彼は王だった、彼女は王だった。
それは時に哀しいほどに。

―― coeur insensible

そして腹部に衝撃を感じた。それは瞬時に熱になって息を詰まらせて、彼にそれを負わせた白刃を認めたとき、やがて耐え難い痛みに変わった。
――かなうとは確かに思っていなかった、けれどこうもたやすく、
思ったとき気配がわらわら生まれて、気付けば金の髪をした彼の特別な彼女が脇にいて、怪我を負った彼に手をさしのべようとしていた。

彼は王だった、彼女は王だった。
王の義弟の息子、公爵家の嫡男として生まれた彼と、王のひとり娘として生まれた――少なくとも当時は本人も周囲もそう信じていた彼女。自分は王族だという認識は自己を認識するのと同じくらい自然なことで、きっとそれは彼女も同じだったのだと思う。

◇◆◇◆◇◆

確実に純粋に彼を心配してのばされた手を、しかし彼は受けるわけにいかなかった。素直とか天邪鬼とかそんな軽い理由ではなく、彼の根底に関わるくらいのレベルでそれは絶対に受けるわけにいかないものだった。
触れられる前に身を引く、自分が傷を負ったように蒼白な彼女には多分その意味が分かっていたはずだ。
揺れる目が、動揺あらわな翠がただ彼を映していた。

彼は王だった、彼女は王だった。
成人したなら、あるいは成人の儀と共に成婚の儀が執り行われ、彼はキムラスカ・ランバルディア王国の王となり、彼女はその伴侶となる。
難しい言葉はともかくそれは将来実現する当たり前として、それは彼の中に彼女の中に刻まれていた。将来国を背負って立つことは当たり前のことで、そのためにするべきことは身に付けることは知ることは山ほどあって、彼も彼女もちゃんとそれを分かっていた。努力を惜しむわけがなかった。

◇◆◇◆◇◆

熱と痛みに浮いた脂汗を、腹部の傷と一緒に押さえつける。怪我をおしてねめつけた先には一度は師と仰いだ人物、彼にたった今怪我を負わせた剣を片手に、まっすぐ射るように強い目を向けてくる。
立場以上の尊敬の念を抱くことができなかった父と伯父と違って、立場を、身分の違いを忘れて自発的にまっすぐに尊敬したひと。剣の腕ばかりではない、ひとりの人間としてまたその頭脳、思考の早さ他にもいろいろ。尊敬すべき点は多岐に及んでいた、外殻大地崩落の目論見さえ知らなかったらきっと今でも尊敬していた。
痛みにか視線が下がって、鋭く舌打ちをする。
粘ついた汗が浮かんで腹部は熱くて手足の末端は冷たくて、その怖気のする感覚にただ舌打ちをする。

彼は王だった、彼女は王だった。
王であることを知っていた、認めていた。自分は、自分たちは王なのだと、民ではないのだと、支配されるがわではなく支配するがわにいるのだと。知っていて、だから幼さからの潔癖さで良い王になろうと良い王であろうと互いに誓って、そのためには何が必要かを語り明かした。
幼いあの日、運命を違えたあと。王族の身分を奪われてそれは、それでもいつしか彼の中で純化していった。あの想いはあの誓いは今も、彼の中に薄れてはいない。

◇◆◇◆◇◆

言葉が頭の表面をすべっていく、思考が脳内にもつれて明確な答えが出ない。
強がってなんでもないふりをよそおいながら、しかしこの怪我はかなり深刻だった。ひょっとしなくても生命に関わる怪我だ。しかしこの怪我を負わせた相手を、その性格を考えればきっとすぐに倒れるようなものではないのだろう。
そういうひとだ、彼の師は。
その師がやがて立ち去って、心配そうな目を向けてくるお人よしたちに、彼もまた背を向ける。
すべてを話して、いや話さなくてもお人よしに違いないこの一行は何のかんの言いながら彼に手を貸してくるだろう。アラばかりの目立つ彼のレプリカもここしばらくでずいぶん力をつけてきた、その手助けを受け入れたならきっと楽に違いない。彼ひとりでは確実に手が足りない今なら、より一層。
そうと分かっていたし、そうさせるわけにはいかなかった。
何があっても、――彼女なら、きっと分かってくれると思う。そこにだけは甘えておこうと思う。

彼は王だった、彼女は王だった。
王とは強くなくてはならない、王とは弱くてはならない、王とは負けてはならない。何より王は、間違ってはならない。民は王についてくるから、それは当然で絶対だった。民なら許されることも王には決して許されない、それは彼にとって非情なほどに当たり前だった。
その、してはならない間違いを彼はしでかした。
だからこそ。
愚かに違いない、自分はすでに王ではない。王族から追われてすべてを奪われて、王から民のがわに立場を変えている。公爵家嫡男として生きた日々は捨て去った名前の中にあって、それを捨てた今の彼は、燃えカスの彼は確実に王ではない。

けれどそれでも彼は王で。
国もない民もない、けれど彼は彼の王で。

◇◆◇◆◇◆

「アッシュ……!」
愛しい人が呼んでいる、けれど今は立ち止まるわけにいかない。振り返るわけにいかない。
弱い王は、間違った王は許されない。
だから彼は許されない存在で。

彼は王だった、彼女は王だった。
それは時に哀しいほどに。

――腹部の傷が、傷だけが。
ただ昔の呼び名のように、まるで焔のように燃えている。

―― End ――
2006/08/18UP
アッシュ×ナタリア
OFP
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coeur insensible
[最終修正 - 2024/06/27-10:09]