もう手に入らないものとして。
心の奥底のさらに底に、沈めておいたはずなのに。

―― lever les scelles

母が心労で倒れたと知って、その薬のためにキノコロードに向かった。面倒くさい道の果てにたどり着いたそこにはなぜかあのパーティがいて、なんだかなし崩し的に一行の先頭で剣を振るうことになっていた。納得できないものの今さら後に引くこともできなくて、なかば諦めと共にそこに踏み込んで。
見上げたなら人の身長さえらくらく越えたきのこが連なり、足元は気持ち悪い感じにふかふかしている。障気のせいなのかそれともここは年中こうなのか、たぶん胞子で視界はかすみ、たとえ人体に害がないと保障されていたしてもこんな空気あまり吸いたくない。一秒も早くこんなところから立ち去りたい。
思うのに、けれどここにいる限り彼の脇には彼女がいて。
「……しばらくきのこ料理は見たくも食べたくもありませんわ」
「同感だ……」
そんな馬鹿げた会話を交わすことができて。

◇◆◇◆◇◆

ヴァンの動向がどうだとか障気がああだとかレプリカがどうしたとか。あるいは剣戟とそれで発生する小さな火花、もしくは血のにおい何かの焼けるにおい。……すっかり彼には日常と化したそれらにはまったく関わりあいのない、これはどこまでものんびりした他愛ない会話。
たかがそれだけが、この七年間彼にはとても遠いものだった。
もう二度と望むことのできなかったはずなのに。今、振り向けば彼女がいる、声を会話を交わすことができる、そのつもりで手をのばしたら触れることができる、きっとそうと望んだなら抱き寄せることだって可能な。
これはなんという奇跡だろう。

「ミュウの住むという森からここまで、チーグルの足でよくたどり着けるものですわ」
「どんななりでもあれは魔物だから、か? ……まあ感心するのはするが」
「まあ、アッシュはチーグルの森にもちゃんと行ったことがあるんですのね。わたくしも一度ティアに連れられて行ったことがあるのですけれど、……ここからはずいぶん離れていますし……。
それともあの仔の言っていたきのこだらけの山の方、とはここではないのでしょうか」
「さあ、どうだかな。障害を気にせずに、森とここを直線で結んだなら……」
そういえば外野はやけに大人しくて、ふと横目で見てみたならなんだか彼ら二人とはだいぶ距離が開いていた。
……まったく、何のつもりだ。今魔物に襲われたら、それは確かにナタリアは彼が全力で守るけれども髪一筋傷付けさせない自信はあるけども、だからといってこんな、
「そうですわね……直に飛んでくることができなくてわたくしたちは川を上ってきましたけれど、直線なら彼らの足でもなんとか……きゃあ!?」
「おい!?」

何しろ足元はきのこで、あるいは残骸となったその上に降り積もった胞子の層で、当然足場は良いとはいえなくて。どれほど彼との会話に夢中になっていたのか、ナタリアが何かに足を取られた。
考える間もなく手が動いて身体が動いて、ひゅ~♪ なんて腹の立つ反応が背後に聞こえたけれど、
きっと驚きに息を吐く、彼の知る何よりも脆くて強い存在。その驚きの原因がなんなのかを考えたくはなくて、身体は何よりも惜しんでいたけれど、抱き寄せることで身体を支えたそれからあわてて飛びのく。厳しく自身を律していたはずなのに、やむをえなかったかもしれない、けれど彼女に触れてしまったこの手をまじまじと見下ろす。
「アッシュ……ありがとうございます。あの、あなたにはわたくし、本当に支えられてばかりで、」
「……言うな」
彼女の顔を見ることができないままに、息を吐く。

◇◆◇◆◇◆

触れてしまった、抱き寄せてしまった。
想っていただけの七年間、それが一方的に姿を見るだけで十分だったはずなのに。再会できただけで、彼女の目がこの姿を映しただけで、声を届けることができただけで、言葉を交わすことができただけで。十分だったはずなのに、それなのに。
この偶然に喜び、またの偶然を望んでしまう、なんて醜い自分。
きっと際限なく次を求めてしまう、なんて浅ましい自分。
封じたはずなのに、棄てたはずなのに。「ルーク」の名を棄て、「アッシュ」を名乗ることに決めたあのときに。今までの自分から変わらざるをえなくて、それだけの状況を受け入ることにしたあのときに。

この気持ちは、彼女は、――もう彼のものではなくなってしまったのだと。
二度とこの手に戻って来ることはないのだと。
だから、
もう手に入らないものとして。
心の奥底のさらに底に、沈めておいたはずなのに。

◇◆◇◆◇◆

わきあがる激情を必死に押さえつける。はにかんだような笑みが一転、不安いっぱいの表情を浮かべた彼女に何でもないとゆるく首を振ってみせる。気にするなと声にもできない、どうか自分なんかにかまうなといっそ願う。
血まみれの、燃えかすの自分なんて。
彼女に相応しくないのだからと。

「ルーク……?」
「その名は、棄てた……」
か細く頼りなく、不安いっぱいの彼女が呼んだ名をゆるく否定した。そうしながら、口から心からあふれそうになる感情を再び心の奥底へ封じようとした。
愛、を。
告げることも示すこともかなわない、そんな自分は許さない。光に満ちた道こそが彼女の行くべき道で、暗く閉ざされた自分の道と交わってはならない。この瞬間の交錯さえ、本来は、
――けれど渇望する心は結局抑えきることかなわなくて。

やがておずおずと彼女の手がのびてきて。
そうしなければと思うのに、彼には、逃げることが、

―― End ――
2006/07/12UP
アッシュ×ナタリア
OFP
中国語・無断転載禁止 ハングル・無断転載禁止
lever les scelles
[最終修正 - 2024/06/27-10:08]