考が深みにはまっていくばかりで、そんな後ろ向きの思考を分断させる戦闘が、だから今はありがたかった。この鏡窟に住みついた魔物たちは今の自分たちには決して気を抜くことのできるほど弱くはない、だからこそこと戦闘となればただ敵を倒すこと、仲間の補助をすることに気を向けなければならなくて、それが今は心底ありがたかった。
そんな思考を知られたなら、きっと誰もに呆れられると知っていても。
どうしようもなく、思ってしまって。
やがてまた魔物と戦って。そのまま何度か戦闘を重ねて。
――そして、
「アッシュ! いい加減にしてくださいませ!! あなたは平気とおっしゃいますけれど、顔色がよろしくありませんわよ!」
「……」
最初は言葉どおりに受け取って、しばらくは彼の言葉を信用して。けれどナタリアの目に彼は戦闘中何度も攻撃を受けていた、それは事実で、彼女の指摘どおり薄暗い鏡窟内に彼の顔色は確実に悪い。
怪我を放置して痛いままだと明らかに機嫌の悪くなったあちらの「ルーク」よりも、どうやらだいぶひねくれているものの。平気ではないのに平気だと言い張る、そんな変なところで意地っ張りなのはどうやら同じらしい。――そうと口に出したならきっといよいよ意固地になると思ったから、それは黙っておくけれど。
「それでも問題ないとおっしゃるなら、先ほど受けた怪我のあたり、わたくしに見せてくださいませ! 実際に見て確認して、もしもわたくしが間違っていたのなら、謝りますから」
きっと同行者二人はとっくに気付いていたのだろう。やや先を歩いていたはずが気が付けば脚を止めて、やれやれと呆れきった視線が向けられているのが分かる。
「やぁ、一国の王女に謝っていただく機会なんてそうそうありませんよ?」
「いじわるは駄目ですよぅ大佐☆ アッシュ、観念しなよあんたの負けだってば」
「ちなみにここで言い争っている方がよほど時間の無駄になりますね」
「そですよね、ナタリアってガンコだからちゃーんと納得しないと引き下がらないし」
悪口のようにも聞こえる援護射撃を受けて強い目で彼を見据えたなら、ぐっと言葉に詰まってそっぽを向いた。いくらナタリアが箱入りで世間に疎くてにぶくて信じやすすぎだと言われても、もしもたとえそれが事実でも。
今の彼のそれは無言の肯定以外にない。
「……アッシュ?」
「…………ちっ」
もう一歩詰め寄ったなら、ものすごく不承不承な舌打ち。
「右脇腹と左の二の腕……それ以外は別にどうってことねえよ」
「今度は本当ですわね?」
「おまえに嘘がバレてロクな目にあった記憶は、」
「――癒しの術をかけますわよ」
失礼な言葉に、けれど腹を立てている場合ではないと。言われた箇所に意識を集中して、やがて彼を中心にやわらかな光が生まれる。
いなくなる前、十歳だった「ルーク」。
やっと「帰ってきた」十七歳の「アッシュ」。
七年の歳月は大きくて重くて、けれどあちらの「ルーク」にずっと覚えていた違和感がこの「アッシュ」にはまるでなくて、それが二人に申しわけないのにとても嬉しい。こうして言葉を交わすことができた、あるいはそれは「当たり前」だったのかもしれないのに、奇跡のようでそれが嬉しい。きっと、見えない箇所にナタリアの知らない傷をたくさん負った彼が、それでも今生きて目の前にいてくれる、それは本当にとてもとても嬉しくて。
それらをただ「嬉しいこと」だと思おうとすれば、深みに沈むばかりの思考もどうやらとどまってくれるようで。
「――調子はいかがですか?」
「…………」
光が消えて、そっと訊ねたならそっぽを向いたままぼそりと、きっと彼女にしか届かない程度の小さな声で礼の言葉が向けられた。少し驚いてからどういたしましての言葉の代わりに頬をゆるめれば、にやにやしてんじゃねぇよと今度は普通くらいのボリュームの声がすねる。
「次は、ちゃんとおっしゃってくださいませね?」
「……」
「ね??」
「……仕方ねえな」
少しだけ調子に乗って強く出たなら、ため息と同じ声がうなずいて。指切りは嫌いでも嘘を吐く彼ではないから、昔そうだったし今もきっとそれは変わっていないとなぜだか強く思ったから、ナタリアは満足しておくことにする。
「さあ、行きましょう。ヴァンのたくらみが欠片でも分かればよろしいんですけれど」
「おまえが仕切るな。先に立つな」
不機嫌な声に脚をゆるめれば、赤い色が彼女の脇を抜けていった。目の前には、そして、赤。誰よりも彼女の信頼する人物が、間違いなく今ここにいる、たとえ錯覚でも自分を守るためにこうして前に立ってくれている。
新しい魔物がそして横手から飛び込んできて。
彼が瞬時に剣を抜いて、深く考える間もなく彼女の手は弓を引いていて。
手当てをするのは、好きだった。
――その理由はとても口に出せたものではなかったけれど。
その間は、必要とされている。治療が終わるまではどこかに行ったりしないで、ここにいてくれる。
――たったそれだけが、ただ嬉しい。
もちろん、怪我を負ってほしいわけでも痛い思いをしてほしいわけでもない。それでも。
肉薄した彼に、魔物が何かの攻撃をしかけた。矢を放ってそれを邪魔することで彼の援護をしながら。
ナタリアの目に、「赤」が今確実に映っている。それがただどこまでも嬉しい。
