口では嫌がっていても、動かないでいてくれることが。
こうして触れることを許してくれるあなたが。
「……アッシュ?」
旅の最中で、人員は不足していて彼は前線に立ち続けていた。
「寝て……います、の?」
だから、それは当然だろう。
「疲れていますものね……」
つぶやくように訊ねた言葉に、返事は最初から期待していない。樹に身をもたれかけさせて、剣を抱くように。右手は柄にかかっていて、けれど彼の気配に緊張感は――いや、あるのだろう。
ただナタリアに感じ取ることのできない、そんなごくわずかにひそめられているだけで。
そのときさわりと風が行き過ぎて、舞った自分の髪を軽く押さえたナタリアは、風がやってきた方向にぼんやりと目をやった。
「いい風ですこと。昼寝には、もってこいですわね」
戦いの、移動のさなかの小休止。
きっと誰よりも無理と無茶を重ねている彼には、身と気を休めるための貴重な時間。
周囲を見渡して、他の仲間たちとはそれなりに距離があった。
偶然ではなく彼がそれだけの距離をとったのだろうと思えば、なんとなく淋しいとも、なんとなく面白いとも思う。プライドが高くて責任感が強くて真面目で頑固で一途で……変わってしまっと思った彼の姿に昔のルークを見つけて、ナタリアの口元がやわらかくなる。
同時に、それだけの警戒をしている中、どうやら本当に寝入っているとはいえナタリアがこれだけ近付いても気付かない、というのは。
「光栄なこと、なのでしょうね」
ぽつり、つぶやいてまた吹いた風に少し目をすがめた。肩に届くかどうかというナタリアの髪さえ、風向きの関係でかなり邪魔になる。腰あたりまでのびた赤く長い髪が、その主にはきっともっと邪魔だったのだろう、それまで無心だった表情がぴくりと動いた。
「アッシュ」
ぱらぱらと、持ち上げてあった前髪が落ちかかっている。横に流してあった髪が頬にかかっている。いかにも邪魔そうにゆるく首を振って、無意識の動きで追い払えるほど風のいたずらはささやかではなくて。
それを見て、まじまじ見てしまって、だからなんとなく手が出ていた。
手櫛で梳くように、彼の髪に触れていた。
芯のかたい、けれどかたすぎない感触。炎というよりは深い血を思わせる赤い色。男で、しかも神託の盾という――名前はともあれ実質軍隊に属しているからだろう、むしろそういういいわけがあるためか、手入れはどうやらだいぶさぼっているようだ。
ふ、と口元がゆるんだ自分に、ゆるんでいた顔を知って少しばかり恥ずかしい。そんな自分にまったく気付かないアッシュが、それだけ安心してもらっているのだと嬉しい反面、気付いてくれてもいいのにとすねたくもなる。
そして、
離れていた時間をきっと埋めたがっている自分に気付いて、その身勝手さに今度は呆れの息を吐いた。
「……おい、ナタリア」
「あらアッシュ、ようやく起きましたのね。もうそろそろ休憩時間も終わりでしたし、ちょうど良かったですわ」
「時間だから目が醒めたんだ」
きっぱり言い切った彼にナタリアはくすりと笑った。かっと表情を変えて、けれどすぐに何かに気付いたような顔になって、ふいと視線をそらして。
……ああ、こんなところもまるで変わらずにいてくれた。
……やはりどうしようもなく彼は、彼女の知る「ルーク」だ。
それが嬉しくて切なくて、――そんなナタリアに、
「何の真似だ」
「?」
いらいらと少し乱暴に訊ねられて、ナタリアは首をかしげた。かしげたもののすぐに質問の意図が分かって、ふっと、まるで挑戦するように微笑みかける。
「ちゃんと手入れしていないのでしょう?」
「――どうでも良いだろう」
「あなたがどう思おうと、あなたにお任せしますわ。けれどそれは、わたくしがどう思ってもわたくしの勝手、ということになりますわよね。
……どうしても気になったんですもの」
そして止めていた手を再び動かしはじめる。怒ったような困ったような微妙な表情でアッシュがナタリアを見るけれど、それにはしらんぷりをする。
赤い髪が、彼女の手にゆっくりくしけずられていく。
口では嫌がっていても、動かないでいてくれることが。
こうして触れることを許してくれるあなたが。
――大好きですわ。
きっと口に出したなら照れてどこかに行ってしまうと思ったから、心の底でそっとささやいた。彼女に髪をいじられていることで、怒りからだろうか照れからだろうか、すでに顔を頬を耳をほんのり染めたアッシュが。
「……ちっ」
これ見よがしな舌打ち、そして、
――笑ってんじゃねえよ。
負け惜しみそのものの台詞に、ナタリアは笑った。
華やかな笑い声が、ゆっくり風に流れていく。
